第5話 チンアナゴって、ちょっとエッチじゃない?
また謎が一つ増えてしまった。エイナとの距離が近づくほど、新しい問題が浮かび上がる。
正直、僕の頭で処理できる範囲を超えていた。
帰宅して部屋のベッドに転がりながら考えているが、頭から煙が出そうだ。枕に頭を押し付けて足をバタバタとさせていると、ドサッとなにかが背中に乗ってきた。
「ザコ兄、まーた悩んでるの?w」
チラッと見ると妹のモモがいた。長いツインテールを手に持ってクルクルと回している。
「エイナちゃんのことでしょ?」
「なっ?! なんでそれが分かるんだっ?」
「ザーコザコw ザコ兄ちゃんの考えてることなんか、ドーナツよりも分かりやすいんだからっ」
「穴が空いているから、筒抜けってこと?」
「ぶぶー! ドーナツの穴がザコ兄ちゃんの本体なの! 全部スケスケってことw」
「僕の存在はなんにもない!」
「ニャハハハ! 外側は美味しく食べてあげるね!」
そう言ってモモは僕の上でぴょんぴょん跳ねる。
「ザコ兄、恋愛師匠の僕が話を聞いてあげよう!」
「ハハー! お願いします!」
僕はモモにエイナのことを全て話した。
「こんがらがってるねぇ……」
「そうだろ? 僕にはなにがなんだか、さっぱり分からなくて……」
「うーん。分かる必要があるの?」
「神楽坂さんが困ってるみたいだし、力になってあげたいんだ」
「エイナちゃんが、ザ兄に求めてるのは、それなのかな?」
「ザ兄って、ザコ兄を定冠詞みたいに省略した言い方は止めて? 逆に強くなったみたいだ」
「デートしてみるのはどう? そしたらもっと色々分かるんじゃない?」
唐突に言ったモモの提案に、僕は怖気づいてしまう。デートってなにそれ、おいしいの? あれはパリピや陽キャたちだけのイベントで、最底辺ド陰キャには世界線が違うと思っていた。
「連絡先を交換したんだよね?」
「一応したけど……」
「遊びに誘ってみようよ!」
「ふぁ?! そんなことできるわけないだろ!」
「エイナちゃんのこと、気になってるんでしょ? もっと知りたいんでしょ?」
モモがニヤニヤと僕を見ている。そりゃ親密になりたいし、もっと彼女を理解したい。
「恋愛師匠に任せなさい!」
そういってモモは無い胸を、ドン! と叩いた。
「そんなこといって、どうするんだ」
「いいからスマホを貸してっ!」
渋々とモモにスマホを渡すと、シュババッ! とものすごいスピードで指を動かしている。僕は怖くなった。なんでパスワードも教えてないのに、勝手に開いてるの? どうなってるの僕のプライバシー!
「ちょっと、止めろってば!」
「ちょちょいのちょいっと。ほい! やっちゃった、てへ」
必死になってスマホを取り戻してみると、まさか画面にエイナとのやり取りが……。
――明日の土曜日、水族館に行きませんか?
ななななななな、なんてことをおおおおお!!!
「ちょっとおまえ、これ、シャレにならないって!」
「にゃはははは! 初めてのメッセージでデートに誘うって、ザコ兄やっるー!」
「どうするのこれ!」
「デートに行けばいいじゃん?」
「断られるに決まってるだろう! それどころかブロ削(ブロックあんど削除)されて終わっちゃうよ!」
ピロン。
僕が取り乱していると、スマホが鳴った。見るのが怖すぎる。絶対に引いてるはずだ。
「ザコ兄、見ないの? 僕が見てあげよーか?」
「もう二度とおまえにスマホは渡さない! 自分で見るからいいよ」
恐る恐る、彼女から届いたメッセージを見る。死刑囚が終わりの日を告げられるような気分で。
――いいよ。
「え?」
「ザコ兄、やったじゃん! 人生初デートだよ!」
「なんで僕がデートをしたことないの知ってるの?」
「にゃは! そんなの近所の野良猫に聞いたらみんな教えてくれるよw」
「野良猫ネットワーク怖い! それよりデートなんてどうしよう? 女子と二人きりでなにを話して良いのか分からないよ!」
「ヨワヨワの、ザコザコ兄w 僕がなんのためにザコ兄の妹をしていると思うのさ?」
「恋愛師匠! この憐れでザコい我に救いを与えたまへ!」
「まっかせなさい! じゃあ明日、駅前に10時集合だから!」
「分かった! って、もしかしてモモも来るの?」
「当たり前じゃない。人生初デートに失敗したら、受験も就職も結婚も老後の生活も全部失敗しちゃうんだから!」
「僕の人生は明日にかかってるの?!」
「にゃはははは! 骨は拾ってあげるね」
そう言うとモモが、僕の上から飛び降りて部屋を出て行った。
恐る恐る僕は、エイナに明日の予定を連絡する。すると3秒後に、OKと返事がきた。そのあとにきたスタンプは、ウインクをしているキリンさんだった。
生か死か。このミッションに失敗は許されない。
翌日、朝の十時に僕らは駅前で待ち合わせる。眠そうに歩く妹を引っ張って少し早めに到着すると、時間ぴったりにエイナはやってきた。
白いワンピースに、白い無地のトートバッグ。どこかに感情を落としたのか、無表情で無機質な顔をしている。彼女は僕らを見ても、眉一つ動かさない。
「神楽坂さん……、おはよう」
「おはようございます。そちらの方はどなたですか?」
「にゃはは! ホントに美人さんだね。ザコ兄の妹のモモでーす!」
……沈黙が流れる。
そもそも初デートに妹を連れてくる男って、どうなんだ? 痛いシスコンと思われて、ドン引きしているのでは……。
「ねえ、一ノ瀬くん。今日の私は、どんなキャラでいけば良いのでしょうか」
