第22話 CDプレイヤー

駅でしらべと別れ、あおいと共に帰宅した俺は、部屋へ入るや否や、少し興奮気味に机の上に置いてあるノートパソコンの電源を入れた。


「どうしたん?お風呂入らへんの?」


あおいが不思議そうな顔で尋ねる。


「ああ、俺は後でいいから、あおい先に入っておいで。着替えはいつもの場所にあるから」


俺たち三人は、次のストリートライブを四日後の土曜日に行うことを決めた。

目下の課題は山積みだが、それまでに出来ることと言えば、まずは新しいチラシとSNSだろう。


そう考え、パソコンの起動画面を見ていた俺だったが、ふとあることに気づき、視線を彼女へと移す。


あおいは鼻歌を口ずさみながら、部屋の隅に置かれた三段ケースの一番下、"あおい"と書かれたシールの貼ってある引き出しを開け、自身の下着を取り出そうとしていた。

出会った時と同じ、白いワンピース姿で。


「あおい、ちょっと待ってくれ」


そう言った俺の方へ振り返り、彼女はきょとんとした顔をしている。


よく考えたら、あおいの服はあの一着しかないんだよな。

下着も、パンツはとりあえず大丈夫だが……ブ、ブラとかはどうなんだろうか……?


それに、今は俺が予備で買ってあった物をあおい用にまわしているが、この先のことを考えたら、いつまでもこのままって訳にはいかないよな……。


あおいの方をじっと見つめ、しばらく考えていた俺は、思いついたようにこう切り出した。


「よし!明日バイトまで時間があるから、二人で買い物に行こうか!可愛い服を買ってやるよ!」


きっと喜んで走り回るだろう。

そう思っていた俺は、予想外の反応に驚かされる。


「ううん、うちいいよ。なんにもいらん」


あおいは少しうつむいて、首を振った。


「じゃあ、お風呂入ってくるね」


そう言って脱衣所の方へ走って行こうとするあおいを、俺は慌てて引き止める。


「お、おい!どうしたんだ?俺、なにか嫌なこと言ったか……?」


彼女が何故そんな態度をとるのか検討もつかなかった俺は、目線をあおいの高さに合わせ、不安を出来るだけ表情に出さないよう心掛ける。


「ううん、てつやは何にもしてないよ。でも……お金かかるんやろ?うち、よくわかれへんけど、てつやがあれ見ながら悲しい顔してるのん見たもん」


あおいはそう言って、机の上に無造作に置かれた俺の財布を指差した。


それを聞いて一瞬呆気にとられた俺だったが、すぐに笑いながらあおいの方を向く。


「ははは!なんだ、そんな事か!あおいは何も心配しなくていいぞ。これでもアルバイト歴が長いおかげで、そこそこ時給は貰ってるんだ。一人増えたぐらい、どうってことないさ!」


