終章 笑う門には福来る

第45話

さちは今日もぬらりひょんの屋敷の台所に立っている。


 とんとんと野菜を切り、くつくつと鍋で煮込んでいると、さちの心は落ち着く。


「ちょっと、あんた。こんなところで何をやってるんだい?」

「あ、おりんさん。今日はごはんをどうされますか?」

「『今日のごはん』も何も、あんた、今日がなんの日か知ってるだろ?」

「はい、もちろん知ってますよ。でもそんな日だからこそ皆さんのお食事をお作りしたくて」

「あんたのそういうところ嫌いじゃないけどさぁ……。さちは、きょうは花嫁さんだろ!? 花嫁は準備が多いんだから、さっさと行くよ!」

「おりんさん、待って、まだ火が」

「そんなの化け火に頼んでおきな!」


「ごめんなさい、化け火さん。かまどの火だけは止めておいてね」


 半ば強引に、おりんによって連れていかれたさちの背中を、かまどの中の化け火はパチパチと火花を散らしながら見送った。「彼女が戻ってきたら、すぐに作れるように種火だけは残しておこう」と思った。さちが嬉しそうな顔で料理をする姿が、化け火は大好きなのだから。



 今日はさちとぬらりひょんが祝言をあげる日。

 ぬらりひょんがさちに求婚したことで、ささやかでいいから祝言をあげてやりたい、とあやかしたちに相談したことで決まった。

 そして今日は、さちが十八歳の誕生日を迎える日。

 誕生日を祝言としたのは、自分の妻がこの世に生まれ出た日を、大切な記念日としてやりたいと、ぬらりひょんが願ったからだ。




「それでは皆様、花婿さんと可愛い花嫁がこちらに参ります。温かくお迎えくださーい」


 ろくろ首のおりんが、はりきって祝言の仲人役を務め、さらには司会進行役まで担っている。

 祝言の場にいたのは油すまし、一つ目小僧、ろくろ首に、飛び入り参加した化け火だけ。さちがよく知るあやかしたちだ。

 さちの父である壱郎は体調が優れぬため、式には出ないが、二人の結婚式を心から喜んだという。

 祝言はささやかなものでいい、と願ったのはさちだった。父の体調と九桜院家のことを思えば、内輪だけで祝ってもらえれば十分だと思ったのだ。

 花嫁衣装は父から娘への唯一の贈り物である、白無垢の着物だ。これもまた花嫁であるさちの希望である。お化粧のみ、おりんにしてもらって、あとはさちが初めてぬらりひょんの屋敷に来たときと全く同じ姿だ。

 対し、いろいろと面倒だったのが花婿である、ぬらりひょんだった。


 和装である紋付の羽織袴など恥ずかしくて今更着たくないと、ごねたのだ。おりんや油すましのとりなしで、普段着でも何でもいいから、まずはさちと一緒に並んで式に出てやれ、と説得した。


 油すましは、ほっと胸をなでおろしたが、あきらめきれないのはおりんだった。普段着ではあまりにさちがかわいそうと呟き、ひとりで果敢にぬらりひょんと話し合った。その結果……。


「わぁ、さち姐さん、白無垢が似合って綺麗でやんすねぇ……って、おやびん!? なんすか、そのかっこう!」

「めでたい席は酒がすすむねぇ……んぁ……ぶはぁ!! おい、ぬらりひょん、なんだ、それは!!」


 油すましが盛大に酒を吹き出したのは、ちょっとした訳があった。


「やかましいぞ、おまえたち。わしの晴れ姿でも拝んで、おとなしくしておれ」


 長身に白い髪、整った顔立ちの姿で、油すましと一つ目小僧に文句をいったぬらりひょんだったが、その姿は普段とは真逆だった。


 ぬらりひょんはなんと、洋装の礼服タキシードを着ていたのである。浅黒い長身に洋装の礼服が、憎らしいほどよく似合っていた。


「だってよぅ、ぬらりひょんが洋装を着てるんだぜぇ!? いや、そもそも花嫁が和装なのに、花婿が洋装っておかしくねぇか?」


 油すましが酒を注ぎ直しながら、ぶつぶつとぼやいた。


「あんた、遅れてるねぇ。人間の世界じゃあ、洋装と和装をうまーく取り入れた祝言が人気になってきてるんだよ。花嫁が和装で、花婿が洋装ってのも珍しくないのさ。知らないのかい?」

「今どきの人間の祝言の事情なんて、おれが知るわけねぇだろ……」


 明治時代に入った頃より、祝言の様式も少しずつ変わってきている。

 西洋の様式を少しずつ取り入れていくようになっていた。記念写真だけ一部洋装だったり、花婿や花嫁だけ洋装だったり、白無垢の着物に頭に白いウェディングベールをつけたりといった感じで、その様式は様々だ。ハイカラでモダンな洋風をうまく取り入れる夫妻が少しずつだが増えていた。


