寝取られた彼女と寝取り返した僕 全年齢版

吉永凌希

第1話 晶に相談する1

「ところで、遼太りょうたさぁ、最近、いぶきとはどうなんだよ?」


 従姉妹いとこ西沢にしざわひかりが隣の席に腰を下ろしながら、そう問いかけてきたとき、僕はとっさに返事ができなかった。あまり触れられたくないのに、それでいて誰かに聞いてもらいたいような、とても微妙な話題だったから。


 僕は顔を前に向けたまま、鉄板の上でかすかに湯気をたてているお好み焼きの残りを、ヘラですくいながら口を開いた。


「なんで、そんなこと訊くんだよ?」


 とりあえずそう返しておいて、お好み焼きを口に放り込み、晶の方に顔を向けて言葉をつけ加える。


「もしかして、いぶきから何か聞いたの?」


「いや、あいつからは特に何も聞いちゃいねえよ」

 と、即座に否定する晶。


 ただ、その口調にはわずかに戸惑いが混じっているような気がした。いとこ同士としての付き合いが長いから、そんなことまでカンが働いてしまう。


 長い付き合いといえば、いぶきだってそうだ。

 お向かいの一軒家に住んでいる、十数年来の幼なじみ。付き合い始めてから一年四ヶ月になる、かわいい彼女。高二の春に僕から告白した。


「ありがとう。わたしも遼太のこと好きだったからうれしいよ」


 なんて、つぶらな瞳を少し潤ませながら、いぶきも笑顔でOKしてくれたっけ。


 その後、交際はまずまず順調だと──僕は──思っていたけれど、世間一般の感覚からすると、どうやらそうでもなかったみたい。とにかく、超スローペースの交際だったんだ。


 付き合い始めて一ヶ月でようやくキスまでこぎつけたものの、そこから先にはどうにも進めなかった。幼なじみとして接した期間が長かったから、どこか家族に似た感覚が残っていたんだと思う。何か行動しようとすると、気恥ずかしさが先に立つのと同時に、いぶきの両親の顔がちらついて萎えてしまっていたんだ。


 そして──ここのところ僕たちの関係は、ひときわ良好とは言えない。一ヶ月ほど前から、デートに誘っても断られることが多くなってしまった。


 さかのぼれば、今年の春、高三になってから、なんとなくギクシャクするようになったんだ。まあ、その原因はわかっているんだけど。


(いぶきは、僕に野球を続けてほしかったんだよな。でも──)


 そこで僕の回想を破るかのように、晶が言葉をつぎ足す。


「だって最近、おまえの口からいぶきの話題が出てこないからな。覇気のない素振りも目につくし……」

「やっぱり気づかれてたんだ。晶って、一見がさつに見えるけど、妙なとこで鋭いんだよね」

「バカ。オレなりに心配してんだ」


 わかってるよ。晶の気づかいは。いつもぶっきらぼうな男言葉を使っている、男まさりな女子。小学生の頃から一人称は「オレ」だもんな。


 行動も女っぽくないから誤解されがちなんだけど、行き届いた気配りができる繊細な一面も持ち合わせている。それを見抜いた一部の男子の間では、その容貌も相まって晶は根強い人気があるんだ。


 ぼんやりと晶の顔に視線を投げる。

 くせ毛がかったボブカットの髪。やや目尻の上がった涼しげな瞳が印象に残る、大人っぽくクールな顔立ち。従兄弟としての贔屓目ではないが、整った面立ちだと思う。


 身長は一六○センチ台半ばだというから、女子にしてはやや大柄だ。ヒールのある靴を履いて並ぶと、僕とあまり変わらないくらいになる。


「な、なんだよ。人の顔、ジロジロ見つめやがって」


 僕は慌てて顔をそらし、ごまかすように頭を動かして周囲に視線をめぐらせた。


 八月下旬の残暑厳しい平日。夜九時を過ぎた場末のお好み焼き屋には、すでにお客さんの姿はなかった。


 ここは、晶の両親が経営するお好み焼き屋『ひとみ亭』の店舗兼住居。「ひとみ=瞳」は、晶の母親の名だ。僕にとっては、おば──母・のぞみの姉──にあたる。


 僕の家は、母一人子一人の母子家庭。父は僕がまだ小さい頃に病死した。経済的には恵まれない中、母さんは女手ひとつで僕を育ててくれたんだ。


 高校生になって、少しでも家計の足しになるようにと、学校で許可をもらってアルバイトを始めた。基本的に水・土・日の三日、『ひとみ亭』の隣にあるコンビニで働いた後、ここで晩ごはんを食べさせてもらって家に帰る、というのがルーティンになっている。


 伯母夫婦は、僕ら母子のことを心配してくれて、何かと援助の手を差し伸べてくれているんだ。店の経営だって、決して楽じゃないだろうに。


 ちなみに、この店を仕切っているのは、おばさんの夫である勝実さんだ。今、僕が食べているのも、勝実さんが作ってくれたお好み焼き。あ、おじさん・おばさんなんて言うと夫婦は不機嫌になるので、普段は「勝実さん」「瞳さん」と呼んでいる。


