光に満ちた神の現身は、今日も<日常>を満喫中~友達と銀行に行ったらまさかの総理案件に~

常盤 陽伽吏

第1話

 序章


それは、雅人まさとにとっては日常となんら変わりのない一日だった。


 1


竹階たけしなくん、今日はもういいですから、先に食事に行ってらっしゃい」

 株のデイトレードを行っているこの、オフィスJの代表者であるジェイ・リーの言葉に時間を確認すると、そろそろ十一時半になろうかという時刻だった。

 この事務所の所属しているのはわずかに二人。代表者のジェイことジェイ・リーと、彼が声をかけた竹階紫苑しおんと言う二十代の青年だけだった。

 午前の市場はまだ閉まってしないので、紫苑は遠慮がちに声を上げた。

「まだ市場も閉まっていませんし、閉まってからで大丈夫ですよ」

「今日の予定は達成しましたよ」

「え? もうですか?」

 取引の成果目標を紫苑は正確には知らされていないが、午前のこの時間でもう達成してしまったというのだろうか。

「ええ。これ以上は必要ありません。あなたもあとは自由にしてくれてかまいませんからね」

「えっと……まあ、食事には出かけます。でも、勉強したいので、食べたら戻ってきます。少しでいいので、後でお時間取っていただけますか?」

「かまいませんよ。ただ、雅人さまがいらっしゃったら私も出かけますから」

 ジェイの雅人最優先は今に始まったことではないので、紫苑は今さら特に驚きもしなかった。

「じゃあ、彼が来る前に戻ってきます」

「ゆっくりしていらっしゃい。勉強がしたいのなら、後日ゆっくり時間を取りますから」

「ありがとうございます。じゃあお先に行かせてもらいます」

 オフィスJがあるのは渋谷だ。

 株取引の事務所なら兜町ではないかと思いがちだが、正直ここまでインターネットが発達してしまえばそもそも東京にオフィスを構える必要すらない。

 紫苑としては、実は雅人が渋谷で遊ぶことを好んでいるので、そのため事務所を渋谷に置いているのではないかと勘ぐってはいた。

 紫苑はジェイを尊敬している。

 彼の先読みの力は素晴らしいし、物腰も柔らかで、いかにも仕事のできるエリートビジネスマン然とした姿形も憧れの対象だ。いつかは自身もああなりたいものだと、紫苑は思っていたりもする。

 ただ、紫苑にとって尊敬してやまないジェイの唯一尊敬できない部分が、雅人に対する態度だった。

 紫苑がジェイと雅人を恋人同士だと勘違いしていることもあり、恋人だと言うなら人として、もう少しでいいからちゃんとするように導くべきではないだろうかと思っている。

 実際のところ紫苑から見た雅人とジェイというのは、いつも二人一緒にいて、ジェイが献身的に尽くしているという姿だ。

 彼らはこの事務所がある隣のビルの上層階にある高級マンションで同居しているし、親兄弟でも何でもないのにジェイは雅人の生活全般の面倒を見ている。

 十五歳の雅人はもちろん仕事をしているわけではないし、かと言って学校に通っているわけでもない。

 朝に弱いのかどうかは知らないが、昼頃までマンションでゴロゴロしているらしく事務所に顔も出さないし、昼前にフラフラと事務所に現れてはジェイと食事に出かける。そして、彼が事務所に顔を出すとジェイはもう仕事をしない。

 実際のところ、事務所はジェイが切り盛りしているわけで、彼はきちんと利益を上げてはいる。だが、だからと言って紫苑としてはジェイが真面目に事業に取り組めばこの事務所は法人化しているだろうし、もっと利益も上げていることだろうと思ってしまう。

 それを雅人が邪魔しているように紫苑が思ってしまっても仕方がないことだと言えるが、本当のことを言えば、雅人とジェイはそのような恋人同士などという概念からは遠く離れたところにいる。

