吾子枯れ
すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもって育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
「では、本当によろしいのですね」
「はい」
1歳6か月児健康診査のとき、小児科の先生に紹介された、乾眠手術の先生の説明を聞いた。
乾眠。
クリプトビオシス。
生命活動の停止。
死ぬ、わけじゃない。
間眠。
ちょっと、少しの間、お昼寝をするだけ。
胎児から、生後二か年の子どもは、大人に比べ、筋肉組織や神経回路の組成が単純であるため、可塑性を持ち、特殊な乾燥手術を受けることができる。
通称、クリプトビオシス手術。
分子構造の中の水が、ラクトースに、結晶構造が、組成のうち水の割合が大人より多く。
などと、先生の説明をひとしきり受ける。
息子は、私の腕の中で、すやすやと眠っている。
子どもの重さ、温かさ。
なんだか、眠くなってきた。
これは、子どものため子どものため子どものため。
私はそう自分に言い聞かせて。
書類にサインをした。
「それでは、お母様、これは、規則ですので」
おそらく、私の母よりも年上の看護師は、ちょっとしかめた表情で、私に言った。
「手術は成功してます。入院前、最後に、お母様に抱いていただき、入れていただくようになっております。こちらが、ひまわり君です」
乾燥。乾眠し。分厚く半透明で、白く濁った、ポリエチレンでラミネートされた。
真空パックされた、我が子のミイラ。
10kgあった体重が、ああ、こんなにも軽くなって。
いけない、こと、なのかもしれない。
肩の荷がおりた。
そう思ってしまった。
「では、このエンバーミング液に、お漬けになられてください」
水よりも、密度の大きいはずの、オリーブオイルに似た液体に、息子は、沈んでいく。
「それでは、お閉めいたします」
息子の入った、金属製の円筒容器の蓋がしまる。そのまま、安置室に入れられる。
キュるキュると、冷たい銀色のハンドルが、自動で締まっていく。
「次の方が来られるまで、一時間ほどであれば、この室にご滞在いただいても構いません」
私を、私一人を残し、看護師は出ていった。
ビビットとディープの、二種類の緑のパネルが、菱敷かれた床。
眩しいほどの白い光が天井から降っている。
壁には、無数の銀の、小さな直方体の扉。
死体安置所で、巨人になった気分。
私は冷たい空気を吸った。
肺が、大きく、大きく、大きく。
私は巨人だから、この清らかで、白い空気を、どこまでもどこまでも、いつまでも。
吸え続ける気がした。
ひとりで上手に歩きますか。
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