「キャラ?! 普段通りで良いんじゃないかな?」
「分かりました。学校の私モードにします」
僕とエイナの会話を聞いて、モモがケラケラと笑っている。
すると、まるで雪解けの中から現れた花のように、エイナが微笑んだ。いつもの僕の知っている彼女だけど、まるで機械のようだと僕は感じてしまった。
「今日は誘ってくれてありがとう! 私、水族館が初めてだから楽しみ!」
「ザコ兄……。僕ちょっと怖いんだけど、さっきと同じ人なの……?」
モモが驚いて耳打ちしてくるのも仕方がない。
とりあえず僕らは電車に乗って水族館に行く。その間、エイナとモモは楽しそうに話している。僕のパソコンのブックマークの話で盛り上がっているようだ。運動部のマネージャーのエッチな話が好きって、なんで知ってるの? パソコンのパスワードも変えておかなくちゃ……。現地に着く頃には二人はすっかり打ち解け合っていた。
水族館の中に入ったら、モモが子供のようにはしゃぎ回る。エイナは楽しそうについていく。僕はその後ろを生暖かい目で見守っている。でもこれ、僕の初デートなんだよね? 引率の先生みたいなポジションになっているんだけど。
「チンアナゴ見て! 可愛くない? 可愛くない?」
「ほんとだ! 目がくりっとしてる!」
「ねえねえ、ザコ兄。チンアナゴって、ちょっとエッチじゃない?」
「なに言ってるんだおまえ!」
ほんとなにを言ってるんだ妹よ……。一通り見終わった後、僕らは食事をする。モモがトイレに行っている間、エイナに気になっていることを聞いてみる。
「神楽坂さんは、家族とかいるの?」
「それは模範解答じゃなくて、ちゃんと答えなくちゃだめ?」
「模範解答……? できればもっと君のことを知りたいし、本当のことを教えてほしい」
すると先ほどまで穏やかな表情だったのに、彼女の表情が南極の氷のように冷たくなった。
「私には家族はいない」
急に、棒読みのような喋り方になった。
聞いてはいけないことを言ったと少し後悔したが、ここで会話を止めたら彼女のことがなにも分からなくなる。
「いつも家でどんなことをして過ごしているの?」
「私には家はない」
「……どこで暮らしているの?」
「施設で暮らしている。そこでは、試験や点検や実験をしたり、それ以外はずっと座っている。あまり勝手に学習とかしたらいけないから」
「その施設って、いったいなんなの……? あの白い部屋のことだよね……」
考え込みながら僕が言うと、モモが陽気に戻ってきた。
「にゃっほー! たっだいまー!」
大事なことが聞けずに、会話は終わってしまった。エイナは再び表情を取り戻して、元気に「おかえりー!」と言っている。
僕らは再び水族館の中を歩く。クラゲのコーナーで、エイナが立ち止まって眺めていた。
「ねえねえ、ザコ兄。ちょっとは進展した?」
モモが僕に近づいて、ニヤニヤと笑いながら小声で言う。
「分からないことばかり増えていく感じだ……」
「そういうのが良いんじゃない? クラゲみたいに、ミステリアスで神秘的で。それに、すごい可愛いじゃん」
「……恋愛師匠、どうしたら彼女と近づくことができるんだろう」
「ふむ……。悩めるモテない青年よ、教えてあげよう。それは距離とタイミングだね。僕は二人がお似合いだと思うよ。だからあとは若い二人に任せて、僕はそろそろ退散するよ」
「ええっ? もう行っちゃうの?」
「にゃははは! 初デートに妹同伴って、そうとう気持ち悪いの自覚してる?w 帰りにコンビニのアイス買ってきてね! 五百円の高いやつでよろしくっ!」
そう言ってモモは、いなくなった。いきなり崖から突き落とされたファーストペンギンのような気分になる。
離れたところでエイナはクラゲを見つめていた。さりげなく近づいて、隣に立ってみる。 青白い水槽の光が、彼女の透明な肌を淡く照らしている。
クラゲよりも、僕は彼女の横顔に釘づけになる。
モモがいうように、ミステリアスで神秘的だ。そしてなにより美しい。
胸がドキドキするけれど、今までの気持ちとどこか違う気がする。
彼女は真剣な表情で、ふわふわと踊るように泳ぐクラゲたちを見つめている。
「一ノ瀬くん、今日は連れてきてくれてありがとう。私、本当に初めてだった。こういう風に出かけるのも、水族館も。海の月と書いて海月(くらげ)……こんなにも美しいのね。データでは知っていたけど、実際に見ると全然違う。不思議だな……」
「データ……? 神楽坂さんは何者なの……?」
「分からない……。一年前、私は目覚めた。それまでの自分のことが思い出せない……」
事故にあったり病気にでもかかって、大きな病院で入院しているのだろうか。
僕は思い切って、あの名前を出して聞いてみることにする。恋愛ダイバーで覗いたノアの記憶に出てきた、エイナそっくりの少女。
「ミウって名前に聞き覚えはない?」
「ミウ……?」
また、彼女の目から光が消えていく。
「――メモリにアクセス中。該当の記憶はありません」
抑揚のない声で答える。
「君の名前は、本当に神楽坂詠奈?」
「この人格は神楽坂詠奈。個体識別番号はNo1027号」
「もしかして君は、ロボットとか人造人間なの?」
驚き唖然としていると、彼女の目から涙が流れてきた。
「わ、わたしは、にんげん……。わたしは、いきてる……。わたしは、みうを、ころした……」
そう言うと、彼女は意識を失って倒れた。
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