 その勝実さんも瞳さんも、片付けの作業で行ったり来たりしているから、話に割り込んでこられることはないだろう。


 僕は晶の方を向いて、

「僕ら、もうダメかもしんない……」

 と、ため息と一緒に胸の中のわだかまりを吐き出した。


「何か、いぶきにそれっぽいこと、言われたのか?」

「そういうわけじゃないんだけど……なんとなく避けられてるように感じるんだ」

「いつからだよ?」

「ここ一ヶ月ぐらいかなぁ。夏権が終わるまでは、いぶきも忙しくてデートどころじゃなかったし」

「でも、おまえ、梅雨時にもなんか愚痴ってなかったっけ。どうもうまくいかないとか……」

「うん……」


 僕はお好み焼きの最後のひときれを口に放り込み、呑み下してから言葉を続ける。


「そもそも、春に部活を辞めてから、どこか気持ちがすれ違うようになったんだよ」


 部活というのは野球部だ。僕は小学校五年生の頃からリトルシニアのチームに入り、この私立相郷あいざと秀嶺しゅうれい高校でも野球部に入部して、白球を追う生活を続けてきた。


 それを苦労しながら支えてくれたのが母さんであり、一番熱心に応援してくれたのが、野球部のマネージャーになったいぶきだ。


 でも僕は、あるアクシデントをきっかけに野球への情熱を失い、今年の春に退部した。


 アクシデントの後、いぶきは僕が野球を続けられるように元気づけ、励ましてくれていたんだけど、僕はとうとうその気持ちに応えられなかった。彼女の思いを振り切ってまで、野球を辞めてしまったことで、深く失望させてしまったんだろう。


「まあ、いぶきの気持ちもわかるけどよ……でも、そこは遼太としても苦渋の決断だったわけだしなぁ」

 訳知り顔で晶は言う。


「それで、いぶきに避けられてるって、具体的に何かあったのか?」

「花火大会と夏祭りに誘ったんだけど、どっちとも断られたんだ」

「理由はなんだって?」

「花火大会は……たしか『夏権疲れで体調悪いから』。で、夏祭りは『別の予定が入ってるから』だった」

「夏祭りって、雛岡神宮の……だよな」

「うん。こないだの日曜日のやつ」

「……」

「それまでも──これは僕の感覚で、何がどうこうってのはうまく言えないんだけど、なんとなく僕と顔を合わせたくないのかなって雰囲気を、たびたび感じてたんだよ」


 晶は形のよい眉をひそめながら、じっと僕の話を聴いてくれた。


「それが、ここ一ヶ月ほどのことなんだな」

 そう確認すると、晶は厳しい顔で宙をにらんだまま、しばらく沈思黙考を続ける。


「どうかした?」


 僕の問いかけで表情を動かした晶は、

「う……ん、いや。なんでもない」

 と答えたあと、すかさず話題を変えた。


「ところで、おまえ、例のサプライズ企画のことはいぶきに話したのか?」

「いや、それが──」

 僕は言葉に詰まった。


「まだ言ってねえのか。なにグズグズしてんだよ」

 晶の口調が荒くなる。


「もうチケットは手に入れたんだろ。早く誘わないと、それこそあいつ、予定いれちゃうぞ」

「わかってるって」

「おまえ、まさか、それも断られちまうかも……なんて、ビビってんじゃないだろうな」

「実は……少し、それある」

「遼太、男がそんな弱気なことじゃいけん!」


 別の方向から、野太い声がした。勝実さんだ。いつの間にか話を聞かれていたらしい。


 彼は西のほう──広島あたり──の出身だそうで、関東こっちに住みついて長いのに、独特の凄みのある方言が抜けない。というか、抜く気がないのかもしれない。厄介なお客を一喝するには効果的だから。


「遼太は優しすぎて押しが弱いんじゃ。もう少し強引に──」

「父さんは黙ってて」

 思いのほか語気強く晶が遮る。


 苦笑いを浮かべた勝実さんは肩をすくめるようにして、再び片付け作業に戻った。強面の勝実さんも、娘にはからっきし弱いんだ。


「まあ、父さんの言うことも一理あるんだけどな」


 晶は僕のほうに向き直って言う。

「たまには、いぶきのやつにガツンと言ってやってもいいとは思うが……根がおっとり系の草食男子くんには無理な相談か」

「なんだよ、バカにしてんの?」


 勝実さんと晶からの波状攻撃に、少しムッとした顔で言い返した。


「そんな……バカになんかするわけないって」

 僕の抗議を軽くいなす晶。


「それが遼太のいいトコでもあるんだからさ」


 それから、元気づけるように僕の肩をポンポンと叩いて、言葉をつけ加えた。

「ま、明日にでもいぶきに連絡して、探りを入れてみてやるよ」

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