 ジェイはもちろん、雅人を他の誰よりも大切にしている。

 だからと言って、それは一般的に考えられるような恋人の観念ではない。

 もっと純粋で、崇高なものだった。

 雅人とジェイが出会ったのは今から二年前のことだった。

 ジェイが留学のためにホームステイした先の家庭にいたのが雅人だった。

 その時に受けた衝撃をジェイは今もはっきりと覚えている。

 こんな人間がこの世にいるのかという衝撃。

 光あふれる存在がそこにいた。

 その時からジェイは自身の人生のすべてを雅人に捧げている。

 だが、それを知らない紫苑からすれば、尊敬するジェイが雅人に振り回されているようにしか見えないため、自然と雅人への当たりはきつくなる。

 ジェイが雅人をほとんど崇拝と言ってしまっていいほど、盲目的に愛していると思っている紫苑にとってみれば、雅人はただの不良少年でしかなかった。

 雅人は夜の街を徘徊して、日々をむなしく過ごしている、無気力で無目的な若者に過ぎない。

 ジェイに会うまでの自分がそうだったように、紫苑は雅人をそういう者であると思っていた。

 そんな誤解をしている紫苑は、尊敬するジェイのプライベートに口をはさむつもりはなかったが、ああまで盲目的に甘やかさなくても良いのではないかと思いはする。愛しているならせめてもう少しは人としての道を教え諭してやるべきなのではないだろうか。

 そんなことを考えながら、紫苑は事務所を出て近くの定食屋へ向かった。

 この店は彼のお気に入りの店で、日替わりの定食メニューがひと月ほどのローテーションで一巡するため飽きが来ないことと、店のテレビでお笑い番組やドラマではなくニュースが流れていることもあって、彼はほとんど毎日その店で昼食をとっている。

 時間が早いこともあって、待たずに店内に入れた。日替わりの定食を注文し、テレビに目をやる。

 情報には常に敏感でいるようジェイに言われているので、紫苑はいつもそうしているようにニュースに気を配っていた。

 どこで事故が起きたであったり、火事があったことなど、日常に紛れてしまうニュースが流れている。

 当人やその周囲の人間にとっては一大事であろうが、それらがクローズアップされることは稀だ。

 そんな日常のニュースの中で、紫苑の気を引いたのはこんなニュースだった。

 テレビモニターの中のアナウンサーが教科書通りの完璧な発音で臨時ニュースを読み上げ始める。

 「ここで、ニュースが入ってまいりました。東京都新宿区西新宿の新都銀行西新宿支店で強盗事件が発生したとの一報です。繰り返します。新都銀行西新宿支店で強盗事件が発生したとの一報が入ってきました。被害状況やけが人の有無など、詳細が入り次第お伝えいたします」

「バカだな……」

 犯罪は割に合わない。

 紫苑はそう思っているため、感想はそのひと言だけだった。

 このニュースも本来ならいつもの日常に埋没してもおかしくない、そんな始まり方だった。

 紫苑の前に定食が運ばれ、それを食べている間もニュースは淡々と流れて行っていた。

 しかし。

 食事を終えた紫苑が会計をしようとしている時に、とてもそんなのんきなことを言っていられない事態がテレビから流れだした。

「先ほどお伝えした銀行強盗事件の続報が入ってまいりました。新都銀行西新宿支店で起きた銀行強盗でケガ人が複数名出ている模様です。犯人と思われる数名の男は銃器と思われるもので武装しており、銀行に籠城していると思われます。今、現場にカメラを切り替えます。現場の鈴木さん、どのような状況ですか?」

