第2話 変容



 誰にも似ていない娘を、それでも、赤子のころから実の子として育てた。愛していないわけではない。だからこそ、自分の娘じゃないんじゃないかと考えるのが苦しかった。どうでもいい存在なら、はなから悩みはしない。なんならDNA検査してもらえば、真相はわかる。ハッキリさせてホッとしたい気持ちもあれば、もしもほんとに娘が拓司の実子じゃないとつきつけられたら……そう思うと、どうしても決心がゆらぐ。そんなことになれば、どうしていいかわからないからだ。美乃梨がよその子でも、これまでどおり育てるべきか。綾華と別れる選択肢はない。綾華を愛しているのだ。でも、美乃梨がほかの男の子どもだとわかれば、娘として変わらず愛することはできないだろう。だから、二の足をふんでいる。


 だが、そんな悩みなど小さなものだとわかった。今となっては、むしろ、そのていどですんでいた当時に帰りたい。そしたら、素知らぬ顔でカッコウの巣を演じるのに。


 事態が一変したのは、一年前だ。美乃梨が中学一年生、十三歳の誕生日を迎えたその日。数日前から、綾華の機嫌がやけによかった。いつも物静かな彼女にしては、ソワソワして気味が悪いほどだった。


「あなた。次の日曜はお休みよね? 接待とか入ってないでしょ?」

「ああ。なんで?」

「なんでじゃないでしょ? 娘の誕生日なのよ」

「ああ……そうだったね。プレゼント買っとかないとな」

「ただの誕生日じゃないのよ。美乃梨は十三になる。一人前になるのよ」

「ああ……」


 それはいわゆる元服だろうか? 拓司も中学のころ、学校から一学年そろって神社へ行き、元服の式をとりおこなわれた。女子は裳着もぎ、髪上げなどとも言うらしいが、年齢的には十二、三から十六のあいだくらい。昔の成人の儀式である。元服の習慣が始まった平安時代は平均寿命も短く、女は三十で老婆と言われていた。現代では十三はまだ子どもだが、その昔はほんとに大人として認められる年だったのだ。


 妻の言葉はたまに理解しがたい。たとえば、まだ美乃梨がほんの幼いころ、一度だけ、それとなくさぐってみたことがある。美乃梨の容姿について、夫婦のどちらにも似てないと暗に匂わせた。が、返ってきたのは思いがけない言葉だった。


「ごめんなさいね。たしかに、あなたにはあまり似なかった。わたしが子どものころにそっくり瓜二つだもんね。ちょっとだけでも、あなたに似たとこがあればよかったけど。うちって、そういう家系なの。子どもはみんな、母親に生き写しになってしまうのよ。イヤだった?」

「イヤじゃないけど……」


 綾華が本気で言っているのか、かなり戸惑ったものだ。どう見ても絶世の美女の綾華に、美乃梨は毛筋ほども似たところはない。なのに自分にそっくりだという。


 だが、何もかも真実だったのだ。綾華は決して嘘をついてはいなかった。不信感を内に秘めながら迎えた娘の誕生日。豪華なご馳走にロウソクを立てたホールケーキ。


「ねえ、お母さん。前におばあちゃんがね。話してくれたんだよ。わたし、お母さんが小さかったころにそっくりだって。大人になったら、お母さんみたいな美人になれるって。ほんとかな? ほんとにキレイになれる?」

「もちろんよ。楽しみにしていてね。あなたもやっとなのよ」


 五千円の図書カードをプレゼントした拓司と違い、綾華が娘に贈ったのは高級メーカーの基礎化粧品とメイク道具一式だった。すぐに明日から必要になるからと。


 翌朝。いつものように拓司は目をさました。憂鬱な月曜日と世間では言われる。週末の休息のあと会社や学校へ行くのは、ふつうの人には苦痛なのだ。拓司はむしろ安心したが。家庭にいて、似てない娘を見ながら、妻の不貞を疑うよりは、仕事をしてるほうがずっといい。


 しかし、その日の朝は違った。洗面所から鼻歌が聞こえた。娘の声だ。自分が父にも母にも似ていない自覚は娘にもあったのだろう。地味な容姿にコンプレックスをいだき、物おじばかりするおとなしい子どもだ。父親である拓司の前では、とくに目立たないよう気をつかっている。それが、いつになく浮かれていた。


 洗面所のドアをあける前、拓司は深呼吸した。娘の遺伝子に疑念を持ってるなんて気づかれてはいけないからだ。表面上はふつうの父親であろうという努力はまだ続けていた。毎朝、最初に顔をあわせる前には緊張する。呼吸を整えてからドアをあけると、美乃梨のうしろ姿が見えた。中学の制服を着ている。いつもはツインテールというのか? 二つわけにして結んでいる髪を今日はといている。うしろ姿はいつもの娘だ。しかし、その鏡に映るおもてを見て、拓司は驚愕した。


「……み、美乃梨?」


 娘は昨日、綾香にもらったばかりの化粧品を使ってメイクしている。しかし……しかし、その顔が、違うのだ。


「あ、パパ。おはよう!」


 パパ? おはよう? いつも、オドオド、目をあわせないようにしてるのに? いや、というか——


(おまえ、誰だ?)


 ギュッと食いしばった歯列の裏までこみあげてきたその言葉を、なんとか飲みこんだ。声、背格好、着ている服、髪の色、小ぶりな輪郭は美乃梨だ。でも、その輪郭の内側にあるものは、昨日までとまったく違う。別人の顔だった。いや、ある意味、見おぼえはある。もしも綾華が十代だったら、こんな顔立ちだったろうと、ひとめでわかる美少女がそこにいた。


 キッチンからやってきた綾華がクスクス笑っている。


「あらあら。美乃梨。学校に行くのに、あんまり派手なメイクしちゃダメよ? お父さんが変身したあなたを見てビックリしてるじゃない」

「だって、メイクってこんなに楽しいと思わなかったんだもん」

「女は化けるものよ。ね、あなた?」


 化けるなんてものじゃない。整形したって、こんな美人になれるわけがない。娘は一夜にして、地味なイモムシから華麗な蝶へと羽化したのだ。

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