010 研究室

 次の戦闘に備え、準備をはじめようとしていたときだった。


「パパ、大変!」


 不意に、メルトが水晶の間へ入ってきた。


「どうした、メルト? 何かあったのか?」


 俺はメルトに視線を向けた。

 メルトは、プルプルと体を震わせながら、俺の足元にすり寄ってくる。


「……泉、変」


「泉? どうしたんだ?」


「ついて来て」


 俺は立ち上がり、メルトについていくことにした。

 メルトが生まれた、あの泉。

 第一階層の北西にある、小さな、しかし、特別な場所。

 あの泉に、いったい何が?


「クリスティ、泉に何か変化があったのか?」


「はい、アッシュ様」


 クリスティはうなずいた。


「先ほどから、泉の魔力濃度が急上昇しています。何か、特別な力が目覚めようとしているのかもしれません」


「特別な力……?」


 俺は、急いで泉へと向かった。

 メルトと数匹のスライムを連れて、薄暗い通路を進む。

 隣にはクリスティが浮いてついてくる。


 泉に到着すると、俺は、その光景に目を奪われた。

 以前は枯れ果て、わずかに水が湧き出ているだけだった泉が、今は、満々と水を湛え、青白い光を放っている。

 水面には、魔力草が浮かび、周囲には、見たこともない種類の花が咲き乱れていた。


「綺麗すぎて、変でしょ」メルトが、ぽつりと呟いた。


「クリスティ、これは一体?」


「おそらく、ダンジョンに名前を与えたことで、泉が本来の力を取り戻しつつあるのだと思います。分析によると、微弱ながらも魔力回復効果を持つ、特別な泉となっているようです」


 クリスティは、静かに、しかし、確信を持って言った。


「魔力回復効果か……。もしかしたら、ルゥナの病気を軽減できる薬ができるかもしれないな」


 俺は泉を見つめながら呟いた。

 ルゥナの魔力欠乏症は、生まれつき魔力が不足していることが原因だ。

 もし、この泉の水に、魔力を補給する効果があるのなら、ルゥナの症状を緩和できるかもしれない。


「クリスティ、まずは、この泉の水を詳しく調べる必要がある。それと、薬の調合も。そのためには、研究室が必要だな」


「はい、アッシュ様。現在の新たな部屋の生成が可能です。

 水晶の間のすぐ隣に、研究室を生成しましょう」


 俺は、周囲を見回した。


 水晶の間は、広さは十分だが、研究に必要な設備が何もない。

 ルゥナの部屋も、生活空間としてはともかく、研究には不向きだ。


「クリスティ、この近くに、研究室を作れないか?

 できれば、水晶の間からすぐに行ける場所がいい」


「はい、アッシュ様。魔力残量には余裕があります。新たな部屋の生成が可能です。どちらに研究室を生成されますか?」


「水晶の間のすぐ近くはどうだ? できるだけ、水晶の間に近い場所が良いんだが……」



「水晶の間のすぐ近く、ですか……」


 クリスティの髪は、少し考えるように光の明滅を繰り返した。

 そして、水晶の間の構造を、俺の脳内に直接投影してきた。


「アッシュ様、水晶の間の東側の壁は、行き止まりになっているように見えますが、実は、その奥に空間がありました。以前のマスターが、隠し部屋として使っていたのを思い出したのです」


