第23話 脱衣所の攻防戦

「さ、こっちこっち~♪」


 引きずられるようにして辿り着いたのは、使用人専用の脱衣所だった。

 清潔感のある木目調の空間。棚にはたたまれたタオルと、籠がずらりと並んでいる。


 そんな場所に、今、女装男子ひとり。


(やばいやばいやばい! ここで服脱がれたら、いろんな意味で即アウトだ!!)


「んじゃ、着替えよっか!」


「ええ、さっさと入って温まりましょう」


 エリスとミレーヌが、それぞれ籠の前に立ち、躊躇なく制服のリボンに手をかけた。


「わ、ちょ、ま――」


 スルッと外されるリボン。スルッと滑るスカート。

 ストッキングに指をかけるその仕草――


(なんかいろいろ見えたぁあああ!!!)


 私は慌てて背を向け、視界を封じる。


(オラクル、 何か対処策を!!)


《状況確認中。現段階では敵性反応なし。》


(敵じゃなくてっ! “女”だよっ!! “女風呂”だよっ!!)


《精神的ショックを装って気絶するのはどうでしょう?》


(やめて!? それもう任務どころか人生が終わるからね!?)


《回答不能。思考回路の整合性チェック中……》

 

 視界を封じたままプルプル震えていると、不意に背後から声が飛んできた。


「ねぇ、総華ちゃん?」


「っ!? は、はいぃっ!!」


 反射的に振り返ると――


「ん?」


 湯着を着たエリスとミレーヌが、のほほんと立っていた。


「……へ?」


「総華ちゃんも早く脱いで、行こうよ~♪」


 ふわっとした白い湯着姿。肩口まで布で覆われた、まるで浴衣の簡易版のようなそれ。


 ちゃんと、着てた。ちゃんと着てた。


(……助かったぁぁぁ……!!)


《分析結果:総華の顔面温度上昇、心拍数安定》


 


 ミレーヌが湯着の紐を軽く整えながら、さらりと付け加える。


「私はいらないと思ってるんですけどね……でも、この屋敷には“他人に肌を見せすぎるな”という古い掟があって」


「ふっる……」


「伝統です。あと、メイド長に怒られます」


(うん、ありがとう伝統! ありがとう掟! メイド長、今だけはマジで感謝……!)



「私は、今、着替えるから……二人は先に入ってて」


「え? 大丈夫? じゃあ先に洗っとくね~!」


「後で合流しましょう」


 二人が脱衣所の奥、浴室へと消えていくのを見届けた私は、全身から力が抜けるように座り込んだ。




(あぶなかった……本気で今のは危機だった……)


《任務継続、可能。服装も維持可能。安堵値:93%。》


(うるさい)





そして、手早く着替え、引き戸を開けると、ふわりと湯気が広がる。

やわらかな灯りが灯る浴室は、桜色の石造りで、まるで上質な温泉旅館のような雰  囲気を漂わせていた。


 中央には、ゆったりとした大きな湯船。

 その縁に腰かけ、すでに湯着姿でくつろぐ二人がいた。


「遅いよ〜総華ちゃん、待ってたんだから!」


「……ふふ、お風呂に一人で入るのって、寂しいですから」


(……これは、これは予想以上に……!)


 二人の湯着姿は思っていた以上に――危険だった。

 湯気と湯で湿った布地は、肌のラインをほのかに浮かび上がらせ、

 布地越しとはいえ、油断すれば視線が吸い込まれてしまいそうなやつだった。


(落ち着け俺……もとい、私。視線をブレさせたら終わる。終わりだ)


《警告:現在、視線が左方向に固定中。自動補正を行いますか?》


(頼むから今だけは黙っててくれオラクル!!)


 


「ほら、総華ちゃんも早く入って入って~♪」


「お湯、ちょうどいい温度でしたよ。少し熱めですけど……」


 二人の勧めに促されながら、私はぎこちなく湯船の縁に腰をかけ、そろりと足を沈めた。


 ちゃぽん、と湯が揺れ、体が包まれる。

 ぴりっとするような熱が、だんだんと優しくなっていく。


(……ああ、やっぱり風呂って最高だな)


 任務、女装、学園潜入、屋敷勤務――慌ただしい数日を思えば、

 こうして湯に浸かれることがどれだけ貴重かが身に染みる。


「ふふ……すっかり緊張してた顔が、ようやくほぐれてきたわね」


「本当。最初はすごく堅かったですもんね、総華さん」


「あ、うん……最初は、色々びっくりしてて……」


(いや今もびっくりしてるけど!? 特に今の状況が一番だよ!?)


 


 でも、湯気の中で話す二人の声はどこか穏やかで、温かくて。

 思わず、口元が緩んでしまう。


「……こうして、のんびり入るお風呂って、久しぶりかも」


「それはよかった~! 総華ちゃん、頑張り屋さんだから、きっと疲れてたんだよ~」


「そうですね。……真面目で、仕事も丁寧で。安心できます」


(あ、やばい……褒められると、余計に罪悪感が……)


 ――まさか、私が“お嬢様の極秘護衛任務中の男”だとは夢にも思っていないのだろう。


 二人の無邪気な笑顔を見ながら、私は心の中でそっと謝る。


(ごめん、ほんとは普通の新人じゃないんだ……)


 


 けれど、それでも。


 この小さな平和なひとときだけは、本物だと思いたかった。


 ちゃぽん、と小さく湯の音がして、三人の声が浴室に溶けていく。

 外の世界が遠くに感じられる、柔らかい時間だった。

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