第一章 はじまりとほくほくコロッケ

第2話

あやかしは古来より人と共に生きてきた。人と共存していくことは、あやかしにとって自然な生き方だったのだ。


 しかし時は大正時代。

 江戸から明治、そして大正へと移り変わっていく中で、時代に取り残される者が存在した。


 それはあやかしたちとて同じである。変化を嫌うあやかしたちは、急速に西洋化が進む日本社会についていけなかったのだ。長らく人と共に生きてきたあやかしたちであったが、共存することをあきらめ、幽世かくりよへと移り住んでいった。

 しかしそんな時代にも、人々と共に生きていこうとする、あやかしも存在した。


 人間を好む者、訳あって人間のそばから離れられない者、人間を利用しようとする者、幽世に居場所がない者。理由は様々である。彼らが人間と共に生きていくには、人々と契約を交わすのが最も手っ取り早い方法であった。

 あやかしは長らく生きてきた知恵や妖力を人々に分け与え、人もまたあやかしに生きていく場所を提供する。両者に喜ばれた関係は、契約に基づく婚姻である。

 あやかしを一族の一員としていくことで家業は繁栄し、子々孫々まで栄えていくのだから、喜んで婚姻関係を結ぶ者もいた。

 しかし近代化が進む社会で、あやかしとの婚姻は世の中の誹りを受けかねない。よって人々は秘められた関係として、その婚姻をひた隠しにしたのだ。

 かくしてあやかしと人の契約婚姻は、ひそやかに受け継がれていった。


※※


「さち、さち! どこにいる!」


 九桜院くおういん家当主の壱郎いちろうに呼ばれたさちは、慌てて手を拭きながら走る。


「はい、旦那様!」  

  

 さちにとって壱郎は実の父親だったが、父と呼ぶことは許してもらえなかった。

 

「さちはここでございます。旦那様、何か御用でしょうか?」

「さち、蓉子ようこが明日出かけるから、その支度を手伝いなさい。愚鈍なおまえなどに頼みたくないが、蓉子の希望だからな」

「お姉様、いえ、蓉子様が私を? 嬉しゅうございます」

「さち、わかっているな?」

「はい、お供するのは屋敷内だけ。屋敷の外には一歩も出ません」

「わかっておれば良い。仕事に戻れ」

「はい、旦那様」


 明日になれば大好きな姉に会える。その喜びに震えながら、さちは洗い場の仕事へ戻る。


「さち! おまえ、まだ野菜の下洗いをやってるのかい。さっさとおしっ! それが終わったら野菜を刻んでおきな。それも済んだら次は床掃除だ。早くしないとメシを食べてる時間がないよ」

「はいっ!」


 笑顔で返事をしながら、素早く動く。


「さち! 食器の洗い物もやっておいてくれ。ひとつでも割ったら仕置きだからね」

「はいっ!」

「にたにた笑ってばかりいて。このこは本当に、ぼんくら娘だね」

「はいっ!」

「ぼんくらって呼ばれてるのに笑ってるよ、この子。阿呆だねぇ」


 使用人たちに笑われているのを聞きながら、さちはなおも笑顔を絶やさない。笑顔を忘れないことは亡き母との約束だからだ。


(どんなに辛くても、笑っていよう。それが母様の望み。笑っていれば、怒鳴り声も止むもの)


 笑顔でいることは、さちにとって生きていくための手段でもあった。心の中でどれだけ泣いていようと、必死に笑うのがさちの日常なのだ。




 とある地方にて絶大な力をもつ九桜院くおういん家は、あやかしとの婚姻関係で繁栄した一族である。

契約したあやかしの名は、ぬらりひょん。


 あやかしの総大将と呼ばれているが、その正体は定かではない。巨大な頭をもつ老人と言うものもいれば、美しい男の姿をしたあやかしと言う者もいる。わかっていることは、いつの間にか屋敷の中に入り込み、何食わぬ顔で茶をすする、不気味な存在ということだけだった。

 誰もぬらりひょんの本当の姿を知らない。ゆえに人々はぬらりひょんを恐れ、契約婚を望む者はいなかった。ただひとつ、変わり者と言われた九桜院家をのぞいて。

 変わり者同士だったからなのか、ぬらりひょんに気に入られた九桜院家は、娘を嫁入りさせることで繁栄してきたのである。

 現在の九桜院家当主の娘は、華族出身の母をもつ蓉子という名の美しい少女であった。微笑むだけで、数多あまたの人を魅了し、誰をも虜にすると言われるほどの美少女である蓉子。

 当主の壱郎にとって自慢の娘であり、娘もまた父を慕った。

 早くに妻を亡くしたことで壱郎は娘を溺愛し、あやかしである、ぬらりひょんに絶対に嫁にやりたくないと考えるようになる。しかし嫁にやらねば一族の繁栄は途絶えてしまうかもしれない。


「そうだ。身代わりの娘を用意すれば良いのだ。当主である、わたしの血をひいた娘なら、何の問題もないはずだ」


 健康な体と従順な心をもち、身寄りがない女として目をつけられたのが、九桜院家の使用人として働く八重やえという娘だった。

 愛嬌が良く、素直な少女であった八重は、疑うことなく壱郎の誘いを受け入れ、後妻となった。

 それは形だけであり、実際は妾でしかなかったことを、八重は後になって知る。

八重が娘を産んだ途端、壱郎は八重に辛くあたるようになっていく。壱郎が娘の名付けをしてくれないため、八重は娘を『さち』と呼び、自らの愛娘の幸多き人生を願ったのだ。


 八重が亡くなったのは、さちがまだ四歳の時だった。

 夫であり、九桜院家当主である壱郎から暴力を受けていたことが原因であったが、表向きの理由は病気である。


「いいかい、さち。笑うことを忘れてはいけないよ。『笑う門には福来る』だからね。笑っていれば、おまえのことを見てくれる人が必ずいるから。ああ、わたしの可愛いさち。おまえを遺していく、力なき母を許しておくれ。天からおまえの幸ある人生を願っているからね……」


 母がいなくなったさちは、九桜院家の次女であるにもかかわらず、あくまで使用人として育てられた。壱郎から八重に向けられていた折檻せっかんは、その娘である、さちが受け継ぐこととなる。


 ゆくゆくはあやかしの総大将である、ぬらりひょんの嫁にするため、女学校にも通わせてもらえなかった。

 幼き頃から九桜院家のために身を捧げることを教え込まれ、決して疑わぬよう育てられた。全ては九桜院家の長女蓉子の身代わりとするためだ。


 ぬらりひょんは無類の女好きで、気に入った女をもてあそび、用なしになれば喰うとも聞いていた壱郎は、蓉子を守るためだけに、八重との間にさちをもうけたのだ。

 そうとは知らぬさちは、父の願いを叶えることは親孝行になると信じていた。

 さちは物事を知らぬ、純朴で無垢な少女として成長していった。

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