「いままでは忘れていたのか?」


「はい。ダンジョンレベルが上がったことにより、失われていた記憶を、一部ですが取り戻すことができました」



 俺とクリスティは水晶の間へと戻った。


 確かに、水晶の間の東側には、不自然な空間がある。

 今まで、全く気づかなかった。


「そこを研究所にできるだろうか。クリスティ、その隠し部屋の入り口を開けることはできるか?」


「はい、可能です。アッシュ様、少しお待ちください。隠し部屋の封印を解除します」


 クリスティは、そう言うと、水晶の輝きを強めた。

 すると、水晶の間全体が、微かに振動し始めた。

 まるで、ダンジョンが、長い眠りから覚めるかのようだった。


 数分後、振動が収まり、クリスティが静かに告げた。


「アッシュ様、封印を解除しました」


 今まで何もなかったはずの壁に、確かに、新しい扉が出現していた。

 扉は、石造りで、重々しい雰囲気を漂わせている。

 表面には、複数のヘビが絡み合うような紋様が描かれていた。


 俺は、胸元にかけていた銀のペンダントを取り出した。

 母の形見だ。

 ペンダントに描かれた紋様と一緒だった。


「……行くぞ」


 俺は、ペンダントを強く握りしめ、意を決して、研究室の中へと足を踏み入れた。

 クリスティも、俺のすぐ後ろについてくる。


 扉の先は、薄暗い空間が広がっていた。

 カビ臭い匂いと、埃っぽい空気が、俺の鼻を突く。

 しかし、目が慣れてくると、そこが、かつて研究室として使われていたことがわかった。


「……これは」


 部屋の中央には、大きな石造りの作業台があり、その上には、様々な器具が並べられている。

 フラスコ、ビーカー、試験管、蒸留器、乳鉢、乳棒……。

 どれも、俺が研究所で使っていたものよりも、古めかしいデザインだが、素材は上質なようだ。


 壁際には、棚がいくつかあり、そこには、古びた書物や巻物が、ぎっしりと詰め込まれている。

 棚の一部は壊れており、床には、書物の破片や、割れたガラス瓶が散乱していた。


「クリスティ、この部屋は、一体……?」


「はい、アッシュ様。ここは、以前のダンジョンマスターが使っていた研究室です。詳しくは覚えていませんが、ここで、様々な魔法の研究をしていたようです」


「そうか」


 俺は、部屋の中を、ゆっくりと見回した。

 長年放置されていたため、埃っぽく、カビ臭いが、設備は十分に整っている。

 これなら、すぐにでも研究を始めることができそうだ。


「まずは、この泉の水を分析するとしよう」


 俺は、持参した瓶を取り出し、泉の水を汲んだ。

 水晶の間から持ってきた、魔力草と魔力鉱石の破片も、作業台の上に並べる。


「クリスティ、この部屋にある器具は使ってもいいのか?」


「はい、もちろんです、アッシュ様。あなたが、このダンジョンのマスターなのですから」


 俺は、フラスコやビーカーなどの器具を手に取り、一つ一つ丁寧に確認していく。

 見た目は古いが、材質は非常に良く、魔力との親和性も高い。

 これなら、問題なく使えるだろう。


 早速、泉の水の分析に取り掛かった。

 研究所時代に培った知識と技術を駆使し、水に含まれる成分を、一つ一つ丁寧に調べていく。


「……これは」


 しばらくして、俺は、驚きの声を上げた。

 泉の水には、微量ながらも、特殊な魔力成分が含まれていた。

 それは、俺が今まで見たこともない、未知の成分だった。


「クリスティ、この成分……もしかしたら、ルゥナの魔力欠乏症に、効果があるかもしれない」


「本当ですか、アッシュ様!?」


クリスティは、喜びの声を上げ、髪を激しく点滅させた。


「ああ。だが、まだ確証はない。この成分を濃縮し、他の薬草と組み合わせることで、より効果の高い薬を作れる可能性がある。まずは、この成分を抽出する方法を考えなければ」


 俺は再び研究に没頭した。

 フラスコを火にかけ、蒸留器を組み立て、薬草をすり潰す……。

 まるで、研究所時代に戻ったかのような感覚だった。


 数時間後、俺はついに、新たな薬を完成させた。

 それは、淡い青色の光を放つ、美しい液体だった。


「……できた。これが、ルゥナのための、新しい薬だ」


 俺は、完成した薬を手に取り、ルゥナの元へと急いだ。

 ルゥナは、俺が作ったベッドの上で、静かに眠っていた。

 その寝顔は、以前よりも、少しだけ穏やかに見える。


「……ルゥナ、起きてくれ」


 俺は、ルゥナの肩を優しく揺さぶった。

 ルゥナは、ゆっくりと目を開け、俺の顔を見つめた。


「……兄様?」


「ああ、ルゥナ。新しい薬ができたんだ。これを飲めば、少しは起きていられる時間が長くなるはずだ」


 俺は、薬をルゥナに手渡した。

 ルゥナは、俺の言葉を信じ、ゆっくりと薬を飲み干した。


「なんだか、体が、温かい……」


「本当か!? ルゥナ、気分はどうだ?」


 俺は、ルゥナの手を取り、その体温を確かめた。

 いつもは氷のように冷たいルゥナの手が、今日は、ほんのりと温かい。


「はい、とても楽になりました……。こんなに、体が軽いのは、久しぶりです」


 ルゥナは、弱々しいながらも、確かに微笑んだ。

 その笑顔を見て、俺は、心の底から安堵した。


「よかった、本当に……!」


 俺は、思わずルゥナを抱きしめた。

 ルゥナの体温が、俺の不安を溶かしていく。


「兄様、ありがとうございます」


 ルゥナは、俺の背中に、細い腕を回した。

 その腕は、まだ力ないが、確かに俺を抱きしめ返している。


「……ルゥナ、この薬は、まだ完全じゃない。でも、必ず、お前の病気を完全に治す薬を作り出してみせる。だから、もう少しだけ待っててくれ」


「はい、兄様。私、信じています」


 ルゥナは、俺の目を見つめ、力強く頷いた。

 その瞳には、希望の光が満ち溢れている。


「アッシュ様、ルゥナ様。本当によかったです!」


 クリスティも、喜びの声を上げる。

 髪を激しく点滅させた。

 その光は、まるで祝福の光のように、俺たちを優しく包み込んでくれた。


――――――――――――――――――

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