空想お仕事シリーズ「嘲ル者 ~僕は今日も人の死を笑いに行く~」他
あめの みかな
第1部「僕は今日も人の死を笑いに行く」
第1話
八月二一日、水曜日。十八時十六分。
近鉄N駅発、I川行きの急行電車に乗り込むと、クーラーが効きすぎた車内はひどく寒く、僕の体は発車までの数分ですっかり冷えきってしまった。
目的の駅は二つ目に停車し十五分ほどで着いたが、下車すると今度は僕を屋外にある駅のホームの猛暑が襲い、温度差で眼鏡のレンズは真っ白に曇った。
いつも通りコンタクトレンズにしてこなかったことを少しだけ後悔しながら、僕は着ていた服の袖で汗を拭った。
駅の南口にあるバス停の時刻表を見ると、バスは五分程前にすでに来てしまっていた。一本前の電車に乗っていたなら十分間に合いバスに乗れただろう。
次に来るのは一時間後らしい。一時間も待たなければいけないのかと思うとげんなりさせられた。
まだ二十代半ばの僕ですら、この暑さは体や心から生きる気力までも奪っていく。この暑さでは利用客の大半を占めるであろう年寄りには数分すら待つのも死活問題だろう。
この街に来るのははじめてのことだった。N市のベッドタウンだとテレビだかネットだかで聞いたことがあったが、どうやら車がなければろくに移動もままならないような田舎のようだ。
一見栄えているように見えるのは、駅がそれなりに立派な建物だったことや、僕の目の前にロータリーがあり、その中心に小さいが噴水があったからだろう。
僕はタクシーを探すことにした。だが、ロータリーには一台もそんなものは見当たらなかった。面倒なことにタクシー乗り場は駅の反対側の出口にしかなかった。
駅の反対側でタクシーを拾うと、僕は馴れた手つきでアプリを開き、運転手にスマホの画面を見せた。
僕が勤める会社が作ったアプリで、今日の現場の住所や建物の写真などがそこには映っている。
運転手は僕の祖父とあまり変わらないような年齢に見えた。定年退職したサラリーマンがタクシー運転手になることがあることは聞いていたが、七十代のタクシー運転手に命を預けるのは少し勇気がいる。
今の時代、いつブレーキとアクセルを踏み間違えるかわからないし、入らなくてもいい高速道路に入った上逆走しかねない。
「ちょっとそのスマホ、貸してもらってもいいかい?」
運転手はスマホを僕から奪うようにして手に取ると、老眼なのかスマホを目に近づけたり離したりを繰り返した。
「ちょっとわからんね。あんた、道案内してよ」
聞けば、やはり新人で、それも昨日タクシー運転手になったばかりだということだった。だからろくに接客も出来ないのだろう。
この街に着いてからというもの、僕は一体何度ため息をついただろうか。
幸いアプリにはナビ機能がついていたため、僕はそれを起動させた。
タクシーは栄えた駅前をすぐに通り抜け、その後はベッドタウンの象徴とも言える住宅街も通り抜けていった。
大きな橋を渡り川を越えると車窓から見える景色は田んぼや畑ばかりになった。
その光景は僕が生まれ育った街によく似ていた。あの街のことはあまり思い出したくなかった。
ときどき大きな長方形の緑色の池があった。運転手にあれは何かと尋ねると金魚池だと教えてくれた。
金魚はこの街の名産品らしく、祭の出店の金魚すくい用のものから、池によっては一匹数十万円もするような高級なものを飼育しているらしい。
池の色は金魚の糞のせいなのだろうか。それとも餌の色なのだろうか。藻が水面で繁殖してるようには見えなかった。
池について質問したのがよくなかったのかもしれない。
「三年前、この街で殺人事件があったでしょう?ほら、中学生が同級生を学校で殺した事件ですよ」
運転手は気を良くしたのか、物騒な話をし始めた。
言われてみれば、確かに事件当時はニュースで観たような気もした。
「この街で殺人事件なんて滅多にあるもんじゃないですからねぇ。しかも子どもが子どもを殺すなんて。恐ろしい話ですよ。ああ、そうだ、あの学校、次の年に今度は教師が盗撮で逮捕されてましてね」
嫌な話だった。聞きたくなかった。
事件や犯人よりも目の前の運転手に対して僕は嫌悪感を覚えた。もしかしたら田舎町に対してだったかもしれない。
滅多に事件など起きないから、一度事件が起きると何年も同じ話題に上げる。僕の田舎と同じだ。
「お客さん、この街には一体何の御用で?」
新人の運転手にとっては、観光地でもないこの街を訪れる者が珍しかったのかもしれない。だが僕はすでに運転手に行き先を告げていた。
街の南の方にある寺の葬儀場だ。
あまり詮索されるのも不快だし、運転手が口を開く度にドブ川のような口臭が車内に充満してもいた。
だからだろうか。
「人の死を笑いに来たんですよ」
僕はそう言って、ルームミラーにわざと映るように下卑た笑みを浮かべた。
運転手はミラー越しに顔をひきつらせると、それきり僕に話しかけてくることはなかった。
僕は仕事でこの街に来た。とはいえ、寺の関係者でもなければ、葬儀屋の人間でもなかった。今夜通夜が行われる死者の関係者というわけでもない。
人の死を笑いに来た、という言葉に嘘ではなかった。
見ず知らずの赤の他人の通夜や葬儀に参列し、棺の前でその死を笑う。
僕は「嘲ル者」という仕事をしている。
