第2話 承
「おまえ、なまえは?」
「■■。君は?」
自分の名前を口にしてから僕は彼の名前を聞き返した。
友達の初歩は、まず自己紹介からだということぐらいは僕だって知っている。こちらの名前は教えたのだから、相手の名前を聞き出すことは当然の権利と言えた。
「なまえはわすれた」
しかし、彼はそう言って首を振る。
友達の初歩から躓いて、僕はがっくしくる。
「それ、ずるい。こっちは教えたのに」
「わすれたもんはしかたない」
なんだか納得がいかないものを感じ、僕はしばらく不満から唇を突き出していた。が、ふと、いい考えが思いついて、それを口にした。
「じゃあさ、僕が名前つけてあげようか? 君の名前」
口にしてみてあらためていい考えだ、と僕は思った。
そうすれば、君、という言い方をしないで済むし、僕は妖精の名付け親になれる。妖精の名付け親だなんて、億稼ぐスーパースターだって経験できるようなことじゃない。一生、自慢できることだ。
しかし、そんな期待をよそに、小さな友人はこれにも首を振った。
「それはだめ。なまえはうまれもったものじゃないといけない」
彼にはなにやらこだわりがあるらしく、僕の名づけを断る。
まだ粘ろうとして、
「でも、今はないんでしょ?」
と言い募る。しかし彼はそっけなく返した。
「ないんじゃない。わすれただけ」
思わずしょげる僕。それに対して彼はにっと笑い、
「ま、あそんでるうちにおもいだすさ」
そう言って、狭いオブジェの中から脱け出して、外へと飛んで行く。僕も慌てて中から這い出して、彼の姿を追う。
彼は、公園のご神木近くに漂っていた。
ご神木の周囲は柵で囲われていて、当然中に入ってはいけないことになっている。
学級委員長のような気分で、僕は注意する。
「そこ入っちゃダメなんだよ。かみさまの木だから」
実際、入っているところを隣の神社の神主に見つかれば大目玉間違いなしだった。ことに僕は、大人に怒られて平気でいられるほどの図太い神経を持ち合わせていない。
半分は保身のために、そう言っていた。
すると彼は、そんな僕の心根を見抜いたかのような目つきをして、笑った。
「なんだ。いくじなしだな」
そして、そんな雑な挑発に乗せられるのが僕だった。
「そんなことないっ」
気づけば声を荒げて、柵を大股にまたぐ。
ふよふよと浮いている彼は、それを見ては楽し気に言った。
「おにごっこな。おまえがおに」
言うが早いが、彼はご神木の周りを沿って飛び始めた。
ひとたび柵を越えてしまえば、もう引っ込みがつかない。僕は彼の言うとおりに素直に鬼役へと徹した。
彼の飛ぶ速度は、そこまで速くなかった。しかし、遅いというわけでもなく、こちらが全力で走っても、ぎりぎり追い付けないぐらいの速さで幹の周りを飛び回っていた。
僕はそれを追いかけて、ぐるぐると幹の周りを走る。
右へ二周、左へ三周、今度は右へ七周、最後に左へ四周。
そこまで走って、ようやく飛ぶ速度の落ちた彼を、僕は手の中へと捕らえることができた。
「やった! つかまえた!」
僕は嬉しくて、満面な笑みを浮かべながら勝利を宣言した。友達とのおにごっこなんて、幼稚園のお遊戯以来のことだった。しかも、相手は絵本の登場人物、妖精である。喜びもひとしおだった。
僕の手のひらの中で、
「うあー、つかまった」
などとわめいている彼の姿がなんともおかしい。
僕はすっと手のひらを開く。彼はまたふよふよと宙を浮き言った。
「じゃあ、次はぼくがおにだな」
役割を交代して、今度は公園全体を使って鬼ごっこをした。
代わりばんこに鬼をこなしていき、通っていない場所がないほどにそこらじゅうを走り回り、そして気付けば、日が暮れかけていた。
楽しい時間というのはあっという間に過ぎ去るものなのだ、と当時の僕は子ども心ながらに思ったものだ。
子どもの帰宅を促す鐘が、遠くから響いてきた。その音に驚いたのか、どこかからカラスが鳴きながら飛び去っていくのが見えた。
