第13話






 ——うぅ、ここは?


 泥濘のような眠りからセシリアは目覚める。そのまま、現状確認のため体を起こそうとすると、左腕に痺れのような痛みを感じた。慌てて、左腕を庇うように手を添えると、これまでのことが瞬時に蘇った。


 ——そうか。あの後、宿についてすぐ倒れてしまったんだっけか。


 確かにここは見覚えのある部屋で、レナの母がやっている宿だということをセシリアは思い出した。じゃあ、どうやってここまで、と自分が倒れた後どうなったのか、セシリアが疑問に思っていると、ちょうどそのとき部屋のドアが開かれた。


「あ、セシリアさん。起きたんですね」


 タオルと桶を持って、入ってきたのはレナだった。レナは起き上がっているセシリアを見て、安堵の声を上げた。どうやら、セシリアは少し長い間寝ていたようだ。セシリアが未だ寝起きの頭でぼおっとしていると、レナは続けて訊いてきた。


「痛みとか大丈夫ですか?」

「んぅ? あ、ああ、随分引いてきているよ」


 あれだけの怪我、治るまでに相当な時間がかかると思われたが、全身に感じる筋肉痛にも似た倦怠感や左腕に感じる違和感を除けば、ほとんど痛みと言う痛みはなかった。あの傷が癒えるほど長い間寝ていたことか、とセシリアが考えていると、レナがその理由を教えてくれた。


「それは良かったです。キャメルさんが洗浄と止血の魔法を使ってくれたんですよ」

「そうか。後でお礼を言わないとな」


 ——なるほど、道理で。


 ベッドの中の自分の服装はハッキツ草を取りに行ったときと変わっていなかった。にも関わらず、ベッドや服のどこにも血や泥の汚れは見えなかった。それに、見える肌にも切り傷どころかカサブタすら残っていなかった。薬屋のキャメルに、しっかりお礼をしないとな、と考えながら、セシリアは先ほどからの疑問を口にした。


「それで、あれからどれだけ時間が経ったのかな?」

「えっと、セシリアさんが倒れたのが昨日で、今は昼前です。お腹空いてますよね? ご飯、下で食べますか?」


 意識を向けると、途端にセシリアは自分がお腹が空いていることに気付く。実際セシリアは、丸一日ご飯を食べていない。育ち盛りの16歳には酷なことだった。


「なら、そうさせてもらおう。ところで、その桶は?」

「あっ、起きた時に体を拭いた方がいいかなと。洗浄の魔法を使ったとはいえ、感覚的なこともありますし。あっ、服を脱がせたりとかそういうのはないので、安心してくださいね」


 洗浄の魔法のおかげか、セシリアには一切の不快感はなかったが、レナの言うことも一理ある。


 ——それに、良く見ればところどころ破れているしな。


 考えてみれば、当たり前で魔法もあくまで洗浄だけ、スティフベアの爪やら魔法やら切り刻まれていた服は元に戻っていない。そこで、セシリアは着替えついでに体を拭くことにし、レナには下で待ってもらうようにした。




 着替え終わり、セシリアが階段を降りていると、鼻腔をくすぐるいい香りが漂ってきた。空腹を刺激され、お腹をさすりながらセシリアが食堂に入ると、レナがキッチンの方から顔を出して言った。


「まだお母さんには休んでもらっているので、私の料理で我慢してもらうことになるんですけど、それでいいですか?」

「いいや、十分美味しそうな香りさ。ありがたく食べさせてもらうよ」


 香りで分かっていたことだが、お店で食べる料理と遜色ないほど、美味しい料理であり、空腹にあえいでいたセシリアはぺろりと完食してしまった。


 レナの美味しい料理に舌鼓を打った後、一息ついていると、ガラガラと木の玉が転がる音がした。ドアに設置されている来客を知らせるものだ。音に釣られ、セシリアが玄関の方を向けば、そこには薬屋のキャメルがいた。レナの母の経過を確認しに来たのだろう。


「やあ、起きたんだね。体の調子はどうだい?」

「おかげさまで、だいぶ良くなっています」

「それは良かった。そしたら、これを渡しておこうかな」


 キャメルが手提げからごそごそと取り出したのは、何かの容器だった。外からは中身は見えず、手渡されたセシリアが開くと中には乳白色のクリームが入っていた。


「これは?」

「軟膏だよ。しかも、ただの軟膏とは違って、その人の魔力に働きかけるものだから、切り傷以外にも骨折だったり、捻挫にも効く優れものさ。寝る前に痛む部位に塗ると良い」

「重ね重ね、ありがとうございます」

「いや、こちらこそ、君のおかげでセリカさんが助かった。これくらいお安い御用さ」


 本来、冒険者が依頼中に負った怪我など自己責任である。今回は、個人的な取引だったとはいえ、怪我の手当までしてくれ、その後のケアまでしてくれるのはセシリアにとって望外の対応であった。しかし、そんな冒険者や世間の常識を知らないレナにとっては今一つな対応に見えたようだった。


「キャメルさん、もっと一瞬で怪我が治るような薬無いんですか? お母さんの命の恩人ですよ?」


 身内同然に思っているからだろうか、気安いながら失礼なレナの態度に、キャメルは気を悪くするでもなく、困ったように頭をかいた。


「ははっ、弱るなあ。ボクもできればそうしたいんだけどね。これ以上となればポーションになるけど、今はあいにく素材が手元になくてね。申し訳ない」

「いえ、キャメルさん。十分ですよ。むしろ、応急手当までしてくださって、お礼を言うのは僕の方です」


 頭を下げてきたキャメルにセシリアは慌てて首を振る。そもそもセシリアはこれ以外にも彼らから報酬を貰っている。自分のせいで負った怪我のことで相手を責めるなどお門違いというものだ。


「薬の恩寵ギフトのボクでは傷口を塞ぐ程度しかできなかったけどね。あっ、そうだ。ならこれはどうだろう?」


 名案だ、とでも言わんばかりにキャメルは手を叩いて言った。


「今、少し時間はあるかい? 冒険者になるなら知っておいて損はない話だと思うんだけど」


 特に急ぐ予定のないセシリアはその言葉に素直に頷いたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る