第6話 大山君の『大きな秘密』とその告白

 お風呂上がり。私はいつものように保湿クリームを顔に塗って、ドライヤーで丁寧に髪の毛を乾かしました。昔は保湿クリームを塗らなくても何も問題はなかったのですが、大学三年生の冬ごろから乾燥が気になるようになりました。


 今の会社に就職して、毎日のように『化粧』をするようになってからは、日々のスキンケアが欠かせません。本当は最初に化粧水を塗って、乳液を塗って、最後に保湿クリームを塗った方が良いのかもしれませんが、それを毎日となると、とてもではありませんが、私にはできません。


 職場の同僚と話しをしていると、たまに『スキンケア』が話題になることがありますが、毎日のように『化粧水』『美容液』『乳液』『クリーム』と、四段階の入念なケアを行っている人の話を聞くと、私は素直に尊敬の念を覚えます。

 私は今年で27歳になりますが『スキンケア』だけではありません。『ファッション』も、『お化粧』も、『アーティスト』も、多くの女性が自然と興味を抱くようなことに全く関心を抱かないまま生きてきてしまったせいで、しばしば同僚が話す『当たり前の話題』についていくことができません。



 気が付くと、時刻は午後十時を回っていました。そろそろ大山君もリビングで待っているはずです。私は椅子に掛けてあった『はんてん』を羽織って、部屋の明かりを消し、リビングへと向かうのでした。



 大山君は煎茶を淹れてくれました。大山君が少し緊張した様子で『どうぞ』と湯吞を差し出すので、私も思わず緊張して『どうも』と受け取りました。

 お茶請けは、私たちが好きな『黒豆せんべい』です。一口食べると、醤油の香ばしい風味と黒豆の素朴な味わいが口の中に広がって、それが幸せで、つい二口目を食べてしまいます。煎茶を飲むと、いつものように私はホッと一息つくのでした。


 しかし、大山君は黒豆せんべいの包装を開けることもせず、ただ煎茶を一口飲んだだけのようです。それに気が付いた私は黒豆せんべいをテーブルの上に置いて、大山君の方を向き直しました。そして、静かに大山君の言葉を待ちます。


 「……雪野さん、もし、僕の秘密が受け入れられなかったら、無理をせずに、正直に仰ってください。出て行けと言われれば、すぐにでも荷物をまとめて」

 「大山君、今さらそんなことを言わないでください。たとえそれがどんな秘密だったとしても、覚悟はできています」

 「……ありがとうございます。でも、僕の秘密というのは、決して雪野さんが考えているような秘密ではないんです」

 「……では、それは、重大な犯罪に関することですか?」

 「いいえ」

 「では、借金やお金に関することですか?」

 「いいえ。秘密というのは、僕の……僕の、生まれに関することなんです」

 「……生まれ、ですか?」

 思わず、私は拍子抜けしてしまいました。大山君の様子から『億単位の借金』さえ覚悟していましたが、ただの『生まれ』とは流石に予想外です。

 大山君は『山間の長閑な村』で生まれ育ったと聞いていますが、実はバリバリの『シティボーイ』だったとか、そう言うことなのでしょうか?



 大山君は小刻みに震える手で湯呑を持ち上げると、煎茶を一口飲みました。そして湯呑を置くと、おもむろに顔を上げ、私のことを真剣な眼差しで見つめます。どうやら、決心がついたようです。

 「実は、僕はたぬきなんです」

 「……は、はい?」

 私がその言葉を理解するのに、たっぷり三秒以上はかかったと思います。そして、ようやくその言葉を理解した私は、普通に考えて『聞き間違い』だと判断しました。

 「あの、大山君。悪いんですが、もう一度言ってくれませんか」

 「はい。僕は、たぬきなんです」

 「た、たぬき……ですか」

 聞き間違いでも、言い間違いでもありませんでした。ますます訳が分かりません。


 「大山君、できれば、こんな時に冗談は言わないでください。それで、大山君の秘密とは、一体何なんですか?」

 「ですから、僕はたぬきなんです」

 「……あの、いい加減に本当のことを言ってくれないと、流石に怒りますよ?」

 「僕は本当のことを言っています」

 「だって大山君は、何処からどう見ても人間でしょう」

 「今は人間ですが、本当はたぬきなんです」

 いつまでも悪ふざけをやめない大山君に、私はだんだん腹が立ってきました。

 「なら、たぬきの姿を早く見せてください」

 「……ここで、ですか?」

 「はい。ここで、です」

 「でも、毛も抜け落ちると思いますし、お風呂場の方が良いと思いますけど……」

 「いいえ、ここで結構です。それとも、できないんですか?」

 「……分かりました。では、失礼します」

 『ボン!』

 「⁉」


 するとどうしたことでしょう。リビングは一瞬にして白煙に包まれ、たちどころに大山君の姿が見えなくなってしまいました。

 「ちょ、ちょっと、大山君ッ⁉」

 白煙の勢いはすさまじく、大山君の姿どころか、やがて目の前に置かれていた湯呑も、それどころか、テーブルすらも見えなくなってしまいます。換気をしようにも、私は一歩も動くことができませんでした。手で口元を覆いながら、なるべく低姿勢でやり過ごします。


 しばらくすると自然と白煙が晴れていきました。そこで、私は驚くべき光景を目の当たりにします。なんと、大山君がきれいさっぱり姿を消してしまっているのです。それも、衣類や黒縁の眼鏡だけはそのままに、『中身』だけがこの場にはいないのです。


 さらに驚くべきことは続きます。大山君にかわって、可愛らしい『たぬき』が、衣類の横に『ちょこん』とお座りをしているではありませんか。たぬきと目が合うと、たぬきはおもむろに口を開きました。

 「雪野さん、これが、僕のたぬきとしての姿です」

 確かに、間違いなく、それは大山君の声なのでした。

 「……お、大山君?」

 「はい。僕は大山です」

 口の動きを見ていると、どうやら本当にたぬきが喋っているようです。


 ですが論理的に考えて……というより、論理以前の問題として、常識的に、目の前のたぬきが大山君と同一の個体であるはずがありません。人は人、たぬきはたぬきなのです。

 最初は『マジック』の可能性を疑いました。ですが、よくよく考えると、大山君がこのタイミングでマジックを披露して私を驚かせる意味が分かりません。私は現状をどのように解釈すればいいのか分からず、しばらく固まってしまうのでした。

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