隻眼と見たあの空のブルー
乙島 倫
第1話 かすりを織る女
冬のある日、人里はなれた茅葺屋根の中にその女はいた。女は機織りをしていたが、夕方、男が帰宅する戸の音が聞こえると機織りを中断し、男を出迎えに向かった。
外はしんしんと雪が降っている。夕方であるが、雪が光を反射させるせいか、家の中はそこまで暗くはない。
「おかえりなさいませ。あなた、反物は売れましたか?」
「いや、今日は売れなかった。それよりもこれはなんだ?」
男は町に行商にでかけていたのだ。男の目線の先には籠があり、その中には反物が五、六本収まっていた。
男はそのうちの一つの反物を広げて女に見せた。
「何だと言われましても、いつもと同じ反物ですけど・・・」
二人は農家であった。冬の間、農作業はできないため、家の中で内職をするのが農家の日常だ。反物は女が機織機で織ったものであった。
数か月前、男が狩猟に出かけた時であった。男がイノシシ用に仕掛けていた罠に、鶴がかかっていた。しかし、男は鶴を逃がした。鶴を逃がしたのは、鶴がかわいそうだと思ったのではない。男の住む地域の領主は鶴を大事にしており、鶴を大事にするようにとのお触れをだしていたからだ。
それからしばらくしたある嵐の晩、男の家にその女が訪ねてきた。女は「軒先だけでよい。一晩だけでよいから雨宿りさせてほしい」と言っていたのだが、そのまま男の家で居候し始めたのだった。
男が広げた反物には模様が描かれていた。記号列のような模様である。男はその模様を凝視していた。
「この模様のことですか?これは『かすり』と言われるものです」
かすりとは、織物をするときに模様をつける技法のひとつで、織り糸をあらかじめ染色したものを組み合わせることで模様ができるのである。男は仁王立ちしたまま、女と反物を見下ろしていた。
「命まで取る気はない。ここにある情報、誰に渡す気だったか答えろ」
「ふふふ、急にどうされたのですか?これはただのかすりですよ」
二人の間に広げられた反物のかすりは、基本的に十字模様である。ただ、縦と横の棒の長さ、向き、太さなどの組み合わせが一つ一つ異なっているように見えた。その違いをよく見分ければ、何らかの文章が隠れているように見えなくもない。
女は黙ったまま、反物に目を落としていた。静寂と沈黙が家の中を包んでいた。
「お前がこうやって情報を流していたのは以前から分かっていた。相手は誰か?最上か?佐竹か?北条か?それとも太閤秀吉か?」
そこで、男の問いかけにずっと神妙だった女の様子に変化が見られた。女は何かに取り憑かれるかのようにくすくすと笑い始めていた。その表情は次第に邪気に満たされていった。
「秀吉?あのサルのことでございますか?」
男は女の周囲に急速に妖気が高まるのを感じた。男がすぐさま刀の柄を握り、身構えた。部屋には紫色の霧が立ち込め、その霧の中から女は正体を消した。霧の中から再び現れたのは、体長十尺ほどの鶴の妖怪であった。
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