第4話

次の日の早朝、さちは実の父である壱郎に呼び出された。使用人たちがまだ眠っている時刻に、さちだけをひっそりと呼んだのだ。


(旦那様、どうしたのかしら。私を呼ぶときは昼間だけなのに)


 その日はさちの十七歳の誕生日。ほんのわずかだけ、期待に胸をふくらませてしまう。


「旦那様、さちでございます」


 壱郎の書斎の前で、自分が来たことを小声で告げた。


「さち、来たか。音を立てないよう、静かに入りなさい」

「失礼致します」


 書斎の扉を開けると、朝日を浴びた壱郎がさちを待っていた。朝の光が眩しいせいか、壱郎の顔がいつになく優しく感じられた。


「さち、こちらへ来なさい」

「は、はい」


 戸惑いながら、父である壱郎の近くに歩み寄る。


「大きくなったな、さち。いくつになった?」


 さちの目の前に立った壱郎は、さちをじっと見つめている。


「今日で十七歳になりました」

「そうか、十七か。もう小さな子どもではないのだな」


 さちを見る壱郎の視線は、宝物を愛おしむように温かく感じられた。愛娘を思う父の姿のように思えて、さちはつい、「お父様」と呼びたくなってしまった。


(一度だけ、一度でいいから、お父様とお呼びしたい)


 さちが父と呼ぶよりも前に、壱郎が冷ややかに告げた。


「今日で十七になったのならば、おまえの嫁入りの時がやってきたということだ。さち、役目はわかっているな?」


 壱郎はさちの誕生日を祝うつもりなど、まるでなかった。十七歳になった日に呼び出したのは、嫁入りを告げるためだったのだ。壱郎にとってさちは娘であるよりも前に、蓉子の身代わりでしかないという現実を突きつけられた気がした。目に涙がにじんでくるのを感じ、さちは慌てて顔を下に向けた。指先で涙を拭い取ると、懸命に笑顔を浮かべながら顔をあげる。ぎこちない微笑みだったが、今のさちができる精一杯の笑顔だった。


「はい、旦那様。さちは蓉子様の身代わりです。あやかしの総大将である、ぬらりひょん様に嫁入りし、この身を喰らってもらうのが定めです。全ては九桜院家の繁栄のため。さちは喜んでこの身を捧げます」


 誰も祝ってくれない誕生日を迎えたさちは、父である壱郎からついに、ぬらりひょんへの嫁入りを告げられた。


「その通りだ。さち、おまえの役目を忘れるな」

「はい、旦那様」

 

 それはこの世に生を受けた、さちの儚き運命。幼き頃より父と姉からくり返し教え込まれ、疑うこともできない少女には、逃げ出すという選択肢さえ考えられないことだった。


「大切なお姉様のためですもの。がんばらなくては」


 いよいよ役目を果たす時がきたと、さちは震える体で自らを奮い立たせた。




 嫁入りの期日が決まったさちは、女中部屋から秘かに別邸へと移された。数人の家庭教師をつけ、最低限の礼儀作法をたたき込まれる。体の寸法に合わせて白無垢の花嫁衣装が用意され、袖を通したさちは、鏡に映る自分の姿に無邪気な笑顔を見せる。


「なんて上等な白無垢かしら。私は花嫁になるのだわ」


 鏡に映る白無垢姿の花嫁は、かすかに震えていた。疑問をもたぬとはいえ、あやかしに喰われる運命に恐怖を感じぬはずがない。


「さち、いいこと。私は蓉子お姉様をお守りするのよ」


 ただひとり自分に優しくしてくれる姉の蓉子の身代わりとなる。それが定めなのだ。さちは震える手で自らの体をさすり続ける。 


 最後に姉との面会を父である壱郎に求めたが、あっさり断れてしまった。


「だめだ。蓉子は婿を迎えて九桜院家を受け継ぐという大事な役目がある。すでに話も決まりつつあるのだ。つまり隠し子である、おまえとはなんの関係もないのだ。おまえは黙ってわたしの命令に従っておれば良い」

「はい、旦那様……」


 蓉子はさちが別邸にいることさえ知らぬという。


 花のようにあでやかで美しく、しとやかで優しい大好きな姉。蓉子のためならば、この身を犠牲にしようとかまわない。さちは心はそう思っていた。さちにとって姉の蓉子は、それほど大切な存在だった。

ふと視線を感じた。父の壱郎が、さちをじっと見つめているのだ。その眼差しは、これまでの厳しい視線とは何かが違っていた。一度も見たことのない父の様子に、さちも疑問に思った。


「旦那様?」


 さちの言葉に、壱郎は我に返ったように厳しい視線に戻ってしまった。


「さち、おまえは良い花嫁となるはずだ。何も考えず、ぬらりひょん様の元へ行くのだ。さぁ、もう行くがいい。わたしも屋敷に戻る」

「あっ、旦那様」


 別れの言葉を伝える間もなく、壱郎は背を向けて行ってしまった。


「最後に一度だけ、『お父様』とお呼びしたかったのに……」


 父と呼べない父親であっても、さちにとっては、たったひとりの父親だ。最後の言葉だけでも伝えたかった。目頭が熱くなってくるのを感じ、さちは慌てて顔を振る。


「大丈夫、いつものように笑っていよう。あやかしに喰われたら、天にいらっしゃる母様にお会いできるかもしれないもの」


 にっこりと無邪気に笑ったさちは、ようやく落ち着くことができた。




 人力車に乗ることになったさちは、カラコロと揺れながら、ぬらりひょんの屋敷まで連れていかれた。人力車をひく車夫は壱郎を乗せて、ぬらりひょんの屋敷に何度か行ったことがあるという。

 ぬらりひょんの屋敷は、九桜院家の離れほどの大きさであったが、落ち着いた佇まいだった。


「ではあっしはこれで。さちお嬢様、お達者で」


 車夫は愛想なく告げると、逃げるように去っていった。


「いってしまったわ」


 改めて、ぬらりひょんの屋敷を見上げてみた。豪奢でもなく、簡素でもない造りは不思議な落ち着きがあった。


(なんだか、不思議なお屋敷ね)


 たったひとりの花嫁となったさちは、慣れぬ花嫁衣装を引きずりながら、屋敷の戸を叩く。


「ごめんくださいませ。九桜院さちでございます。こちらお嫁に参りました。ごめんくださいませ!」


 こうしてさちはたったひとりで、ぬらりひょんの元にやってきた。ひとりぼっちの花嫁となった少女の数奇な運命が今始まる。

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