第10話 あおい

俺は幕が閉まったステージの一番前にいた。


MIUさんが後ろの関係者席を空けてくれたが、どうしても前で聞きたかったので断った。


本来、出演者が客席で他のアーティストのライブを見る場合、お客さんからは気づかれない位置にある関係者席で見るのが一般的だ。

でないとすぐにファンに囲まれてしまう。


小さなライブやイベントによっては、客席に出て一緒に盛り上げて欲しいと言われる場合もあるが、その場合ほとんどがお客さんが少な過ぎて見栄えが悪いからと言う理由だ。


今回はお客さんも十分入っているのだが、MIUさんに無理を言って許可して貰った。まあ、ファン0の俺がフロアに出ても、なんの問題もないとの考えかもしれないが。


ーーだめだ、想像すると悲しくなる。

そんな事を考えていると、スーッと目の前の幕が開いた。


小さく薄いスポットライトが真上から当たっている。

その光の中を、細かな粒がゆっくりと舞っていた。

俺の時とも、しらべの時とも違う照明だ。


ライトに照らされたあおいは、あまりにも堂々としていて、あまりにも様になっていて、今日の出演者の中で一番歴が長いはずの俺が、もしかして一番初々しいステージングをしていたんじゃないかと、少し自信をなくすほどだった。


一瞬目があった気がした次の瞬間、あおいが一音目を発した。


--------------

PROMISE

作詞・作曲/鳳てつや&MARIA


思い出せない程 朧げな記憶

約束だけは 強く残っている

夢と現実の 境目で君と


微笑み 優しさ 手の温もり今も

孤独な日々に 光をくれる

少し戸惑った 月の夜のダンス


まぶたに溶けていく感情

さよならの中に佇んだ

二人だけの あの場所は

まだ消えない もう一度


I miss you 言葉を交わしたい

I miss you また笑い合いたい

このまま いつまでも 

忘れないでね 忘れたくない


--------------


あの時のままだった。

俺のバイト先、トリキングに現れた時に聴いた歌声。

決して上手いとは言えない、いやむしろ音痴な歌声。

でも何故か心を掴んで離さない不思議な力が、あおいの歌にはある。


そんな俺の考えは、会場全員が共有するものとなった。


隣の人の手を取り合うもの。肩を震わすもの。全員が呼吸を忘れたんじゃないかと思うくらいに静まり返る会場。

俺やしらべの時にはなかった反応が、次々に起こりだす。


ーーこんなに、凄いのか


俺は思わず息をのんだ。

あの時は口ずさんでいるのを聴いただけだったが、大きなステージに立ち、マイクを通したあおいの歌声は、こんなにも素晴らしく響くものだったのか。


あっという間の四分半が終わり、あおいの深々としたお辞儀を讃える様にゆっくりと幕がしまっていった。


「……」


俺が、いや会場中がしばらく黙ったまま動けないでいると、ライブ終了のアナウンスと共にライトが暗転し、お客さん達がゆっくりと出口へ向かい歩いて行く。


その誰もが、口々にあおいの事を話していた。


フライヤーにも、ライブの告知ページにも載っていない謎の少女が、たった一曲で会場中の心を鷲掴みにしたのだ。


俺は目立たないよう会場の隅に移動し、その様子を黙って見ていた。


「完敗、だな」


そう呟きながら、不思議とどこか満足げな表情を浮かべていた。


すると会場の真ん中辺りから、出口ではなくこちらへ向かって一人の男性が歩いてくる。


会社帰りだろうか、少しくたびれたスーツと革靴にビジネスバッグを携えた、五十代くらいのおじさんだ。


「あの。てつやさん、ですか?」


まさか名前を呼ばれるとは思っていなかったので、俺は驚きながら答えた。


「は、はい!そうですが」


「やっぱり。わたしは今日MIUさんの紹介で来させて頂きました。恥ずかしながら、ただのしがないサラリーマンでして、音楽の事はあまり詳しくありません。ですのでもちろん、今日出演されるどなたかのファンだった訳でもありません」


「はあ……」


意図がわからず気の抜けた相槌をうつ俺に、男性は続けた。


「こんなおじさんの言葉はあまり嬉しくないかも知れませんが、わたしはあなたの歌声が今日一番心に響きました。頑張って下さい。これからもあなたのファンとして、応援しています」


そう言って男性は軽く会釈をし、出口の方へと向かって行った。


ーー!!


「あ!あの!!」

「本当にありがとうございます!本当に!頑張ります!頑張りますので!!」


あまりに予想外の事に一瞬頭が真っ白になっていた俺は、見えなくなって行く男性の後ろ姿に何度も何度も深くお辞儀をした。


嬉しかった。心から嬉しかった。今日自分が感じた手答えは間違っていなかったんだ。


「はは。まぁ、周りが化け物すぎたか」


俺はそう感じながらも、決して悲観的ではない表情で楽屋へと戻って行った。

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