あこがれ
日曜日、いつもの居酒屋「牛貴族 北千住店」に到着すると、既に由紀がいて、二人分のビールが注文されていた。
「由紀、久しぶり」
「遅い! ほらさっさと飲むで! カンパーイ!」
久々に会った由紀とビール瓶をぶつけ合う。
「Xでグループ解散の噂立ってるけど、あれホンマ?」
「ホンマやで。景子とマルゴーが結婚するねん。あ、これ一応まだ極秘やから……」
「誰にも言わへんわ。ていうか、景子とマルゴーって誰?」
「アンタ、どんだけウチのアイドル活動に興味ないねん! 絶対絶命限界女子会のメンバーやろ!」
由紀とは高校の頃からの同期だ。国立大阪大学計算機科学部に一緒に進学し、研究室も一緒だった。
両親が国家公務員で全国転勤続きだった由紀にとって、僕は最も付き合いが長い友人の一人みたいだ。大学を卒業後、二人揃って東京に出てきたので、今でもたまに会っては酒を飲みかわす仲だ。
「解散後はソロで活動するん?」
「いやっ、スパッとお終いにする。アイドルやるなら三人でって決めてたし」
「へぇ。次は何するん?」
「前に出した小説のコミカライズと、あと実は次の小説の企画も立ててる最中やねん。しばらくはそっちに専念やな」
「アイドルに未練とか無いん?」
「ある。めっちゃある〜っ! ウチ、景子とマルゴーに『めっちゃ有名なって、何とかフォーティーエイトみたいなグループ駆逐して、港区のタワマン買って、ラピードでドライブさせたる』って約束してアイドルの道に進ませてんで。それがこの有様やもん……」
「ラピードは電車やで」
「ポルシェと間違えたわ。三人で朝まで飲んでたから酔っとるねん」
由紀は変わらない。他愛のない雑談でも表情の変化の大きさ、声に乗せる感情の豊かさが半端ではない。叶わなかった夢を語る表情に、一片のごまかしも無い。
(ええなぁ……)
由紀は常に僕のあこがれの対象だった。
由紀は僕とは次元が違う秀才だった。プログラミングやAI開発のコンテストで何度も上位入賞した経験があり、大学四年生の時に書いた機械学習関連の論文を権威ある査読付き国際論文誌に通している。
だから由紀が卒業後、進学も就職もせずアイドルになると宣言した時にはみんな度肝を抜かれた。
家庭教師の仕事で食いつなぎながらメンバーを揃え、地道にアイドル活動を続けるのは楽な生活ではなかったはずだ。でも、売れなくても、ネットで叩かれても、由紀は常に情熱に満ち溢れていた。
「ええなぁ……」
思わず声に出ていた。
「えっ、何? どうしたん、真一?」
「あっ、いやっ、由紀はやりたいことがあってええなって」
慌ててごまかすと、嘘ではないけど、僕が由紀に憧れている理由をちゃんと表現できていない妙な言葉が出てきた。
「その代わりウチの年収アンタの半分以下やで」
「そりゃそうやけど」
「クレカの審査も落ちまくるし。ウチが住んでるアパート、北綾瀬から徒歩二十分で築四十年やで」
「大変やな」
「やりたいこと、できること、稼げることが一致せぇへんのは辛いわっ! あははっ!」
由紀が盛大に笑い飛ばす。
僕は駅から徒歩五分の築浅のマンションに住んでいる。クレカの審査に落ちたことなんて一度もない。年収も、来年昇進するからもっと増えるはずだ。
由紀との差は学生の頃から更に広がったなと心の底から思う。ただし、差をつけられているのは相変わらず僕だ。
僕に言わせれば、由紀は特権階級の住人だ。多才で、仕事に注ぐ情熱があらゆる苦難に勝り、そんな自分を誰にも遠慮することなく表現し続けている。売れないアイドルという肩書、不安定な生活。全てを受け入れ、自分の人生を切り開く覚悟がある。
僕は何を積み上げているのだろう。会社で積み上げてきた実績と信用は確かに僕の生活を豊かにしている。でも、そういう目に見える豊かさとは別の物を由紀が持っていて、僕はそれを追い求められずにいる気がするんだ。
「解散ライブ、来れたら来てな」
「由紀のライブって見たこと無いな。予定空いてたら行ってみるわ」
「明日中にXで告知すると思う。ほなら」
「バイバイ」
帰る由紀の背を見送る。少し酔っているみたいで、細い体が左右にゆらゆらと揺れていた。
多分、由紀は想像もしていないだろう。僕から見た由紀の背中が、取り返しがつかないほど大きく、遠くに見えていることに。
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