第33話

 エディルは懐から小さな白い紙を三枚出し、

「…………」

 口の形だけで何かを唱えて頭上に放った。

 紙はたちまち三羽の白い小鳥になり、上空を旋回して飛び去った。

「アレは、昨夜、私が呪われた姿であったうちに折った式だ。同じ呪いの根を捜し出す」

 ネコ耳少年が折り紙をする姿を想像し、ミンファは微笑んでしまいそうになるのをじっと堪えた。そして、真面目な顔を意識して尋ねる。

「呪いの根? 殿下の呪いの、根源のことですか?」

「ああ。たとえば王室顧問道士が誰かを呪おうとするなら、厭魅の法を使って蠱毒などを呪いたい相手の屋敷の庭に埋める。それが呪いの根になる。だが、捜索した道士たちを信じるなら、宮城にはそんな物は埋められていなかった。ならば、厭魅に使われた呪いの根は、当の呪禁師のもとにある。あるいは、呪禁師本人が呪いの根なのだ」

 話を聞いて、ミンファは今さらながら自分は呪いのことなど何も知らないのだと思い知らされた。

 エディルが言う。

「だが、私が見よう見真似で使える呪術など、この程度のものだ。飛ばした式は、いつも目標に辿り着く前に力尽きてしまう」

「でしたら、宮城の上級道士の皆さんに協力していただけば……」

「道士長たちは、こんなやり方には反対している」

「反対?」

「黒い森の呪禁師を刺激したくないのさ。呪いの根を捜すためとはいえ、私の一部を写した式を飛ばすことで、その式が呪禁師の手に渡ればさらに悪い呪いをかけられるかもしれないと心配している。そうでなくともマヤが私の呪いを半分返したことで、呪禁師は私を恨んでいるはずだ。藪を突いて蛇を出したくはないらしい」

 それでも、エディルはひとりで黒い森の呪禁師を捜し続けている。ミンファがはじめてネコ耳少年と出会ったときも、そうだった。

(それほど切実に、呪いを解きたいのだわ)

 昨夜の話からもわかっていたことだ。ミンファは胸が締めつけられる思いだった。

「知っているか? 呪いというのは、呪われた相手が術を跳ね除ければ、呪った本人に倍になって返ってくるのだ」

「そうなのですか?」

「だから、九年前、マヤが私の呪いを半分浄化してくれたとき、その呪いは呪禁師に返ったかもしれない。だとしたら、彼女も弱っていたかもしれない」

 そう言ってエディルは腰の剣に手を伸ばし、ふと気づいてやめた。当時やんちゃな少年だったエディルは、おそらく心のどこかでずっと自ら呪禁師と闘いたいと渇望していたのだろう。だが、剣を振るえば呪われた姿になってしまうため、己を抑えるしかなかったのだ。

 ミンファはその剣に、おや、と目を留めた。いつもの王弟殿下の立派な剣ではない、ずいぶん小ぶりな剣を腰に下げている。

「ん? ああ、これか。いざというときあの姿になってしまっては、重い剣は役に立たないからな。いつでも無能な巫女が通りかかるとは限らないし」

 嫌味で返されたが、ふたりだけの秘密のようで、ミンファは少し嬉しかった。

 上空の白い小鳥たちを追って歩きながら、ミンファが尋ねる。

「そういえば、黒い森の呪禁師って、女性なのですか?」

 エディルはしばしば「彼女」と言う。

「ああ。夢の中で私の首を絞めて呪いをかけていたのは、黒いフードの……老婆のような、妖艶な美女のような、よくわからない顔の女だった。目が覚めてからは、苔の匂いや薬草の匂いが全身に染み付いていたのだが、女官たちは誰もそんな匂いはしないと言って相手にしてくれなかった」

「それって、殿下の体は宮城にあって、生霊だけが呪禁師のところへ呼ばれて行ったということですね」

「宮城には道士たちの結界があるのに?」生霊と言われて嫌な顔をしたエディルだが、「そういえば、どこかに無意識に結界を通り抜けるまぬけな巫女もいたな」

 そうつぶやき、王室顧問道士の常識が通用しない呪術も多いのだと納得したようだった。

 ミンファは、言い返しても不毛なので口を閉じた。

 上空の白い小鳥たちは、旋回しながらも森の奥へとふたりを導く。

 途中、なんとか歩いて渡れそうな小川にさしかかり、エディルはミンファに手を貸してくれながら言う。

「マヤが亡くなったのは、九年前だと言ったな」

「あ、はい。叔母から、そう聞いています」

「父親は?」

「ふたりとも事故で亡くなったそうです」

「一緒に?」

「たぶん」

 自分の両親のことなのに何も知らなくて、ミンファは情けなくて声が小さくなった。

(でも、訊けばケイト叔母さんが泣いちゃうし)

 小川を越えたエディルが、足を止めて言う。

「マヤが私のために王都に来てくれたのも、九年前だ。そのとき、夫もあとから来るので王都を案内してあげるのだと言っていた」

 そう言ったマヤの幸せそうな顔を思い出したのか、エディルは口元に笑みを浮かべ、だがその笑みはすぐ苦々しいものに変わった。

「それって……」

「もしかすると、ふたりは王都から帰る途中で事故に遭ったのかもしれない」

「…………」

「だとすれば、おまえの両親が死んだのは私のせいだ。すまない」

 頭を下げるエディルを前に、ミンファは何を言われたのかすぐには理解できなかった。やがて、ようやく理解して、同時に心があわあわと慌てふためく。

「あの、そのとき事故に遭ったのかどうかはわかりませんし、もしそうだったとしても、殿下の責任ではないですよね?」

「私のために王都に来なければ、事故に遭うこともなかった。つまり、私はおまえの両親の仇だ」

(飛躍のしすぎです!)

 そう叫びたかったが、エディルは真剣なまなざしでミンファに向き合っていて、否定の言葉など受け付けてくれなそうに見えた。

「だから、もしもおまえが両親の恨みを果たしたいと望むなら、私はおまえに討たれよう」

「やめてください。それで王弟殿下を襲ったりしたら、私は謀反人ですよぉ」

 茶化すように言ってみても、エディルは笑いもせずに食い下がる。

「しかし……」

「あの、そもそも何があったのだとしても、母は絶対、殿下を恨んだりしていません」

「そんなこと、おまえにわかるものか」

「わかります! だって、この玻璃の勾玉は、母が亡くなってからもずっと殿下を守ってくれていたのですよね? もしも恨んで死んだのなら、この勾玉だって変わっていたはずです!」

 口からの出まかせだったが、あながち間違ってはいないとミンファは思う。

「……そうだろうか」

「ええ、そうです」

 ミンファはきっぱり言い切った。

 母の記憶など、どれが自分自身の記憶で、どれが叔母から聞いた話を頭の中に思い描いたものか、もう区別もつかなかった。それでも、母はたとえどんな事情で亡くなることになったのだとしても、エディルを恨んだりしないだろうと、根拠もなく確信できる。

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