第6話
「ふいーただいま〜……暗ッ! 立夏? 立夏いるの〜? ヒッ!」
広間の電気がついた。
畳の上でうつ伏せのまま突っ伏していた私は、首だけ動かして引き戸の方を向いた。つゆ子さんが顔を真っ青にして立っているのが見える。
「ちょ、ちょ、何!? 明かりもつけずに! 死体かと思ったわ!」
「……あ……おかえりなさい……」
身体を起こす。数日間風邪で寝込んだ時くらい体が重い。
「あの……夜ご飯……作ったので……チンして食べてね……」
「う、うん。ありがとう。……立夏?」
覚束ない足取りで自室のある2階へ向かう途中、つゆ子さんに呼び止められた。
「風邪でもひいた?」
「……いえ。もう寝ます。おやすみなさい」
「お、おお。おやすみ」
──案の定、寝られるはずもなく。
私は自室のベットの上で、枕に顔を埋めて、数秒後爆発した。
「ウワッーーーーーーーーーーーーー!!!!」
あ〜〜〜〜恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!!!! なんであんなこと言っちゃったんだ私!!!!!! なーにが、ギター辞めたら? だ! 馬鹿? 馬鹿なの!? 何様だお前は!! 無理。もう学校行けない。転校しよう……まだ通ってすらないけど……。
ジタバタさせた足を放り出す。ベットのスプリングで軋む。何気なく顔を横に逸らすと、ギタースタンドに立てかけられた自分のギターが目に入った。
「──ハッ!」
無意識の間に、ギターを手に取ってストラップを通そうとしている自分がいて、固まる。モヤモヤした時、怒りをぶつけたい時、内側に溜まった感情を吐き出したい時、いつもギターを握った。染みついた習慣が私を引き寄せるのだ。
ひ、弾きたい……今すぐに!
いやダメダメ。一階にはつゆ子さんいるし! あの人最近夜まで仕事してるのに。睡眠の邪魔になっちゃう。つゆ子さんには絶対迷惑かけたくない。ああでも、弾きたい。このやるせない罪悪感を払拭したい! でもこんな遅くに出かけたらつゆ子さんを心配させちゃう……ああ、でも〜〜!!
数分後。
気がついたらケースに収めたギターを背負って、私は夜の街を歩いていた。
... . .. --.. . - .... . -.. .- -.--
「こんな夜遅くに女の子がひとりで出歩いちゃ駄目だよ」
「……スイマセン」
「夜の海は県外からガラの悪ーい人が釣りに来たりするからね。何かあってからじゃ遅いの」
「……ハイ。スイマセン」
「はい。じゃあもう帰った帰った」
「……ハイ」
若いお巡りさんは再び自転車にまたがり、私に家路を促した。
数歩進んでこっそり後ろを伺うと、両手で腕組みしたお巡りさんがニッコリ笑った。私が見えなくなるまで絶対に動かないと言う鋼の意志を感じる。……こっちのお巡りさんは随分優秀だ。
海の岸辺で、ギターを弾き始めてものの数分で、自転車に乗って巡回中だったお巡りさんに捕まってしまった。鬱憤を消化する暇もない。
手にした懐中電灯をぷらぷらさせながら、夜空に向かって大きくため息を吐く。公園……は、周りに家あるし迷惑か……あ〜周りを気にせずガンガン弾ける場所があればいいのに……、と、視線を戻した時だった。まばゆい閃光のような光が私を貫く。何気なく視線を向けると──、二つの閃光は薄暗い夜の中を切り裂くように一定の間隔で回転する。まさしく夜の闇を照らす道標だ。
何気なく、私の足が灯台の方へ向かって進み出す。
「……えっ開いてる」
これが本当の灯台下暗しってやつ?
