第5話 要らない加護

「お前には、その魂に神の加護がついてる」


 ルミアスは突然何を言い出すのだろうかと、リュートはぱちぱちと目を瞬かせる。

 この短時間の間に、悪魔の存在を認識したかと思えば、今度は神ときた。

 現実では到底あり得ないことが起こりすぎて、リュートの頭は混乱し、知恵熱を出し始める。


 ――いちど落ち着かなければ。


 乱されたシャツを整えてからベッドを降りると、朝食と共に運ばれてきていた水差しからコップに水を入れて口に含む。

 パンの時のようにルミアスに止められるかと思ったが、流石にただの水では何も言わないようだ。

 ぬるい液体が口の中に広がり、幾分か熱を奪ってくれる。

 リュートはそれから何度か深呼吸をして冷静さを心掛けた。


 意を決して振り向くと、ベッドから降りたルミアスが、どこから出てきたのか革張りの一人用ソファにゆったりと腰を落ち着けていた。

 棒切れのような手足のリュートとは違い、肘をつき長い足を組む様は優美さがある。

 わずかな間見惚れていたリュートだったが、大事なことを聞かねばならないのだと左右に頭を振って切り替える。

 再びベッドに腰掛ければ、軽いはずのリュートの体重でも古びているせいでギジリと音を立てた。


「それで、神の加護って一体なんなの?」

「簡単に言えば、コイツの魂は死後、神の国に連れて行くぞっていう唾つけだな」


 本来神の加護があれば、その魂が宿る肉体が死を迎えるまで憂いなく過ごせるようになるものらしい。

 肉体が滅びたあとの魂には記憶が残り、神の国の者達にとっては、その記憶を見ることが一種の娯楽となっているのだというのだ。

 誰もつらく苦しいものなど見たくはない。

 綺麗な景色を、綺麗な人の心を、その中で繰り広げられる人間関係を物語のように見ては、神の国の者達はその魂が辿った人生という物語に満足するのだという。


「憂いなく……? この状況がそうだとは思わないけど」


 冗談だろうとばかりにリュートは鼻で笑ったのだが、ルミアスはそれを見て笑みを深めるばかりだ。

 神が実際に存在し、加護を授かっているのならば。

 今こうしているリュートの境遇は、とてもおかしなことではないかと心がざわめき立ってしまう。

 ギュッと握りしめたシャツが皺を作る。

 古びているのはなにもベッドだけではない。リュートが身に着けているシャツも、大きさがあっていない靴も、一枚しかない上掛けも、食事が入れられる食器も。

 リュートに与えられるものは全て真新しさからは程遠い物ばかりだ。

 置かれている境遇も、とてもじゃないが良い物だと胸を張って言えるものではない。

 今のリュートの記憶に、神が望むであろう美しい物語などなにもないのだ。

 両親と暮らして居た頃であれば、確かに幸せに溢れていたし、楽しく美しいものだといえるだろう。

 だが今はどうだ。苦痛しかない絶望の日々のどこに、美しさがあるといえるだろうか。

 苦悶の表情を浮かべたリュートを見たルミアスが面白そうに笑みを浮かべていた。


「まぁそれも、大分昔のことだ。今の神の国の者達はこの世界に興味がない。別の世界を見ることに忙しいようだからな」


 他の世界に目を向けているせいで、無作為に選ばれ与えられる加護が魂に付随しても、本来の力はほとんど失われている。

 今残っているのは、回復能力を高める力のみ。


「その異様な回復力は残った力が勝手に機能しているにすぎない。それもある程度したら切れるだろうけどな」


 いずれはこの世界から神の加護を授かる魂が生まれなくなるらしい。

 神から愛されている証明であるはずのそれが、リュートにとっては地獄のような苦しみを生み出す産物になり果てていた。


 ――どうりで死ねない訳だ。


 気がつけばリュートは絶望に顔を歪め、自嘲気味な笑みを浮かべながら涙を流していた。

 こんなものがなければ、とっくにこの場所から解放されていただろうに。

 勝手に与えられた物のせいで、耐えがたい苦痛と絶望が長引いているだなんて。

 心底、神とやらを恨まずにはいられなかった。


 もし本来の加護の力があったなら。両親は死ぬことなどなかったかもしれないし、叔父のロマリオに引き取られることもなかっただろう。

 リュートは知らずのうちに自身の左腕を爪を立てて握りこんでた。

 暴れ狂う感情が後押しするように、爪がどんどんと食い込んでいき、腕からは血が流れだす。

 だがその痛みすらも今は感じはしなかった。


「可哀そうなリュート。だがお前は幸運だぞ?」


 いつの間にか目の前に立っていたルミアスが、大きな両手で頬を掴んで上を向かせる。

 心底楽しそうな笑みを浮かべながら、指先が溢れて止まらない涙を優しく拭っていった。


「なんたってその加護の残りカスのおかげで大量に血を流せた。そしてこの俺を、召喚することができたんだからな」


 スリスリと猫でも撫でるように頬を撫でるルミアスの手に心地よさを感じ、リュートは堪らず擦り寄った。

 こんな風に誰かに触れられたのは久しぶりで、驚くほどに気分が高揚する。


 それに気分を良くしたのか、ニンマリと笑みを深めるルミアスの赤い目から目を離せず、二人はそのまま暫く見つめ合うのだった。


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