「あ、僕、そろそろ帰らなくちゃ」
僕は後ろ髪を引かれる思いで、彼を見た。
ここで帰ってしまえば、もう、この不思議な友人とは会えないかもしれない、という不安があった。ようやくできた友達だったのだ。これっきりにはしたくなかった。
――また明日。
なかなか出てこない僕の言葉に先回りして、彼は小さな手を振って言った。
「また明日な」
◇
次の日の放課後、僕が慌ただしく公園を訪れると、彼は言葉通りにふよふよと浮いてそこにいた。
それだけのことがとても嬉しく、僕は勢いづいて尋ねた。
「今日は、何して遊ぶ?」
すると彼は、その小さな身体のどこに隠していたのか、一枚の色あせた紙を取り出した。公園に備え付けられたベンチの上へとその地図を広げる。
「今日は、たからさがしだ」
見ると、この公園と神社の俯瞰図のようなものに、丸印がつけられていた。
「かくしたのを、ぜんぶ見つけられたら、■■の勝ち」
もちろん、やらないなんて選択肢は僕にない。腕まくりをしてさっそく宝探しに挑みかかった。
宝の数は四つ。彼は東西南北にひとつずつ隠したらしかった。
最初の宝は、すぐに見つかった。
いつも僕が入り込んでいた白いオブジェの地面に、あからさまなバツ印が刻まれている。僕は犬のような勢いで、両手を使って地面を掘り起こした。
するとふいに、掘った場所から煙のような白いもやが立ち昇る。なんとなしに指を突っこんでみると白いもやは煙とは違い弾力のある触感があった。
「一こ目はかんたんだったな」
彼の声に、僕は振り返る。
「なに、この白いの?」
尋ねると、なんてこともないように彼は答えた。
「印だよ」
「印?」
「ここはぼくらのものだって印」
僕は少し考えこんで、こう言った。
「僕らの陣地ってことだね」
「そうとも言う」
笑う彼の顔を見て、白のオブジェは本来であれば僕の居場所だったが、彼は入れてやってもいい、友達だし、なんてことを思っていた。
そのあと、僕は他三つの印もそうそうに掘り起こし、公園には計四本の白いもやが立ち上った。
「占領完了!」
そう言って振り返ると、彼は嬉しそうに僕の名前を呼んだ。
「■■」
「なに?」
「ありがとう」
なぜ彼が礼を言ったのか、僕はよくわからないままに、
「どういたしまして」
そのあとも、日が暮れるまで彼と遊び、再会を約束して家に帰った。
◇
「今日は何する――あれ?」
放課後、公園にやってきた僕は彼の姿を見て違和感を覚えた。
相変わらず彼は蝶のような羽根をパタパタと揺らして空中に浮いている。そのことに変わりはない。
「君、大きくなったよね」
彼は当初、手のひらくらいの大きさだった。
しかし、僕の目の前に浮いている彼は、どう見ても赤子ほどの大きさがあった。
彼はあっさりとした顔で、
「成長期だよ」
なんて言っているが、一日そこらで育ちすぎなようにも思う。
しかし、僕は気にしなかった。
よく知らないが、妖精なのだから、急成長することもあるのだろう。
「今日はだるまさんがころんだをやろう」
「いいよ。どっちが鬼?」
「鬼はぼくらじゃない。あの男にしよう」
いつもの調子で彼は遊びを提案し、そして神社の境内を竹ぼうきで掃除する中年男性を指差した。
白衣と袴姿の、少しこわもての大人。公園と隣接した神社の神主だった。
「どういうこと? 鬼やってって頼むの?」
「違う違う。あいつにバレないように後ろから近づいて、さわることができたら勝ちって決まりだよ。ちょっとした度胸くらべさ」
「ええ……」
正直、気が乗らなかった。
神主とは話したことはなかったが、見るからに厳しそうな顔をしている。自分をだしにして遊んでいるとバレたらめちゃくちゃに怒られるかもしれない。
明らかに気が進まない様子の僕をよそに、彼は、
「まあ見てろって」
そう言ってこちらに背を向ける神主に向かってすっ飛んで行く。あっという間もなかった。
彼はぐんぐん境内の掃き掃除をしている神主に近づいて行く。
