第6話 エデルの気づき
(21)6.1 分断される
蜘蛛の魔物アラコラに攫われて帰還してからというもの、エデルはアレクシスが心配だった。
「殿下、その場合はこうですぞ」
「なるほどな」
今日も護衛として訓練場にいるのだが、アレクシスの様子がおかしい。否、おかしいと言ってしまうのは失礼かもしれない。
アレクシスはあれだけこだわっているように見えた装飾剣で訓練することを止め、一般的な剣と盾を使って体を動かしている。兵士長もまだ遠慮があるとはいえ、アレクシスの本気具合を察したのだろう。もしくは、ケガをさせたとしてもアレクシスは理不尽な罰則を与えないと思ったのかもしれない。王子のお遊びと一蹴せず、真剣に剣や体の使い方を教えている。
一見すれば、アレクシスが真面目になったというだけ。しかし昼まで寝ていたのに朝から起き、途中で食事を挟んで午後も訓練をしている。今までと比べて変化が急すぎて、エデルは戸惑った。まるで、差し迫った重大な理由があり、それに向けて必死に覚えようとしているかのように感じる。
兵士長の代わりに兵士と訓練していたエデルは、アレクシスも訓練が終了したのを見て近づく。
「殿下? 根を詰めすぎてもケガをしてしまう可能性がある。何か悩みがあるのなら」
「エル。うぬぼれるな。お前はおれの護衛だ。おれを魔物から守っていればいい」
「それは、そうだが……」
不機嫌なのか、アレクシスはエデルを見ようとしない。手の甲で浮かんでいた汗を拭い、風呂に入るといって訓練場を離れた。
月給の中にアレクシスの世話役の料金も含まれているエデルは、当然アレクシスを追う。しかしアレクシスは、エデルが浴場へ入ることを拒んだ。
「殿下。一人で問題ないだろうか」
「風呂に入るだけで問題なんてあってたまるか」
「それは、そうだが……わたしは殿下の世話役も兼ねる。であるならば、職務を全うするためには風呂でも」
あくまで仕事だと言うエデルに、アレクシスは少し怒ったように指を向ける。
「いいか? おれは男だ。風呂の世話なんてしなくていい」
「しかしそれでは」
「いい。たまには一人にさせてくれ」
「わかった。それなら、そうしよう。隣の部屋で待っていればいいだろうか」
「長湯をする。エルに与えられた部屋で待て」
「それでは、何かあったときに」
「だから。風呂に入るだけで何もない。あるわけない」
「それなら、せめて入るまで見届け」
「いいから。早く部屋で休め」
背中を押されて浴場から出された。
浴場は王族専用の大きな部屋で、ここからエデルの部屋まではそこそこの距離がある。だからこそ、護衛として職務を全うするため浴場のすぐ外で待機しようとした。
(っ、魔人か!?)
一瞬、ゾワッと寒気が走った。それは、マゾンデリコスに遭遇したときと似たような感覚。すぐにアレクシスの元へ駆けつけようとした、そのとき。
アレクシスと思われる人物が出てきた。
「……。部屋で休めと言っただろ」
「殿下? もう出たのか」
「ったく、本当に真面目だな。仕事だとしても、休めるときに休んでおけ」
短時間で体の芯まで温まったとは思えないが、訓練の後で体をさっぱりするだけならば短い入浴時間も納得できる。
「夕食まで時間がある。少し休むから、お前も休め」
そう言い、アレクシスが歩き出す。エデルもその後を追った。
◇◇◇
「いいから。早く部屋で休め」
アレクシスは護衛の背中を押し、一人になる。そして風呂で考え事をしようとした、その時。
目の前に、異質な存在が現れた。オレンジの髪から捻れた角が伸び、赤い右目と青い左目を持っている。緑色の服の上には、角らしきものしかわからない手の込んだ刺繍が入れられた、足首まであるマントを着ている。男のように見えるが、女のような線の細さもあった。
魔人は、緑の手袋をした手でアレクシスの首を絞めてきた。否、首を潰されている。声を出せない。
突然襲われた死の恐怖で、手の力を緩められても助けを呼べなかった。
魔人は、アレクシスを引き倒して肩を踏んでくる。起き上がれない。
「おい呪い子。お前は今すぐ魔界へ行け」
「はあ? 意味わかんっ」
「反抗するな、クズ。お前はオマディの言うことを聞いていれば良いんだ」
グリッと、アレクシスの肩を踏んでいたオマディの足が動く。アレクシスを見る目は、まるで積年の恨みを晴らそうとしているように見えた。
「お前がのほほんと生きているだけで、魔王様は苦しむ。本当はお前なんて殺してしまいたい。でも、それじゃ魔王様の願いを叶えられない」
「魔王の願」
「魔・王・様、だ!! 呪い子なんだから魔王様に経緯を払え!」
またアレクシスの肩を押さえているオマディの足に力が入る。
「……なぜおれは」
「お前は呪い子である限り、意思を持たない人形だ。人形は、魔界で主人を待てばいい」
「世界に満ちる風の精よ、我に力を与えよ!