「はい、こちら現場の鈴木です。目撃者によると、銃声のような音を聞いたと情報があります」

 興奮したリポーターの声。

 それに銀行がテレビモニターに映し出される。

 それでも、紫苑にとってはここまでは、大変なことになったなと思いつつも、日常のニュースに過ぎなかった。それなのに。

 望遠で映し出された人質になったと思われる人々のを確認した瞬間。すべては他人事ではなくなってしまった。

 そこに映し出されていたのは、他でもない久我雅人その人だった。

「なんで大人しくしてられないんだ! あいつは!」

 叫ぶより早く紫苑は会計も忘れて店を飛び出していた。


 店から事務所までわずかに徒歩五分。そこを走って紫苑は事務所に駆け込んだ。

「先生、大変です」

「落ち着きなさい、竹階くん」

「それどころじゃないんです、大変なことが……」

 紫苑が息せき切って言いかけるのを、ジェイは静かに手を挙げて制した。ふと見ると、ジェイもニュースを見ていたようで、紫苑が見た銀行がモニターに映っている。

「その慌てようからすると、あなたもニュースを見たようですね」

 ジェイはあくまでも冷静だった。

 その落ち着いた振る舞いに、紫苑は逆に落ち着けない。

「先生落ち着いてる場合じゃないんです。雅人が、銀行強盗の、人質に……」

「いつも雅人さまに憎まれ口をきいているのに、雅人さまの心配ですか?」

 静かに微笑みを浮かべて、ジェイは言った。

 確かに。紫苑は雅人には説教しかしていないんじゃないかと彼自身も思うことはあるが、それは雅人の生活態度が目に余るものがあるためで、決して好き好んで説教しているわけではない。それに、今はそんなことを論じている場合ではないだろう。

「そんなこと、今はどうだっていいじゃないですか。それより、雅人が……」

「落ち着きなさいと言っているでしょう」

 ジェイは苦笑を浮かべた。

「落ち着けって……だって、雅人が銀行強盗の人質になっているんですよ? 万が一 何かあったらどうするんですか。どうして、そんなに落ち着いて……」

「あの方が、たかだか銀行強盗などに害されることなどないことを知っているからです」

 ジェイのこの言葉に紫苑は開いた口がふさがらなかった。

「相手は武器を持っているんですよ?」

「強盗ですからね」

 ジェイはごく真っ当なことのようにそう応じた。

「それの人質ってことは、撃たれるかもしれないってことなんですよ!」

「撃てません」

「なんで……」

「雅人さま相手に発砲することなど、誰にもできませんから」

 今度こそ、紫苑は二の句が継げなかった。

 本気、なのだろうか。

「あの方が危害を加えられることなど、起きません。起きえない事態の心配をしろと言われても、必要ないとしか言いようがありません」

「いつも、あんなに心配ばかりしてるじゃないですか」

「心外ですね。私がいつ雅人さまの心配をしたことがありますか」

 ジェイは心底心外だと言う様子でそうこぼした。

「だって、いつも一緒にいて、いつだって心配してるじゃないですか」

「ご一緒させていただいているのは、私がお側にいさせていただきたくて、勝手にそうしているだけのことです。私が雅人さまの心配をするなどおこがましいですよ」

「心配じゃないんですか?」

「あの方の心配などかえって無礼ですよ」

 ジェイのこの言葉にとうとう紫苑は呆気にとられて黙り込んでしまった。

 恋人ではないのか。

 いや、もし恋人同士でないにしても、ここまで親しい相手が、よりにもよって銃器を持った銀行強盗の人質になっているというのに、この落ち着きはいったいなんなのだろうか。まったく身を案じている様子がない。

 心配している紫苑の方がバカみたいだった。

紫苑は気を取り直して問う。

「このまま、放っておくんですか?」

「まさか」

 ジェイは静かに言った。

「情報を整理してみましょう……お茶をお願いできますか?」

「あ……はい」

 この事務所でお茶といえば紅茶のことだ。紫苑はこの事務所に入ってから手ほどきを受けたこともあって、今では紅茶の淹れかたが上手くなった。キッチンに向かい、紅茶を淹れ、トレイに乗せてジェイの元に運んできた。

「ありがとうございます。あなたも座って下さい」

 来客などは基本的にいない事務所だが、ソファーセットはある。紫苑はソファーセットに腰を下ろしたジェイの向かい側に腰を下ろした。

「まず疑問点ですが」

「はい」

「何故、雅人さまは銀行になど行かれたのでしょう?」

「それは……」

 問われてみれば、不可思議なことだった。

 雅人と銀行。

 これほどまでに縁もゆかりもない場所はないだろうことに紫苑は今更ながら気付いた。

 驚くべきことに、雅人は現金というものを持ち歩かない。かと言って電子マネーであるとか、クレジットカードを使っているわけでもない。それどころか、この時代に携帯電話すら持っていなかった。