そのままストレートで神主のもとにたどり着くかと思われた瞬間、ふいに神主が彼の方を振り返ろうとした。
僕は思わず「あ」と声を漏らした。
バレる。そう思った。
彼は身を隠すもののない空中に浮いている。鳥か何かかと勘違いするには、赤子ほどの大きさの彼は大きすぎる。
まずい。
なにしろ彼は妖精なのだ。その希少価値は計り知れない。バレれば、神主に取っつかまってたちまちどこかの研究機関に売り払われるかもしれない。
そんな想像に不安になり、とにかく自分がなんとかしなくてはならないと思って、僕は足を踏み出した。
そう意気込み、しかし、不安は杞憂であることをすぐに知った。
僕の視界から、彼の姿がこつぜんと消えたからだ。
当然、ふり返った神主の視界にも彼は映らず、神主は何ごともなかったように境内の掃き掃除に集中していた。
何が何だかわからないままに、彼が消えたあたりを凝視していると、そのうち再び神主が振り返る。
すると消えた位置から彼が現われた。そして彼は、驚いている僕をよそになんなく神主の肩に触れるとふよふよとこちらに戻ってくる。
「え、な、なに、今の」
尋ねると、彼は得意げな表情を浮かべる。
「ぼくの能力だよ。動きを止めている間は、誰にも認識されない。最近使えるようになったんだ」
「能力って」
その響きには、なんだか男心をくすぐるものがあった。妖精はなんでもありとはいえ、まさかそんなものまで持ち合わせているとは。僕は少しばかり、興奮していた。
「さ、次は■■の番だぜ」
しかし、そんな興奮も、彼に促されたことで、すぐに醒める。
「え、無理だよ。僕にはそんな能力ないし。バレちゃうよ」
何しろこちらはただの人間なのだ。そんな素敵能力の持ち合わせはない。
けれども彼は、大丈夫だと言わんばかりの仕草で僕に向かって背中を向け、そこに生えている羽根を示した。
何ごとかと思って、その背中をよくよく見れば、何やら虹色の光の粒のようなものが宙に舞っている。彼は返事を待たずに周囲をぐるりと飛び回り、その鱗粉のような粉を一気に僕へと振りかけた。
彼は言う。
「これを纏えば、■■も姿を消すことができるから」
疑り半分で僕は動きを止めてみる。
すると、本当に僕の視界からも、僕の姿が消えた。
このときの興奮ったら、なかった。
妖精と出会っただけでも相当だったが、自分で実際に体験するのはなかなかの衝撃を伴った。
僕は一気にテンションがあがり、平静を失い、
「すごいよ、これなら楽勝じゃん」
と彼へと軽く抱き着いて見せる。
彼はくすぐったそうな顔をして、僕の耳元で囁くように言った。
「さわる時には、――って同時に言うと良いよ」
僕はうなずき、神主の背へと駆け寄った。時おり神主は振り返るが、その都度動きを止めれば相手は気づけない。消えたり現われたりする自分の身体を楽しみながら、僕はあっという間に神主のもとへとたどり着く。
背中にふれ、そして僕は言った。
「――」
このとき、僕が何を言ったのか。
なぜだかどうしても思い出せない。
それはこのあとに公園に戻り、彼がとつぜん「思い出した!」と言い出したあとの印象が強かったせいもあるかもしれなかった。
「どうしたの」
僕が尋ねると、彼は嬉しそうに言った。
「ぼくの名前だよ。まだ完全じゃないけど思い出した」
「ほんと?」
初日に、名前を聞けなかったことを、実のところ結構気にしていた僕は、思わず身を乗り出した。
君、と呼んでそれなりに楽しく過ごしてきたけれど、やはり名前を呼び合ってみたいという気持ちも、決して小さくなかったのだ。
「本当だよ。だから、教えてあげる。友達だからな」
彼のまっすぐな言葉に僕ははにかむ。
そして、彼は僕の目をまっすぐに見つめて言うのだった。
「ぼくは『ミウ』だ。あらためてよろしく」
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