オマディの気がそれたと思った瞬間、頼もしい護衛がやって来た。その攻撃を避けたオマディからアレクシスを庇うように立つ。
「すまない、殿下。到着が遅れた」
「お前変! こいつの影真似は完璧だった! どうしてオマディの幻影だと気づいた!?」
「殿下の幻影が、わたしの名を一度も呼ばなかった」
「それだけで!?」
「それだけじゃない。幻影が抱きついてきたから不審に思うと、体内にある印が反応した」
「ちっ。オマディが魔王様に褒められようと思ったのに、あの変態、余計なことを」
拗ねたように言ったオマディが、浴場から出て行った。
もう気配を感じないらしく、安心したように纏う空気が柔らかくなった護衛に治療してもらう。
「殿下、他に痛む所はないだろうか」
「問題ない。助かった」
「湯を部屋へ運んでもらおう。背中はわたしが拭く」
一緒に浴場から出て部屋に戻った。裸を見せることに恥じらいがあり、木桶だけ受け取る。体を拭いている時は後ろを向いてもらう。
その後はなかなか一人にさせてもらえず、夕食も部屋で一緒に取り、眠るまで見守られた。
寝たふりをしてやり過ごす。隣から物音がしたことを確認していると、背後から緑の手袋に口を塞がれた。
「騒ぐな、呪い子。なぜ自分が狙われていいるか知りたければ、自らの意思で魔界へ行け」
アレクシスの護衛が隣にいる。またオマディの気配に気づくかもしれない。
「もう油断しない。オマディの気配遮断は完璧。あいつも気づかない」
隣の部屋に意識を向けたことがばれてしまった。オマディは魔人だ。魔力の高さは相当だろう。そのオマディが自信満々だから、その通りなのかもしれない。
(……幸い、二度目の遭遇だから恐怖心は薄い。声は、出せる)
アレクシスが息を吸う。
「お前は情けない男だな。好きな奴に守られたいのか」
(……は?)
「お前の幻影を作る時に、お前の考えを反映した。そのせいでオマディの術が破られた」
(おれの、考え……?)
最初に襲撃された時に言っていたことを思い出す。オマディが作った幻影が、アレクシスの護衛に抱きついたと。
「人間の恋愛なんて興味ない。勝手にやっていればいい。オマディは、魔王様の願いを叶える」
オマディは、アレクシスが魔界へ行くと思っているのだろう。部屋の中から消えた。
(おれが、エルを……?)
モグラの魔物に襲われた時に気づいた、性別。そこからその性別を意識してしまったことは事実。
アレクシスは、そろりそろりと壁に近づき、耳を
(っは。おれは何を……)
寝息を確認しようとしたのか。声をかけようと思ったのか。
アレクシスは自分の行動がわからなくなり、慌てつつも物音を立てないように壁から離れる。
(そ、そうっ。これは魔族になぜ愛し子が狙われるのか知るためでっ)
外野から知らされた、自分の気持ち。高揚感で、胸の奥の影が霞む。
アレクシスは隣で眠る護衛にばれないように部屋を抜け出し、魔界へ行く。待っていたオマディについていき、愛し子が狙われる理由を聞いた。
魔界時間で三五九日前――人間界の時間で一八〇年前の出来事が絡んでいるらしい。
愛し子は、精霊王が好む見た目のままでいるために短命だ。一八〇年も前なら、愛し子も何代か前だ。だから自分には関係ない。そう、思ってしまった。
◇◇◇
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