そう言って胸をドンと叩いた。


「ほんまに!?やったらな、うちめっちゃ嬉しい!あんな、てつやと買い物行けるの、本間はめっちゃ楽しみやってん!」


少し照れながら、目をくしゃっとさせてあおいが笑う。


こ、こいつ……可愛すぎるだろ。

きっと、子供をもつ親ってこんな気持ちなんだろうな。


子供どころか結婚する相手すらいない現実にすぐに引き戻されかけるも、俺は抱きしめたい衝動をぐっとこらえ、頭をポンと叩く程度に留めた。


「よし、なら風呂に入ってこい」


「うんっ!」


あおいはそう言って、タタタと脱衣所へ走って行った。


その後ろ姿を見送った俺は、机の椅子にゆっくりと腰掛け、深いため息をついた。


「……ふぅ、あんなに気を遣わせるなんてな。さて、どうするか」


心配をかけまいとああ言ったものの、正直なところ、全くもってお金に余裕なんてない。

俺は机の引き出しを開け、その中の預金通帳を手に取った。


ボイストレーニング代に交通費、アーティスト写真やCD制作。

幸いある程度の貯金はしてあるとはいえ、この先のことを考えればとても贅沢なんて出来ない状況だった。


「売れないミュージシャンのつらいところだな……。

ま、しかし最悪、俺が飯でも我慢すればなんとかなるだろ」


先程のあおいの笑顔を思い浮かべ、楽天的な結論を出した俺は、通帳を引き出しの中へ放り投げ、パソコンの画面からイラストレーターというソフトを起動した。


イラストレーターと言うのは、チラシやロゴなどを作るためのデザインソフトだ。

高校の時にデザインの授業で習っていた為、専門家ほどではないが、ある程度は使うことが出来る。


「……よし、チラシのベースはこれでいくか。あとは、SNSだな」


そう言って机に置いてあったスマートフォンを手に取り、バンド用のアカウントを作ろうとした俺は、いきなり大きな壁にぶち当たった。


ーー名前を入力して下さい


おいおい、よく考えたらまだ名前も決めてなかったよ俺たち……。


本当に行き当たりばったりで進んでることを改めて認識した俺は、深いため息をつきながら、今日駅の改札で聞いていたしらべのメールアドレスに連絡を入れた。


ーーなあ、バンド名は?


するとすぐに返事がきた。


ーーふふん、もちろん考えてあるわ。驚きなさい。その名も"オーシャンズ"よ!


そう返ってきたメールを見て、俺は開いた口が塞がらなかった。


いや、オーシャンズって……どう見ても母親のバンドを意識してるだろ、こいつ。

それになんだかスパイ組織みたいで、俺は素直に了承することが出来なかった。


ーー考えさせて下さい。


そう送った五秒後、電話の着信が鳴った。


「ちょっと!どういう事よ!?」


いきなり交戦的な態度で突っかかってきたしらべに、俺はいたって冷静に答える。


「あのなぁ……オーシャンズって、誰がどう見てもビーチーズを意識してんだろ。まぁ、お前がどうしてもと言うなら仕方ないが」


俺がそう言うと、電話口の向こうがしばらく静かになった後、ポツリと声が聞こえた。


「……どうしてわかったのよ」


いやいや、どうしても何もバレバレだろ!

逆に気づかれないと思ってたお前を尊敬するよ!

俺は頭に浮かんだツッコミを、できるだけオブラートに包んだ。


「どうしてと言うか、誰だってわかるよ。お前と母親のことに口を出すつもりはないが、それでもいいのか?」


「……」


俺の言葉に数秒ほど沈黙した後、さっきまでの静けさはどこへいったのやら、しらべが声を上げた。


「あー!うるさいうるさい!それだけ言うんだったらアンタが考えなさいよ!言っとくけど!ダサい名前だったらぶっ殺すから!」


そう言って一方的に電話を切られた。


「……女って、こんな情緒不安定な生き物なのかよ」


そうため息まじりに呟いた俺の後ろから、風呂のドアが開く音がした。


いや、あんな奴ばかりが女の子じゃないさ。

なんてったって、うちには天使がいるんだからな。


女神さま、などということはすっかり忘れていた俺は、まるで十年前から娘がいたような気持ちで脱衣所に向かって叫んだ。


「あおいー!風呂気持ち良かったかー!?」


すると、うん!と言ってほかほかの天使、もとい女神さまがぴょこんと顔を出した。


うんうん、俺を癒してくれるのはお前だけだよ。

俺は満足げな表情を浮かべ、パソコンの方へと向き直った。


しばらく作業をしていると、スウェットに着替えたあおいがこちらに来て、パソコンの画面に顔を覗かせる。


「なあなあ、これなに?」


恐らく初めて見るのだろう。

目の前の機械に一定の興味を示し、そう聞いてきた。


「ああ、これはパソコンだよ。まあ、難しいことは俺にもよくわからないが、とにかく色々できる機械だ」


正しいのか正しくないのかよくわからない説明をすると、あおいはあまり興味がなさそうにふーんと言い、CDプレイヤーの方へ行きスイッチを入れた。


あのCDプレイヤーは、俺が上京して何よりも真っ先に買ったものだ。

当時は毎週タワレコやTSUTAYAに通い、ワゴンセールに積まれた名前も知らないバンドのCDを買い漁ったものだが、今はもうデジタル配信やストリーミングが中心となり、俺もあまりCDを聴かなくなった。

だが俺にとって思い出深い大切なもので、ずっと捨てられずにいたのだ。


長い間押入れの中でホコリを被っていたが、あおいが興味を示して使うようになってからは、CDと共に枕元に場所を移動させ、すっかり彼女の物となっている。


楽しそうにCDを選び曲を聴いているあおいを見て、俺ももう少し頑張るか、とパソコンの方に顔を向けた。


とても暖かくて、心地良い時間が流れていた。

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