月への距離の測り方
「別れて」
端的なその一言は僕の胸を精神的に抉ってきた。
目の前にはサークルの先輩でもある彼女が頬杖をつきながら伏し目がちにしている。
「な、なんでさ。僕なにか悪いことした?」
「あ~、なんか萎えたんだよね。つまらない、っていうかさ」
彼女は空になったグラスの中で軽くストロ-を回す。
それは僕に向ける恋情の残量を現しているかのように見えた。
「それにさ、ヨウジ君と付き合ってると不安になるの」
「えっ?」
「いつも近くにいるじゃない、浦河さん」
そのワードを言われると、非常に弱い。
僕の親友、浦河菊菜。
高校の時から一緒につるんでいて、つい先日も飲みに行っていた。
「いや、菊菜はただの友達だよ。それは向こうも同じ考えのはず!」
嘘偽りのない言葉。事実長い時間を共にしていても、そういった甘い空気になったことはないと自負している。
「はぁ…そうだといいわね。まぁでも、もうあなたとは別れるから」
付き合っていられないという態度で、彼女は代金をテーブルに置き、僕には一瞥もくれず店を出ていった。
後に残された僕は頭を抱え、周りからの同情やら嘲りの視線に耐えることとなった。
これで大学に入ってから二人目。
振られるという行為は慣れるものではないと、大きくため息をついた。
「あははっ。そうなっちゃったか~」
数日後、場末の居酒屋でハイボール片手にケタケタ笑う彼女―浦河菊菜と僕は飲んでいた。
「男女の友情っていうのは許容できないものなのかな?」
「そーね、まぁ人それぞれだからねぇ」
菊菜は運ばれてきた唐揚げに躊躇なくレモン汁をかける。
おおよそ相手との距離感が判別できていない間柄なら、やらない行動だろう。
目の前の菊菜はモテる。
容姿も良く、老舗大企業のご令嬢。
高校では1ヶ月に一回は告白を受けていたし、大学生の今でも、男友達から紹介してくれという声を掛けられる。
つまるところ総合的に見て魅力的な女子なのだ。
「なにまじまじ見つめちゃってさ。はっ!今更私の魅力に気づいたって感じ?」
「いや相変わらず代わり映えしない顔だなと」
「いや超失礼だし!」
ガボガボと胃を酒で浸していく菊菜は、僕から見てもあまり女子っぽく感じない。
いうなれば、可憐な女子の皮を被った粗野な男子学生というところだろう。
そういうところが気を遣いすぎなくて、この関係性を築けている理由の一つなのかもしれない。
「いや~これで二人目だねぇ。ヨウジは本当に関係を維持させるのが苦手だというかなんというか…」
「うるさいな…またこれでサークルに行きづらくなった」
天井を仰いだ後、生ビールを一気に呷る。
盛りかえった泡が喉に流れ込むその刹那、脳細胞に快楽物質が溢れだす。
「あー旨い!」
「でも、ヨウジはこれで同じサークルで二人と付き合って二人とも別れるなんて、恋愛向いてないんじゃない?」
「そうかもね。菊菜みたいな親友が居れば、恋人なんて必要ないのかも」
「…それもいいんじゃない。ほらあーん」
「うぃ」
菊菜は唐揚げを箸でつまみ、僕の口に放り込む。
居酒屋特有の油ぎった衣からしか摂取できない栄養を咀嚼する。
…相変わらず口の中がギトギトになるなぁ。
「まぁあんまり考えすぎない方がいいんじゃないかな~。ま、運命の人は割りと近くにいるとかいないとか。ね?」
菊菜はそう言うと悪戯っぽく笑った。
「かもな。…もし今度付き合うなら菊菜みたいなタイプがいいのかもしれないなぁ~」
可愛くて、でも高嶺の花って訳でもなくて。
親しみをもって接することができる、そんな女性が。
「!?そう?まぁ、言われて悪い気はしないかな~」
菊菜は髪を一房、指にクルクルと巻き付けながら顔を赤らめていた。
…そこまで酒飲んでたっけな?
