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リアムが引き金に力を入れた次の瞬間、銃を持つ腕が影に覆われた。
リアムは殺気を感じ、とっさに頭上に照準を向けるが反応が遅れた。
影は銃を持つ手を蹴り、その拍子で空へと誤射。
地面に着地し、リアムの前に姿を現した。
「お前は――ッ!?」
その者は体が小さく、裸足で見窄らしい格好、ボサボサの髪に、陶器のように白い肌。
右目だけ青白い瞳の少女が牙を向けていた。
「ローラッ!?」
ベンは宿命の敵を目にし、咄嗟に後退ると、リアムがすかさず銃で応戦。
しかし、至近距離であるにも関わらず、反射的に避けられてしまう。
すると弾切れを知らされ、腰のナイフに手を伸ばした途端、いつの間にかローラが懐まで入り込んでいた。
「ぐあッ!!」
ローラに殴られ、その威力を大人の体で相殺することができず、レンガの壁に激突。
「くッ…」
リアムが頭を打って怯んだ隙に、ローラは、ベンの元へと駆け寄る。
「ひッ!」
ベンは、この日、この瞬間のために身につけていたはずの護身用武器をリアムに没収されていたため、慌てて左腕で払う。
「くッ、来るなッ!!」
そんな怯える彼の襟を掴み、強靭な脚力によって飛び上がった。
成人並の体重を持つベンを掴んで、やすやすと建物の壁をよじ登る。
「うおォォォォォッ!?」
地上から離れていく恐怖に悲鳴をあげ、2人を逃すまいとリアムがマガジンを交換し、銃口を向けた時には屋根の上に到達してしまっていた。
「ちィ…」
リアムは歯を軋ませ、その場にゆっくり腰を下ろしたのだった。
――ロンドンと海を繋ぐテムズ川。
346kmもあるこの川は、下水が流れてくることもあるため水質が悪く、市自体、一般的に泳ぐことを勧めていない。
そんなテムズ川の下水道に足を踏み入れ、身を潜める者達がいた。
「おえッ…」
ベンは、あまりの汚臭に吐き気を催すが、ローラの足は止まらない。
自分を殺しに来たと思っていた相手に命を救われ、ここに連れてこられた。
ベンの艾肯眼は、いつの間にか通常の右目へと戻ってしまって読めないこの状況下、仕方なく彼女の後を追う。
薄暗い迷路を歩き続けていると、やがて、脇に錆びついた鉄の扉が現れた。
ローラは、その扉を開けて中へ入っていき、ベンもついていく。
中は真っ暗で何も見えなかったのだが、急にまばゆい光を放たれて目がくらんでしまう。
「眩しッ!」
ローラが懐中電灯を天井に向け、部屋の全容が明らかとなった。
部屋はレンガの壁で覆われており、隅にはネズミの死体や食べ物の残骸が山となって異臭を放っていた。
湿気のせいで壁にはカビや虫が蔓延っており、幼い少女がこんな場所にいて良いわけがない。
衛生環境が非常に悪すぎる。
「お兄さん…」
突如話しかけられ、自然と身構えてしまう。
「目、私と同じになったんだね」
「はッ!? あッ、ああ…」
自身の右目のことを指摘され、反応に戸惑う。
彼女の艾肯眼は、以前両眼だったが、右眼だけとなっていた。
青白い靄が火みたいにゆらめき、ベンは、心を見透かされてる気になった。
声も子供の幼さを感じられ、哭戎種特有の声ではなくなっていた。
「ということは、見たんでしょ?