タクシーは葬儀場から少し離れた場所に止めさせた。
「こんなところでいいんですかい?葬儀場までまだ少しありますよ」
運転手から何度もそう聞かれたが、僕はそのままの格好で現場入りするわけにはいかなかった。僕はTシャツにハーフパンツにサンダルという近所のコンビニにでも行くような格好をしていたからだ。
有名百貨店の薔薇柄の紙袋を見せると、運転手はなるほどという顔をした。
「でも、この辺りに着替えができる場所なんてありませんよ」
そんなことは窓の外を見ればわかっていた。都会なら近くの公園の公衆トイレやコンビニのトイレなどで仕事着に着替えるのだが、田舎はそうはいかない。
僕は運転手にこの年発行されたばかりの新しい千円札を二枚握らせると、車を降りて人目につかない木陰を探した。何とか探し出し、手早く仕事着である喪服に着替え、葬儀場に向かう必要があった。
こんな田舎だと知っていれば最初から喪服を着てきたのに。5万人以上も人が住み、仮にも市を名乗る街がどうしてこんなにも田舎なのか。全部平成の市町村大合併のせいだ。僕は怨み節を吐きながら、ようやく見つけた木陰でなんとか着替えを済ませると、葬儀場に歩いて向かった。
そんな僕を運転手はずっと見ていて、結局葬儀場まで僕の後ろをタクシーでノロノロとついてきた。
睨み付けると、
「お釣りはいらねぇんですか?」
と、とぼけた顔をして言った。
この運転手は一体どこの方言を話しているのだろうか。N弁ではなさそうだった。
そもそも前職は一体何だったのだろう。よくもまぁそんな言葉遣いでその年まで社会人が出来たものだった。
「いらねぇんですよ」
方言を真似て僕がそう言うと、彼はようやくどこかに行ってくれた。
今日の現場の「嘲ル者」は僕ひとりだと聞いていた。
嘲ル者は現場によってその数は異なる。僕ひとりの場合もあれば、十数人、何十人という場合もある。
僕が勤めているのは、「死者の生前の関係者から依頼を受け、通夜や葬儀に参列し棺の前でその死を笑う者を派遣する」、そういう仕事だけを請け負う会社だった。
僕のような現場スタッフが葬儀場に着いた時点で、スマホのアプリが自動で依頼人に到着を知らせる。依頼人には僕が利用しているものとは別に依頼人用のアプリがある。
依頼人は僕の顔を知らないし、僕もまた依頼人の顔を知らない。だが、僕から見れば依頼人はどの現場でもいつも一目瞭然だった。どの依頼人も僕を探してキョロキョロと辺りを見回しているからだ。
今回の依頼人は四十代半ばくらいの小太りで、額が頭頂部辺りまで禿げた、ひどく汗かきで気の弱そうな男だった。
僕の方はよく見れば喪服やネクタイにアプリのアイコンと同じ絵柄の小さな刺繍があるが、依頼人にはその事は知らされてはいない。
アプリでは依頼理由と僕がその死を笑う死者の情報だけは確認することができた。
棺桶に入っているのは七十代の男で元教師らしい。
中学校で長年数学教師をしており、最終的には校長にまで出世したらしい。
死因は自殺とあった。特殊詐欺に引っ掛かり、二千万円以上の退職金を騙しとられ、首を吊ったようだった。
死者は体罰がまだ許されていた九十年代、依頼人に対し数えきれないほどの体罰を行った。
口で言ってもわからない奴は殴って教えるしかない、というのが口癖だったが、依頼人がクラスメイト達からひどいいじめを数ヶ月に渡って受け、ある時堪忍袋の緒が切れ首謀者を殴ったときには、「たとえどんなにひどいいじめを受けていたとしても暴力で解決しようとしたお前が悪い」と見事なダブルスタンダードぶりを発揮し、保身のためにいじめそのものを揉み消したという。
さらには教育委員会の方針が変わると手のひらをクルリと返して一切体罰を行わなくなり、言葉の暴力で依頼人を中学卒業まで追い詰めたとあった。
かつて教師が恐怖で生徒を支配した時代があったなんてことは、Z世代と呼ばれる僕には全く想像も理解も出来なかった。
犯罪を擁護するつもりはないが、死者が退職金を詐欺で騙しとられたことも、首を吊ったことも、彼が依頼人にしたことを思えば当然の報いだと思えた。依頼人にしてみればまだ足りないくらいだろう。
だから、僕が今ここにいるのだ。
嘲ル者になるとき、僕は一切の感情を消す。代理人として、依頼人になりきるためだ。それに、僕自身が見ず知らずの人の死を笑うことに対し罪悪感を抱かないためでもあった。
死者を笑うことは、悲しみの中にある遺族や友人知人の傷口に塩を塗り込むことでもある。怒りを買い怒鳴り散らされることもあれば、葬儀場から追い出されることもある。それでも葬儀場の外から依頼人が満足するまで笑い続けるのが僕の仕事だ。
一度でも罪悪感を覚えたらこの仕事は続けられない。
しかし、この夜の仕事はとても簡単だった。
僕が棺の前で笑い始めても、誰もそれを止めようとはしなかったし、一緒に笑い始める者まで現れたからだ。
依頼人をはじめ、彼と同世代のおそらく元生徒たちだけでなく、元同僚らしき人達や遺族まで笑っていた。坊さんや葬儀会社の人たちの顔は青ざめていたが、会場全体が僕の味方をしてくれていた。
こんなことは生前によほど嫌われていない限り起きることはない。
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