第10話







 戦いの舞台はすぐに移り変わることとなる。戦いの余波でハッキツ草が台無しになってしまうのは、両者にとってともに不都合であったからだ。そうは言うも、あくまで主導権を握っているのはスティフベアだった。


 そも、自然界の闘争において、体格差は歴然たる意味を持つ。大きく、そして重いということはそれだけで強さの証明となる。セシリアとスティフベアの体格の差は2倍以上、覆すにはそれ相応の理由が必要になる。


 加えてスティフベアは雑食の中でも肉食寄りの生態をしており、好物のハッキツ草の蜜以外では、基本的に狩りを行って腹を満たしている。当然その躰は狩りに特化したものになり、逃げ足の速い得物を確実に捉えられるよう俊敏さも兼ね備えていた。俊敏さに長けるセシリアであっても、速さでスティフベアを翻弄することは難しかった。






 器用に二本の後ろ脚で立ったまま前足を乱暴に振り回すスティフベア。セシリアはその攻撃を最小の動きで避けつつ、振り終わりを狙って切りつける。力が込めにくい体勢だったとはいえ、しっかりと刃を立てた、はずだった。


 キン! と、まるで金属同士がぶつかるような甲高い音を生じさせながらセシリアの剣は弾かれた。


 ——くっ、やはり硬いっ!


 セシリアの剣は、スティフベアの全身に生える硬い毛によって阻まれ、その下にある柔らかい皮膚にまで届かない。まさに天然の鎧といったもので、生半可な攻撃はスティフベアには通らなかった。


 煩わしそうに身を捩るスティフベア、だがそんな単なる行動もセシリアにとっては致命になりかねず、咄嗟に距離を取る他ない。そうして、状況は振り出しに戻る。先ほどから、セシリアは攻撃の合間を縫って反撃に出ているものの、未だ効果は見られなかった。


 ——このままじゃ、ジリ貧か。


 幸い、スティフベアの攻撃は大振りで、攻撃の予兆を見ていれば避けられないものではない。が、できることと言えばそれまでで、セシリアが攻勢に出られるような甘さはない。せめてもの反撃も意味を為さず、じりじりと体力を削られていくだけだった。



 一度離れて、奇襲するように攻撃したいが、生憎これまでの戦闘でセシリアは血を流していた。動きに支障が出るほどではないが、スティフベアの前での出血はまずい。これでは、身を隠しても意味がない。


 ——さて、これからどうするべきか


 セシリアがこの状況を打破するための方策について思案しながら、その猛攻から逃れていると、いつの間にか距離を取りすぎていることに気付く。


「しまった!」


 視線の先で、スティフベアがおもむろに前足を下から振り上げたかと思えば、その爪先から鋭い風の刃が放たれた。ヒューという空気を切り裂く音とともに迫ってくる斬撃を、セシリアは無理やり転がることで何とか難を逃れる。


「はあ、はあ。やっぱりその攻撃が一番危ないな」


 そう、距離が離れすぎると、スティフベアは魔法を使ってくるのだ。魔物は人間とは違って魔法を詠唱できない。が、その代わりに種固有の魔法を持っており、種類は少ないものの詠唱を必要とせず、魔法を行使することができる。


 スティフベアは風刃とでも言うべきか、鋭い風の魔法を持っていた。爪の先から放たれるそれは非常に見えづらく、空気の微妙な歪みと独特の音でしか判断できない。一回目をセシリアが避けることができたのは半ば奇跡と言っても良かった。


 幸いにして、その魔法は連発できるようなものではなく、発動前後には隙がある。が、スティフベアもそれをきちんと理解しており、一定の距離がある状態でしか魔法を放ってこない。


 距離を詰めれば相手の一挙手一投足が致命傷に繋がりかねない、かと言って距離を取れば、間隔はあるものの一方的に魔法による攻撃が飛んでくる。


 結果として、セシリアは相手にとって有利なインファイトを選択せざるを得なかった。まだそちらの方がセシリアも攻撃が当てられる。そうしてセシリアは自分の方から距離を詰め、戦闘を再開する。



 ——今のままじゃだめだ。多少のリスクを冒しても、大きな一撃を与えるべきだ。



 さっきのように細かい攻撃をすることはやめ、相手の猛攻をひたすらに避け続け、ときに受け流しながら、セシリアは隙を探っていく。体力と神経をすり減らす作業であったが、その甲斐はあった。


 スティフベアは何度も攻撃しても倒れない不遜な侵入者に対してとうとうぶち切れた。どんどんその攻撃は単調になり、周辺の土は抉れ、セシリアの代わりに周りの木がバッタバッタとなぎ倒されていく。


 もう周りが見えていないのか、それとも自棄になったのか、単純に腕を振り回すその攻撃は、確かに威力こそ強力だったが、隙も大きい。


 そうして何度目かの攻撃か、セシリアが避けたその左腕が身代わりにした木に深々と刺さった。執念の勝利である。


 ——ここだっ!


 機を逃さず、セシリアは隙を晒したスティフベアの腕の付け根に、全身の力を込めて剣を叩きつけた。その瞬間だった。


 ガキン!


 嫌な音が森に響き渡った。それは、セシリアの剣が折れた音だった。


「えっ?」


 そこで一瞬セシリアは驚愕から動きを止めてしまう。そしてそれを見逃してくれるような相手でもなかった。


「ぐっ、ごはっ」


 吹き飛ばされた先、木に当たった衝撃で肺の中の空気が一気になくなる。目の前がチカチカして焦点が合わない。全身を強かに打ち付けた影響か、体が痺れて動きが鈍い。


 それでも、這々の体でその場から離れると、直後セシリアの背後の木は見えざる風の刃によって切り刻まれていた。


 ズシーンと大きな音を立てて倒れる大木。巻き起こる砂埃に乗じて、少し体が動くようになったセシリアは体勢を立て直す。砂埃が収まった後、再び先ほどのようににらみ合う両者。戦いは終わりに近づいていた。少し開けた場所、真上に上がった太陽が両者を等しく照らしていた。


「よ、ようやくまともなダメージが通ったか」


 攻撃を当てた左腕はだらりと垂れており、ほとんど力が入っていないことが分かる。セシリアが即死しなかったのは、スティフベアの腕にも相応のダメージがあったからだろう。そうでなければ、セシリアは一瞬で粉々になっていた。


 だが、その言葉も気休め程度の効果しかない。手元を見てみれば、やはり先ほどの光景は夢ではなく、剣は半ばから完全に折れていた。無理もない、ずっとスティフベアの猛攻に耐え、硬い毛を切っていたのだ、限界が来てもおかしくはない。


 ——ここまで、か。


 隙を晒したところに大きな一撃を叩き込めば、ダメージが通ることは分かった。ならば、さっきと同じことを何度も繰り返せば理論上いつかは倒せるはず。


 だが、果たしてそれができるだろうか? 半ばから折れ、リーチの短くなった剣、今も若干痺れていて動きの鈍くなった体、体力だって集中だって無限に続くわけではない。


 それに何より、今求められていることはスティフベアを倒すことじゃない。死闘を繰り広げて、スティフベアを倒したところで目的が達成できなければ意味がない。


 ——くっ、認めよう。今の僕ではこいつに勝つことはできない、と。






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