 毎日フラフラ遊びまわっているが、ではその金はどうしているのかと言えば、すべてはツケで、顔パスで、後日請求がジェイに来るのだと聞いて紫苑は呆れたものだった。

 ジェイの言いようもうがったもので、曰く、雅人さまほどの方が現世の、それも極めて世俗的な経済活動になどかかわる必要はない、というものだった。

 甘やかすにもほどがあると紫苑などは思う。人間は誰でも一人で生きていく力を持たなければならない、ということ経験上知っていた紫苑からすれば、ここまで他人に依存しきって生きている雅人は理解の範疇になかった。

 これは、紫苑が雅人個人を好きか嫌いかということとは関係なく、そもそも自立できていない時点で紫苑は雅人を一個の個人と見ることができないというだけのことだった。

 しかし、では紫苑が雅人を嫌っているのかといえばそれはまた別の問題で、紫苑は雅人のことが決してキライではない。

 尊敬するジェイに完全に依存している点であったり、仕事をするでもなく、学校に行くでもなく、無目的にフラフラと遊び歩いている点であったり、いろいろと一言二言三言と、言いたいことはあったが、それでも紫苑は雅人のことを嫌いにはなれなかった。

 雅人がいる。それだけでのことでその場の空気が確かに変わる。紫苑はそのことを身をもって知っていた。

 雅人がただ無目的に遊びまわっているだけではないことも、頭ではわかる。

 しかし、その一方で、やはり尊敬するジェイの負担を考えると、好きだと言ってしまうことには抵抗があった。

 はっきりとキライであれば、紫苑はそもそも雅人に小言を言ったりはしないだろう。

 紫苑は、銀行にいる雅人に思いを馳せた。

 いったい今、どういう状況に置かれているのか。

 無事なのか。

 そもそも何故、用もないはずの銀行になど行ったのか。

 いくら考えても、答えは出なかった。


 事務所で紫苑が頭を抱えていたその時。事件の現場となっている銀行に雅人はいた。一人ではなく、友人である前田晶彦まえだ あきひこと一緒だった。

「ゴメンね、雅人さん。こんなことに巻き込んじゃって……」

「前田くんのせいじゃないよ」

 雅人は鷹揚に言った。

 銀行籠城の人質になっているという自覚があるのやらないのやら。いつもと変わらぬ様子だった。

 そもそも雅人が今日この時にこの銀行に来たのは、晶彦の付き添いのためだった。

 晶彦は探偵事務所で助手のまね事ような仕事をしている。その事務所の支払いを命じられた晶彦が銀行に向かっている時に偶然雅人と出会ったのだった。

「あれ? 前田くん?」

「あ……雅人さん。こんなところで何してるの?」

 二人が出会ったのは、西新宿。

 晶彦が身を寄せている探偵事務所は西新宿にある。渋谷を主に遊び場にしている雅人と、こんな新宿で会うこと自体がかなり珍しいことだと言える。

「ちょっと一人でお茶してたんだよ。今から事務所に行くところ。前田くんは何してるの?」

「俺は銀行に用があって。九条くじょう先生のおつかいだよ」

「九条先生か……随分会ってないなぁ……」

 晶彦が身を寄せている探偵時事務所の所長である九条頼孝よりたか

 元警察官で今は探偵をしている彼は、雅人の周囲にはあまりいないタイプの人間だ。

「九条先生、元気?」

「元気って言えば元気だよ。暇に飽かしてギャンブル三昧だけど」

 そう言って晶彦は笑った。

「あの人、探偵の素質はないみたいだけど、博打の才能だけはあるから」

 晶彦の言葉に雅人は微笑う。

「今度また、一緒にゴハン食べようよ。九条先生の話、面白いし」

「うん。先生に言っておくよ」

 ここで、二人がそのまま手を振って別れていれば、事態はまったく違ったかもしれない。

 それでも、話はそう流れては行かなかった

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