「今日もありがとな。気持ちが楽になったよ」
「なら講義のノート、貸してくれない?」
「それとこれとは別だな~」
「ちえっ、ケチ」
菊菜が頬を少し膨らませる。他の女の子であればそれなりにあざとい仕草なのに、不思議とそうは思わない。
「嘘だよ。貸すよ」
「ホントに?ありがと!ヨウジ好き~!」
「明日も朝からバイトだからまたね~」と言って駅に向かって駆け出していった。
裕福な家庭にも関わらず、そこに胡座をかかずにバイトするってんだから偉いもんだと思う。
…まぁ大学生の本分は専門領域の勉強だとは思うが。
大学に入って初めてできた彼女に振られた時も、直ぐに連絡をくれて、いつもの軽いノリで慰めてくれた。
僕にとっては掛け替えのない「親友」なんだよなぁ。
「いつもありがとな…」
菊菜が人混みに紛れて見えなくなるとそう独りごちた。
東京の夜は明るい。
路上を見れば居酒屋の前の元気な客引きや酒に酔っていながらも幸せそうな顔で歩く千鳥足のオヤジ、黄色い声と野太い声のハーモニーを奏でながら路肩で楽しそうに騒いでいる男女混合の大学生。
きっと誰もが大小関わらず悩みを抱えながら今を生きているけど、俺は恵まれてるんだなぁと切に思う。
今日はベットでぐっすり眠れそうだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「もしもし」
ヨウジと別れた私はスマホの着信を拾う。
「ちょっと!どういうことよ!」
画面越しに騒ぎ立てている醜い声はヨウジとの一時の余韻をぶち壊すには充分だった。
「どうしました?」
「だから!アンタの言った通り、ヨウジ君と付き合って、その後別れてあげたじゃない!連絡待ってたんだけど!」
キンキンと頭に響く声はヒステリーの証で、思わず電話越しにため息をついてしまう。
「あぁ…報酬ですね。ご紹介しますよ。先輩のタイプのちょっとアブない男性をね。これでいいですか?」
「その言い種は気に入らないけど、まぁいいわ。でもアンタ、なんでこんなことさせた訳?」
「こんなこととは?」
長くなりそうだと本能的に感じたが、ここで適当にはぐらかすのも面倒だと思い返答する。
「私をヨウジ君にけしかけた訳よ!聞けば前にも優羽に私と同じことを持ちかけたって!」
「あぁ…」
優羽先輩。その名前は以前ヨウジと付き合っていた。いや、付き合わせていた女性の名前を久方ぶりに聞く。
何でもホストに入れあげた挙げ句、行方をくらましたとか。
まぁ顔だけ良くてそれ以外は壊滅的、特に金銭感覚が壊れていたなぁと記憶している。
…私にも何度かお金せびってきたし。
「アンタ、何のためにこんなことしてるわけ?少なくともアンタにメリットがあるとは思えないのよね」
私は一瞬考えた後、答えた。
「ありますよ。メリット。ヨウジに私を刻み込むためです」
「…は?」
呆気に取られたような声が私の耳に届く。
きっと電話の向こう側で間抜け面を晒しているのだろう。
「ヨウジは今、失恋してますよね?失恋したら、大抵の人は落ち込むと思うんです。そこを私が慰めて、ヨウジの心を埋めたいんです」
私はありのままの言葉で先輩に伝える。
ふと時計を見ると時間は午後10時を迎え、夏の夜風が私の頬を柔らかく撫でた。
「…意味わかんない。アンタ、ヨウジ君と高校からの付き合いって言ってなかったっけ?ならとっとと告って、付き合えばいいじゃない」
理解し難いと言わんばかりの声に私は呆れながら、答える。
「はぁ~。今のヨウジにとって私は非常に残念ながら親友という立ち位置でしか見られていないんです。そんな関係で告白しても断られる可能性があるでしょう?」
「まぁ、一理あるかも」
「だから私が仮の彼女を立てて、振らせることでヨウジの心の隙間を作るんです」
「……はぁ?」
「彼にとって良き理解者であり続ければ、いずれは私が一番の存在であることに気付くはずです。そして最後には私の元に帰ってくることで、晴れて私たちは相思相愛となり結ばれる…」
思わずその情景が目に浮かび、忍び笑いを漏らしてしまう。
「…アンタ、狂ってるわ」
いつも高圧的な喋り方をする先輩が弱々しい声で呟く。
…そんなにおかしいことかな?
「お褒めに預かり光栄です。まぁそういうことなので。あ、そういえば。先輩って一人暮らしですよね?」
「そうだけど?」
「そうですよね。…最近は物騒なので、きちんと戸締まりしてくださいね。では、失礼します」
私は通話を切り、スマホを鞄に仕舞う。
…これで先輩と話すのも最後だろうな。
別に悲しくもなんともないけどね。
東京の夜は暗い。
光源がたくさんあって、田舎よりは明るいけど。
暗いというのは、なにも光の加減だけではないのだ。
迷惑そうにしている女性に対してしつこく絡んでナンパしているチャラいお兄さんに、お酒に飲まれていまにも植え込みに吐き出しそうなおじさん。彼氏と思わしき人にすがり付いて街中で泣き喚く派手な格好をした女性。
はっきり言って、魔境だ。
モラルも秩序もあったものじゃない。
そんな中で私たちを照らす満月だけが唯一、穢れがなくて綺麗だと思った。
…私はヨウジという月に手を伸ばしている最中だ。
普通なら月には手が届くはずはない。
だけど、いつかは。
私が月を掻き抱く時が来ることを信じている。
「あぁ…本当に待ち遠しいなぁ…」
空に向かって手を伸ばすと、いつもよりも少し月が近く見えた気がした。
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