第10話
「寝てしまったか」
蔵から持ってきた酒を飲みながら、ぬらりひょんは眠っているさちを見て呟いた。
さちはその日、コロッケを作れるだけ作り、ぬらりひょんたちと共に食した。笑顔で食事をしただけのことだったが、さちにとっては至上の喜びだった。お腹いっぱいになったさちは、同じように腹がはち切れそうなほどコロッケを食べた一つ目小僧と、肩を寄せ合うように寝てしまった。
「どれ、布団で寝させてやるか」
ぬらりひょんは立ち上がると、すやすやと眠る、さちをそっと抱きかかえた。小柄な体はふわりと持ち上げられ、さちは無意識のうちにぬらりひょんの体に顔を寄せる。
「ん……」
「ふふ。安心しきった顔で寝ておるわ。なんとも可愛らしいことだ。まだ子どもよの」
ぬらりひょんは愛おしそうに微笑み、自らの寝床へ静かにさちを運んでいく。
「わしの匂いが染みついておるかもしれんが、我慢しておくれよ」
敷いたままになっている布団に、さちをそっと寝かせると、ふわりと掛け布団をかけてやった。
「ぬらりひょんよ、もう嫁と
ぬらりひょんのお酒をちゃっかり飲んでいる油すましが、赤ら顔で問うた。眠りこけている一つ目小僧に自らの蓑をかけてやったようで、上半身が裸になっている。
「先ほど、わしが言ったことが聞こえなんだか? この娘はまだ子どもだ。わしはその辺でごろ寝よ」
「その娘はおまえの嫁なのだろう? ならば、ひとつの布団で共に寝ても問題はなかろう」
「嫁にもらうつもりはなかったのだ。頼まれたから、受け入れただけのこと」
にやけていた油すましの顔から笑みが消えていく。
ぬらりひょんはさちが眠る和室の襖を閉めると、再び腰を下ろした。
「誰に頼まれたのだ?」
興味津々といった様子の油すましは、酒を飲むのを一旦止め、前のめりで聞いてくる。
「九桜院家の当主である壱郎だ。しばらく会っていなかったが、ある日突然、文をよこしてきてな。『何も言わず、娘のさちを嫁にもらってほしい』と。理由を聞こうと思ったが、その前にさちが花嫁姿で来てしまったのだ」
「ぬらりひょんよ、おまえは九桜院家の娘を嫁にもらうという契約を交わしていたのだろう? ならば、『頼まれた』というのは、おかしくないか?」
「あの契約は建前にすぎん。わしが九桜院家の者に少しだけ力を貸してやる代わりに、九桜院家の人間がわしの傍で働く。それだけのことだ。現在当主になっている壱郎も、子どもの頃にわしの小間使いの真似事をしておったぞ。もっとも他のあやかしは、本当に人間の嫁をもらっている奴もいたようだがな。わしはあえて人間の嫁はもらわなかったのだ」
「なぜだ? 人間の嫁はかいがいしく働くと聞くぞ」
役に立つ人間ならば嫁としてもらってしまえば良いと言わんばかりの油すましに、ぬらりひょんは眉をひそめる。
「女人がわしにとって役に立つ存在かどうか、考えたことはない。わしは今までもこれからも、ひとりで生きていくつもりだしの。そもそも人間の女など、家がどうだの、家族がどうだのと、何かと面倒ではないか。使用人ならともかく、人間の嫁はいらん。それに」
神妙な顔つきでぬらりひょんの言葉を聞いていた油すましは、ぬらりひょんが話を止めたことを不思議に思ったようだ。
「それに? 続きはどうした、ぬらりひょん」
ぬらりひょんは腕を組み、やや遠くを見つめながら再び話し始める。
「それにこれからの人間は、あやかしの力を借りずとも、十分に繁栄していけるだろうからな。だから九桜院家とも距離を置き、壱郎とはもう十年以上会ってないのだ」
「なるほど、だからさちという娘が嫁に来たことに驚いたわけか。しかし、ぬらりひょんよ。人間にとって、あやかしはもう不要な存在なのか?」
「今はまだ違うかもしれんが、いずれそうなるだろう」
油すましは再び酒を飲み始め、軽くため息をついた。
「やはり、そういう時代なのか。我らの居場所は、もうここにはないということか?」
「日本はこれから、もっともっと変わっていくであろうからな。おそらく変わっていくのは日本だけではないはずだ。鎖国をしていた時代ならともかく、今は世界にも進出しておるし、そこに我らあかやしの出番があると思うか?」
油すましはそれ以上何も言わなかった。酒を飲む速度が増していく。ぬらりひょんも再び酒を飲み始める。
「さちを嫁にもらうつもりなど正直なかったが、あの娘、おそらく居場所がないのだろう。生家であるはずの九桜院家でも、酷い扱いを受けていたようだし」
「あの手の荒れようや体つきを見れば、おれもそれぐらいわかるさ」
「わしが知っている壱郎は、後妻の子とはいえ、自らの娘にきつくあたる男ではなかった。九桜院家に何かあったのかもしれん。調べてみるつもりだ。詳しいことがわかるまで、さちはここに置いてやるつもりだ」
「では、あの娘は預かっているだけ、ということか?」
「そうなるな」
「そのわりに、ずいぶんと情が移っているように思えるがなぁ?」
ぬらりひょんは軽く咳き込み、頬を赤く染めながら、ごまかすように酒をあおった。
「からかうな、油すまし。さちは愛らしい娘だが、まだ子どもだと何度も言っている。あどけない顔で眠っているのを、おまえも見たであろう? 子どもを本当の嫁として扱うつもりはない」
きっぱりと言い切ったぬらりひょんであったが、その顔は赤く、本心なのかどうかわからなかった。
「確かに今は幼さが残る少女かもしれんが、女は変わるぞ? おまえが一番よく知っているだろうがな」
「子供をどうかするほど落ちぶれてはおらんよ。ともかく、さちには優しくしてやってくれ」
「おれは美味い飯と酒があれば何でもいいさ」
ぬらりひょんはそれ以上何も言わず、静かに酒を飲んでいる。何事か考えている様子だ。油すましも口をつぐみ、ぬらりひょんに酒を注いでやった。
すっかり暗くなった空には満月が輝き、二人の男を静かに見守っていた。長い夜になりそうだ。
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