第27話




「ギッ、ギルマスはいるか! 報告があるっ!」


 飛び込んできたのはまだ若い男の冒険者。装備は血まみれで、抉り取られたような切り傷は、見ているだけでも痛みを感じるほど。だが、そんな自分の状態もお構いなしにその男はギルドのトップ、ギルドマスターを呼び出した。


 通常であれば、ギルドマスターとの面会はもっと段階を踏むべきであった。ブラムは冒険者上がりため、普段フランクな態度で、冒険者たちも気軽に接しているが、本来そこには厳然たる差が存在している。


 だがおそらくは緊急の事態、話は変わってくるだろう。ギルドの職員が取り次ぐべきか、一度自分で話しを聞くべきか、対応に戸惑っているうちに、先に低く威厳のある声が奥から響いてきた。


「何があった、ロブ?」


 いつもの飄々とした態度は鳴りを潜め、ブラムは真面目な顔で問い質した。相対したロブは、眼前に感じるその威圧に気圧されながらもなんとか口を開いた。


「み、見たこともないスティフベアがいた、いや、いたんです」

「ふん、くだらん真似はよせ。森の奥に行ったのか? お前らはまだ青銅ブロンズのパーティだったはずだが」


 ドネクタの森の奥は白銀シルバー級、スティフベアの巣窟。滅多なことがなければ、基本的に手を出さないのが、この街の冒険者の常識だ。


 冒険者ギルドが公表する危険度は、およそ街に根差した魔物であればかなり精度が高い。故に、ランクが停滞している者が格上の魔物と戦うことは無謀な挑戦と言わざるを得ない。


 ロブもそれは自覚していたのか、在りもしない叱責の響きに縮こまる。そして、下げた頭からロブは、カウンターに目をやった。そこにいたのは、気になる問答が始まってしまい帰るに帰れないセシリア。ロブは、そんな彼女に一度視線をくれてから言った。


「だ、だがっ、成長するためには多少の無茶は必要なはずだっ!」


 不安か、後悔か、自分の内にある負の感情を払うようにロブは必死に叫んだ。ブラムはその視線の先にセシリアを見つけると、一度考え込むように目を細めた。


「まあ今はいい。で、見たこともないとはどういうことだ? 見間違えたわけではないんだな?」

「そんなわけあるかよ! あいつは普通のスティフベアよりデカかった。それに何より青かった」


 その巨躯を思い出しているのか、もはや目の前の相手に取り繕うことも忘れ、ロブは声を荒げる。


「青い?」

「そうだ! 暗くて青い毛だ。それに白かった爪は黒ずんでて、腕は更に肥大化してた。そ、それに、何より風の刃だけじゃなくて雷まで出してきやがった」


 話していくうちに冷静に状況を思い返せるようになったのか、ロブは次々と特徴を口にした。


 元々のスティフベアは基調を明るい灰とした体毛に覆われ、禍々しい爪はそこだけ空間を切り取ったかのように白かった。森にそぐわない、馴染もうとしないその色は絶対的な捕食者としての驕りを表していた。


 が、ロブの言い分ではその体毛が青く変わっているとのことだった。そして、風刃だけでなく雷撃まで飛ばしてくると。確かに、ロブの体にはところどころ焦げた痕が見えた。


 だが、余りにも違うその特徴に、次第に懐疑的な空気が立ち昇ってくる。元より粗暴な冒険者、行儀よく話を聞くことなどできなかった。


「はっ、俺ぁ30年ドネクタにいるが、そんな奴見たことも聞いたこともねえけどな」

「スティフベアにやられたのが悔しくて嘘吐いてんじゃねえか?」

「ははは、違いない」


「ふざけんな!」

「嘘なんて、吐くわけねえだろ」


 ギルド内に併設されている酒場で飲みながら好き勝手笑う飲んだくれども。謂われなき侮蔑にロブがキレた瞬間、入り口の方から静かな声が疑惑を否定した。


「ポールっ! エルダっ!」


 エルダを庇い、足を怪我したポールはエルダに肩を支えられながら、ギルドに入ってくる。幼馴染3人で組まれたパーティ、ロブが先に来ていたのは一刻も早く報告するためだった。


