ずっと好きだった
@nkft-21527
第1話 十五年振りの再会①
学生時代から住んでいるマンションは、そろそろ築三十年を迎えようとしていて、颯(そう)が住み始めてからでもすでに十二年になる。大学進学のために上京することになり、両親を伴って大学近くの不動産屋を訪ねたのは、合格通知をもらった翌日のことだったのに、すでに大学まで徒歩圏の単身用マンションの空きはなかった。
父親のアドバイスもあり、自転車かバス、あるいは電車でひと駅かふた駅で通学できる範囲まで対象を広げて、やっと見つけたのが、当時すでに築十年以上経っていたこの八階建てのマンションの1DKの部屋だった。
颯はこの部屋がすぐに気に入った。実家の広い部屋を持て余していたこともあり、このほどよい狭さに心地好さを感じていたし、小さなベランダから見える公園の落葉樹が季節で色を変えて行く景色も好みだった。
「ここに決めます」
颯は即答をした。
「もっと他所の部屋も見た方が良いとお母さんは思うけど。時間もまだあることだし」
「そんなことしていたら、すぐに別の人に借りられてしまうよ」
「そうだな。こんな好条件な部屋、そう易々とは見つからないかもしれないな」
父親が援護射撃をしてくれた。
それでもなかなか妥協できない母親は、部屋中を見回して気に入らないところを羅列した。
「浴室とトイレ、それにキッチンを足しても、あんたの部屋より狭いのよ」
地元では名士と言われている、四代続く工作機械を輸出入する会社を経営する実家の、第二子であっても長男である颯の部屋は、三十五平米足らずのこのマンションよりも確かに大きかった。このことが母親には不満だったのだ。
「大学に近いマンションでは、同じ家賃で三十平米以下のワンルームが主流ですから、お得な物件だと思いますよ」
案内してくれた不動産屋の担当者の説明通り、不動産屋の物件のリストに載っているのは、三十平米以下のワンルームが主流だった。
「残り物に福があるということわざもあるけど、最初のインスピレーションを僕は大切にしたいと思うタイプなんだよね」
気持ちの変わらない颯の意志の強さに負けて、最後は母親も、「住むのは颯なんだから」と渋々だが承諾してくれた。
あれから十二年。大学院を卒業し、都内の国内有数の大手商社に就職をしたあとも、ずっとこの部屋に住み続けていた。
会社には電車と地下鉄を乗り継いで、ドアtoドアで1一時間20二十分かかる。部屋から最寄り駅まではバスもあるが、自転車で移動していた。これも学生時代のままだ。
大手といわれる商社に入社して六年。開発営業としての手腕を上司に高く評価されていると自負している。ボーナスを含めた年収も、同世代の会社員では上位の方だと思う。都心に近いマンションに引っ越せば、通勤も楽になるし、第一生活が華やかになる。家賃を払う経済的な余裕は十分にあるが、引っ越すことは入社以来一度も考えたことがなかった。自転車、電車、地下鉄の通勤ルートも、今では完全に自分のリズムになっていて、雨の日や、猛暑の日、極寒の日もあるが、颯は四季を問わずこのリズムを壊したくなかったのだ。ずっとそう思いながら暮らしてきた。
その颯が十二年間暮らした愛着のあるこの部屋から引っ越そうと考えるようになったのは、あいつを見つけたのがきっかけだった。
あいつ。そう、戸部博之(とべひろゆき)を見つけたのは、地下鉄有楽町線の飯田橋駅のホームだった。それは改札からホームに向かう階段を下りている時の偶然の出来事だった。
博之を見たのは十五歳、中学三年生の夏以来だった。あれから十五年、すでに互いに三十路を迎える歳になっているのに、まるで博之だけが時間の流れに置き去りにされていたか思えるくらいに、十五歳の時の印象そのままだった。
それは、丸刈りに近い髪型が、十五歳の時と全く同じだったせいかもしれない。だから、見た瞬間も、他人のそら似で人違いではないかという懸念を颯は全く抱かなかった。
午前十時過ぎのホームは人で溢れていた。ちょうど到着した池袋方面行きの車両から降りて来た人たちで、ホームの人口密度は一気に高くなったが、颯の目には博之だけにスポットライトが当たっているかのように、それ以外の景色は全く目に入って来てはいなかった。
客を吐き出した池袋方面行きの電車に博之が乗り込もうとしていた。階段はまだ半分ほど残っている。
「ヒロ」
と名前を呼んだ。反応がない。人違いだったのか? 少し気持ちが揺らぐ。
あとちょっとでドアが閉まってしまう。階段はまだ残っている。
「ヒロ!」
声の限りに叫んだ。ドアが閉まってしまえばもう声は届かない。これで反応がなければ、やはり人違いだったのだ。
颯の叫び声に電車に乗り込もうとしていた客の多くが一斉に、声の方向に振り返った。丸刈りの男もその一人だった。一瞬目が合った。でも、すぐに電車に乗り込み、ドアが閉まった。やっと颯もホームに到着した。すでに電車は動き出していた。その電車を追ってホームを走った。博之と思しき丸刈りの男が乗り込んだドアに追いついた。閉まったドアの正面に男は立っていた。
「ソウ!」
男は目を見開いて、そう言った。当然声は聞こえなかったけど、口の形ではっきりとそう読み取れた。これに応えるように颯は右手を挙げた。すると博之も右手を挙げて応えてくれた。
間違いなかった。博之だった。この日は、颯にとって十五年振りに博之に再会した、忘れることのできない特別な日となった。足元から爽やかな風が吹き上げるような、そんな幸せな気分になっていた。
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