 ハイカラなものが好きなぬらりひょんを説得するため、おりんはどこからか男性用の洋装の礼服を仕入れてきた。

 それを片手に、ぬらりひょんをにらみつける。


「いいですか、ぬらりひょん様。祝言の主役は花嫁ですが、花婿の衣装だって大事なんです。衣装ひとつで雰囲気が変わってしまうんですから、当然ですよね。そこで御用意させていただいたのが、こちらの洋装の礼服タキシードです。これを見事に着こなしたら、さちだってきっと惚れなおしますよぅ~。それとも着こなす気概を、おもちじゃございませんかぁ?」

「ぬぅぅぅ~」


 ぬらりひょんの自尊心プライドとさちへの愛を巧みに刺激して、おりんはぬらりひょんに洋装の礼服を着させることに見事成功したのである。


「ぬらりひょん様、とっても、とっても素敵です……。まるで西洋の紳士みたい……」


 自分が主役なのも忘れ、夫であるぬらりひょんのタキシード姿にうっとりと見惚みほれるさちだった。


「ぬぅ、洋装とやらは窮屈でいかんのぅ。さちのためでなければ、こんなもの絶対に着なかったぞ。これで最後にするとしよう」

「え、最後にされるのですか!? さちは嫌です、さびしいです……。ぬらりひょん様の洋装をもっと、もっと見たいです……」


 花嫁がかくんとうなだれてしまったため、ぬらりひょんは慌ててさちをなぐさめる。


「わかった、わかった。この姿の時だけ、たまには洋装も着てやろう。ただし、さちも着るのだぞ?」

「え、私みたいに地味な人間に洋装なんて似合いませんよ。ぬらりひょん様だけで十分です」

「わしの目の保養、いや、楽しみがなくなるではないか。さちはきっと西洋の洋服も似合うはずだ。良いな、わしと一緒に必ず着るのだぞ?」

「はい、ぬらりひょん様がそうおっしゃるのなら」


 頬を赤く染めたさちが、ぬらりひょんを嬉しそうに見上げる。ぬらりひょんは満足そうに微笑んだ。


「あの~おふたりさん。いちゃつくのも結構ですが、祝言をすすめさせてよろしいですかぁ? あ~お熱くてやんなっちゃう……」


 さちとぬらりひょんの会話を見守っていたおりんだったが、放っておくと、いつまでもいちゃついていると思ったようだ。


「おお、これはすまんの、おりん」

「おりんさん、ごめんなさい。今日はよろしくお願い致します」


 さちとぬらりひょんの祝言が、ごく一部のものだけで始まった。


「はーい、本日めでたく御夫妻となったふたりのため、あたしと一つ目小僧とで、ごちそうを用意させていただきました。といっても、さちにシチューとコロッケ、サラドの作り方を教わって、作ってみただけですけどねぇ。さちほど上手じゃないと思いますが、どうぞご賞味あれ」


 特別に用意された洋式のテーブルの上には、さちがこれまで作ってきたハイカラ料理がずらりと並べられていた。作ったのはさちではないが、さちの思いが込められた料理ばかりだ。


「わぁ、こんなにたくさん! ありがとうございます、おりんさん、一つ目ちゃん!」

「いいんだよ、これでもさちの姐さんだからねぇ」

「あれぇ、年齢的にさち姐さんのお母ちゃんのまちがいじゃないんですかい?」


 余計なことを言って、おりんによって頭をこづかれる一つ目小僧だった。


「ともあれ、我々の祝言をこうして祝ってくれてありがとう。心から礼を言う。さちとわしは夫婦として共に生きていく。どんな困難にも負けず、笑いながら生きていきたいとさちと決めたのだ」

「皆様、よろしくお願い致します」


 さちとぬらりひょんは共に、丁寧に頭を下げた。


「いいんですよぅ、おやびん、さち姐さん。おいらはこれからも、うまいもんが食えたらそれでいいんですぅ」

「おれは酒だな。うまい酒が飲める肴があれば他はいらん」

「頼まれなくったって勝手にやらせてもらいますよ」


 祝言と言っても、堅苦しいものは何もない。見知った者たちで賑やかに、和やかに、祝いの席が盛り上がる。


「私、この日を生涯忘れません。何があっても生きていけます」

「そうさな、わしもさちの白無垢姿を目に焼き付けておこう」


 二人は互いに手を取ると、共に歩んでいくことを誓い合った。この先もきっといろんなことがあるだろう。蓉子のことも、まだ終わってはいない。それでも今は、共に生きていく喜びをみなと分かち合う。

 さちとぬらりひょんは手を重ね合い、共に生きることを誓った。



 

 **



 これはまだ人とあやかしが共に生きていた頃の御話。

 あやかしが少しずつ人々から離れていった時代の御話。

 時は変われど、生きていく場所は変われど、人もあやかしもまことの心は変わらない。邪悪な心をもつ者もいれば、善良な心をもつ者もいる。だからこそ生まれた絆や家族を大切に守るのだ。


 辛いことがあっても楽しいことがあっても、大切な者たちと心と力を合わせ、生きていこう。共に笑い合うために──。



 


   了

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