「確かに、そいつはいた。あれだけ準備したんだ。ただのスティフベアだったら俺らがやられるわけねえ」


 痛みが引いていないのか、顔を顰めながらもポールは冷静に、そして自信を込めて言った。論理のかけらもない発言であったが、この若さということを勘案すれば、青銅ブロンズ級であることは十分に褒められるべきことであり、当然の誇りとも言えた。


「こいつらが嘘を吐く必要はない。そいつがいたのは事実だろう」


 そしてギルドマスターがそれを認めたことで、周囲の野次馬は口を閉ざした。それを見て、胸がすくロブたちであったが、続くブラムの言葉に冷や水を浴びせられる。


「だが、変異種を見つけた時点で帰るべきだったな」


 まずは、生きて情報を持ち帰ることを最上とするブラムからすれば、その若さ故の無謀を肯定することはできなかった。撤退の判断は早かったのか、支払った代償はさほどと言ったところだったが、そもそも開戦の判断が間違っていたと、ブラムは言った。


 どう思っていようと結果は結果、ロブたち3人は言い返すこともできず、項垂れる他ない。


「思い当たる節はある。魔物は同格の魔物の血肉あるいは魔石を食らうことで進化することがあるそうだ。稀ではあるがな。これまで変異種が育つのを見逃してきたのでなければ、それが理由だろうな」


 人間への深い憎悪のため飼育が難しく、未だ生態のよく分からない魔物。ギルマスという多くの情報に触れることのできる立場だからこその知見。それはセシリアに大きな衝撃を齎した。


「僕のせいだ……」

「えっ?」


 セシリアが小さく零した独り言。だがそのかすかな音は殊の外大きく広がってしまう。皆が注目する沈黙の中、恐る恐るカティが聞いた。


「セシリアちゃん、どういうこと?」

「僕は……ハッキツ草を取りに行ったとき、スティフベア同士で戦い合うよう仕向けたんだ」


 あのとき、セシリアはまだスティフベアに勝てなかった。武器の問題だけでない、単純にセシリアには何もかもが足りていなかった。


 後悔の滲んだ独白。にわかにギルド内がざわめきを取り戻してくる。やっぱり恩寵ギフトがないからだめだったんだ、どうしてくれるんだ、セシリアを責め立てる声が連なる。どんどんとヒートアップしてい


「静かにしろ」


 決して声を荒げたわけではない。だが、その声は喧噪の中を不思議と通っていく。


「でもよ、それがホントならこいつが……」

「静かにしろと言ったのが聞こえなかったのか?」


 続くブラムの重く低い声に、反論するものは出なかった。再び静まり返ったギルドの中で、動けたのはブラムだけだった。ブラムは俯くセシリアに言った。


「思い上がるな。俺が命じたのだから、責任は俺にある」

「……」


 ただの詭弁だ。だが言い返しても、何にもならないことはセシリアも分かっていた。セシリアにはまだ、責任を取るための実力も、立場も、何も持ち合わせてはいないのだから。


 それで、これでこの話は終わりとばかりにブラムは彼らに向き直った。


「報告ご苦労だった。明日、確認のためにお前らのうちの誰かには案内してもらうことになる。それまでにできるだけ体を休ませておけ」


 そうしてこの騒動は一端の幕引きを見せたのだった。





 騒ぎを持ち込んだロブたちが治療のためにギルドを去り、ブラムもまたこれからのために執務室へ戻るとギルドはいつもの騒がしさを取り戻していく。ただ一人、セシリアを置いて。


「大丈夫、ギルマスが何とかしてくれるから。それに、セシリアちゃんのせいなんかじゃないよ。絶対にね」


 ギルマスへの厚い信頼からカティはそう言い切るも、セシリアには遠く届かなかった。

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