第9話 星の記憶、空に還る声
雲の峰の最奥部、幾重にも雲が絡み合う高みに、静かに佇む天空の神殿。
扉が開かれたその瞬間、エイラの耳に静かな風の歌声が届いた。それは言葉ではなく、まるで遠い昔に誰かが忘れた祈りのようだった。
神殿の内部は驚くほど静かだった。重厚な石の廊下には、古代アヴィアンの紋様が無数に刻まれ、ところどころには不思議な浮遊石が空中に漂っている。まるでこの空間全体が、重力という法則から解き放たれているかのようだった。
「まるで…空そのものの記憶みたい」
エイラは小さく呟きながら、石の階段をひとつずつ登っていく。ペンダントは淡い光を灯し、まるで導くように鼓動を刻んでいた。
空の記録と“星を視た者たち”
神殿の中心部に辿り着いたエイラの目の前には、天蓋のような天球装置が広がっていた。無数の星々が緻密に刻まれたその球体の中に、彼女は一際大きな星の紋章を見つけた。
その瞬間、装置が動き出し、天井全体に幻影が映し出される。
それは過去の記憶――
かつてアヴィアンたちが“空の王国”を築いていた時代。彼らは空を越え、星と交信し、世界の調和を見守る使命を帯びていた。空、大地、海、それぞれの領域に生きる種族たちと盟約を結び、星の光を分かち合っていたのだ。
しかし、映像の中の王たちは次第に何かに怯え始めていた。
星の輝きが濁り、空に“裂け目”が現れ、未知の力がアヴィアに干渉し始めた。
――星を壊そうとする意思があった。
それは、「地に堕ちた翼」――かつてのアヴィアンの一部が禁忌の力を欲し、星の封印に手を伸ばしたのだ。
その結果、盟約は崩れ、空の王国は自ら記憶を封じることで責任を取った。星の遺産は各地に分断され、真実は歴史の彼方に消えた。
「じゃあ…私は…その罪を継ぐ存在…?」
エイラの胸に浮かんだのは、罪と使命の交錯だった。自分が今旅してきた道のりは、ただの探索ではなかった。かつての誓いを取り戻す“赦し”の旅でもあったのだ。
目覚める封印と“影”の声
天球装置の稼働と共に、神殿の床が淡く光り、祭壇が現れた。ペンダントがその中心にぴたりと合わさると、眩い光が広がり――そして空間がひび割れた。
「エイラ、離れろ!」
背後から駆け寄ってきたのはレオナールだった。彼もまた、空気の異常に気づいて駆けつけていたのだ。
割れた空間の向こうから、黒い霧のようなものが這い出してくる。それは形を持たず、意思だけが染み出すような存在だった。
「この記憶は渡さない……再び、星を統べるのは我ら“真の継承者”だ」
それは声だった。かつて星の封印を壊そうとした裏切りの者たち――“影の継承者”。彼らの意識の残滓が、封印の裂け目から漏れ出そうとしていた。
エイラは胸の奥で、何かがはっきりと決まったのを感じた。
「星を手にするためじゃない。私は…この空を守るために旅をしてる」
彼女は立ち上がり、風の谷で学んだ風の力と、海で得た歌、大地の記憶すべてを胸に、ペンダントを強く握った。
風が、歌が、大地の脈動が、彼女の声に呼応するように神殿を包み込んでいく。
その瞬間、黒き“影”は風に浄化され、神殿の光がそれを再び封じ込めた。
失われた空の意思、そして前へ
神殿は静けさを取り戻した。
レオナールは険しい表情を緩め、エイラの肩に手を置いた。
「お前はもう、ただの旅人じゃない。星と、このアヴィアの意思に選ばれている」
エイラは微笑みながら首を振った。
「私は選ばれたんじゃない。選び続けたの。飛び立つことを、止まらないことを」
そう言って彼女は神殿の天井を見上げる。そこには、再び輝きを取り戻した星々の光があった。
ペンダントが新たな光を放ち、今度は南東の方角を指し示す。次なる地は――“炎の裂谷”。アヴィアで最も厳しい地、そして星の力が最も強く乱れる場所だった。
「さあ、行こう。まだ、繋げなきゃいけない誓いがある」
そしてエイラは、翼を広げた。
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