あの人の
「ああ…」
リアムについて触れられ、ベンは、力無く返答した。
「ローラ、お前は――」
リアムに追い詰められた僅かな時間に、全てではないが、霊圧から多少の記憶を覗くことができた。
断片的であったため、この経緯までは見れなかったが、霊圧からその時の状況、ローラの姿からして、導き出された真実――。
「
ベンが冷静に尋ねると、ローラは小さく頷いた。
――私が精神病棟にいたところ、院長先生が身寄りのない子を集めて児童養護施設に移送するって行ったの。
でも、手錠をかけられて車に乗せられたから、何でだろうって不思議だった。
着いた場所は大きな家だったけど、どこか怖くも感じたし、案内された部屋には、知らない女の人や外国人がいっぱいいて、親に売られた、連れ去られた、そんな事情を抱えた人達しかいなかったから、私もそうなんだと思った。
聞いてた話とは全然違うと思ったけど、1人じゃなかったから怖くなくなった。
バケツに入ったグチャグチャなご飯を出されて、それをみんなで分けて食べたり、トイレに行けずに漏らしちゃう子もいた。
女の人が何人か連れて行かれたこともあったけど、泣きながら戻ってきたり、戻ってこなかった人もいたよ。
そこで仲良くなった子もいたけど、その子も連れて行かれちゃって、何日経っても戻ってこなかった。
ある日、私の番が来て、怖い人達についていったら、あの人がいた。
その時にやっと手錠を外してもらえたんだけど、あの人は、私を車に乗せて家に着くと、お風呂に入れてくれたの。
何日ぶりか分からないお風呂ですごく嬉しかったし、美味しい料理も食べさせてくれた。
あの人は、私が今までどう過ごしてきたのか聞いてきた。
お母さんと暮らしていたこと、病院のこと、知らない人達といたこと――。
私の話を最後まで聞いてくれて、そっと頭を撫でてくれて、抱きしめてくれたの。
もう寂しくない、これからはずっと一緒だよって、あの人は言ってくれて。
ああ、もう怖いことは起きないんだなって、安心したんだよ。
それから楽しかったよ。
外に出かけたり、霊力について教えてもらったり――。
でもある日、あの人が買い物に出かけて留守番してた時に、退屈だったからあの人の部屋を探検したの。
あの人の部屋に入って、本棚の本を何冊か見たら、
私と同じくらいの子が裸で手錠をかけられていて、皆、泣いていたの。
そしたら、あの人が帰ってきたから、急いで本を元に戻したんだけど、すぐバレちゃった。
そしたら、あの人は怖い顔をして、私の両手に手錠をかけて、そして――。
「――もういい、分かった」
ローラの言葉を遮り、強引に中断させた。
彼女のこれまでの経緯、リアムとの関係、場所も相まってか、さらに吐き気がした。
「…その後、何日も逃げ続けているうちに身も心も動物みたいになっていって、ネズミとかカラスを食べるようになったの」
哭戎種の影響なのだろう、ローラの疳之虫が覚醒し、母親を殺したと以前リアムが言っていたのを思い出す。
制御の仕方も分からず、理性を失い、自我が消えていった彼女には、どうすることもできなかったということらしい。
「そんな時に、お兄さんに出会ったの。
お兄さんの腕を、血を舐めた時、なぜか自分を取り戻すことができたの」
「は…?」
「もしかして、お兄さんの体はお薬なのかなって、私のこの病気を治してくれるお薬なのかもって思って、匂いを辿って行ったら――」
「別の奴がいたってことか?」
話の流れ的に、ふと一緒に住んでいたアパートの女性が頭に浮かんだ。
「殺すことなかったんじゃないのか?」
ベンは穏やかに彼女に問う。
「だって殺されそうになったし…、それに、その…」
「腹が減ってたとか?」
「そうじゃなくて、お兄さんじゃなくても、人を食べれば治るのかもって…」
申し訳なさそうに視線を落とし、声も小さくなっていく。
アパートの同居人は、本当に不便な理由で殺されてしまったらしい。
「ってことは、オレの右腕は?」
「美味しかったよ」
「…」
感想述べられ、見当違いの答えに言葉を失う。
ベンは、時々あの右腕はどうなったのか考えたことがあったのだが、どうやら想像通りの結末だったようだ。
「でも、初めて会った時より
「はッ? 身長が?」
「違うよォ、お兄さんの
「ああ、そりゃあな、色々あったからな…」
彼女の発言に心当たりがありすぎて反応が薄くなる。
「で、俺の心が見えないって、哭戎種同士だと当たり前じゃないのか?」
「そうなの?」
「以前戦った奴が哭戎種だったけど、
「そうなんだ、私、この眼をした人に会ったの、お兄さんが初めてなんだ」
ベンは、疳之虫についての知識は大差がないのではないかと疑問を抱いた。
「それに、
「? 何が?」
ローラは、ベンの胸に指を指す。
「
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