なんと、灯台の中に入るためのドアは鍵が開いていた。少し開いて中を覗く。海側に面した小さな小窓から差し込む月明かりが、円筒状の空洞の中を朧げに照らしている。
灯台の真ん中を貫くように螺旋階段が上まで続いていた。ゴウン、ゴウン、と照明が回転する時の低い擦れる音以外は、海からのさざ波だけしか聞こえない。どうやら人はいなさそうだ。
「お、おじゃましまーす」
思い切って、螺旋階段を登り階を上がると、目の前に広がるのは──一面の海だった。まるで、スノードームの中に入り込んだみたいだ。夜闇に浮かぶ月が、穏やかに揺蕩う水面に細長い光の道を作る。私はガラス窓に手をついてその風景に息を呑んだ。
もう一度辺りをぐるりと見回す。
かつての灯台守が忘れていったものだろうか、古めかしいキャンプ用の椅子が二脚置かれている。
うん。ここなら周りに誰もいないし、お巡りさんも飛んでこないはず──、と、ギターを椅子に下ろそうとした時、私のつま先に何かが当たる。見下すと、見慣れた三角形のフォルムが目に留まる。
「……メトロノーム?」
私と同じような練習場所を求めるさすらいのギタリストが、ここに置いてったのか? まあ、ありがたく使わせて頂くとしよう。
メトロノームの針を外して、速度を調整。一定のリズムを刻み始める。
さて、何を弾こう。
手癖でギターの弦を弾く。いつも、なんとなく頭の中を流れるフレーズだ。こんな静かな海の夜に弾くにはぴったりの。タイトルもない、曲の構成だって何にも考えてない、誰にも聴かせたことのない私だけの曲。
ただ、思い思いに熱中した。
その間に螺旋階段を登る足音に気付かないほど。
「──続きは?」
思い浮かんだ中途半端なフレーズを弾き終えて、顔を上げたら、隣に高坂春吉が座っていた。
「ヒッ」
お尻が椅子から数センチ浮いた。思わずギターを抱きしめて、後退する。幽霊? 生き霊? いや、影ある。本物だ。
「なっ、どっ、こ、いッ、いつからそこに!?」
「柳さんがギター弾き始めたあたりから」
「……(ほぼ最初からじゃん!)」
全然気付かなかった。気恥ずかしさと気まずさがせめぎ合って顔に熱が集まる。高坂くんはまばらな拍手をして、曇り一点ない晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
「ブルマンのライブんときから思ってたけど、本当に上手いんだな、アンタ」
「エッ、あ、どうも……」
「けど、どうやって入ったんだ? ここの鍵持ってんの、俺しかいないのに」
「開いてたけど……普通に」
「……ま、そう言う時もあるよな!」
「……(絶対閉め忘れたやつだ)」
会話が途切れると、軽快にリズムを刻んでいたメトロノームの振り子が徐々に弱まり、ついに止まった。本当の沈黙が訪れた。
気まずい。気まずすぎる。あんな傷付けること言っておいて、今更合わせる顔が一つもない。
私は傍に置いていたギターケースにギターを収め、いそいそと立ち上がる。見上げる彼の顔が見れなくて、不自然に目を逸らしてしまった。
「……あの、ごめん。勝手に入って。もう行くね」
そうして、彼の前を通り過ぎようとした時だった。
「──待って」
唐突に腕を掴まれた。驚いて振り返ると、高坂くんがこちらを見ていた。
月明かりに背を向けて影に飲まれた彼の姿は、しかし、瞳に宿る虹彩だけは決して暗闇に飲まれない光を放っていた。
「ここ、誰もこなくて、夜に練習するにはいいとこだ」
「……は、はあ」
いきなり何を言い出すんだ彼は。
「俺、家にチビがいるから、家では練習できなくて。ここ、間借りしてんの。……柳さんも、そうなんだろ?」
何も返せなくて、黙ったまま立ち尽くす。
まただ。また高坂くんから、目が逸らせない。特別私を引き寄せる魔法でも使っているみたいに。
「ここ、好きなだけ使っていいから──俺にギター、教えてくれないか」
いろんな感情をすっ飛ばして、私は呆れてしまった。聞き分けのない彼のことも、彼の言葉に心を揺さぶられている自分のことも。
「……私が今日言ったこと、覚えてる?」
「ああ」
「あんな酷いこと言った奴にまだ頼むの?」
「俺がヘタクソなのは、間違ってないしな。けど、才能ないかどうかは、まだ分かんないだろ。まだ初めて一ヶ月そこらだし。こっからガンガン上手くなる予定なんだよ、一応」
「何で私なの?」
「何度も言ってるだろ」
ふ、と柔らかく笑い声を落として、高坂くんは言った。
「お前のギターに惚れたからだ」
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