第14章「失われた記憶と残された感情」(1)

「シン、しっかりしてっ……ねえ、私の声が聞こえる?」


 黒江ユキは、震える腕で白山シンの身体を抱き起こしながら、必死に言葉を投げかけた。


「……あれ……俺……」


 シンは息も絶え絶えに呟く。


「ユキ、どう……? シンの様子、どうなの?」


 風間ナツミが隣で慌てて声をかけた。


「分かんない……でも、さっきから、“誰…?”とか言ってて……ナツミのことも……覚えてないかもしれない……」


 ユキが震える声で返すと、ナツミは「嘘……! あんなに一緒に頑張ってたのに」と表情を歪める。

 そこへ*御影コウタが、焦りに駆られたような足音で駆け寄ってきた。


「おいおい、マジかよ。シン、大丈夫か! なあ、俺のこと分かるよな? 御影コウタだぞ!」


 コウタはしゃがみ込み、シンの目を覗き込む。

 シンは困惑した表情で眉を寄せ、「ごめん……頭が痛くて……分かんない……」と苦しげに言う。

 コウタは思わず「くそっ」と悔しそうに舌打ちした。


「一旦ここを離れよう……!」


 ナツミが周囲を見回す。

 そこはステージ裏に隣接する控室で、先ほどの惨事を受けて騒然としている。

 クラスメイトや他の出演者が「大丈夫?」「救急車呼んだほうがいい?」と口々に声を掛けてくる。

 だが、ユキは視線を揺らしながら「病院に行っても……治るわけじゃない……」と呟く。


「そうだ、シンの記憶が飛ぶのは、ただの病気じゃないんだ! でも、このままじゃ……」


 コウタが続けると、ナツミが「うるさい! もういいから、とにかくここ離れよう!」と声を張り上げる。

 ユキはしゃがみ込むシンの腕をそっと抱き、「ごめん、動かすよ……」と囁いて、舞台裏のさらに物陰へと押しやるように支える。


「おい、大丈夫か?」


 クラスの担任らしき教師が遠巻きに尋ねるが、コウタはそれを制するかのように大きく手を振る。

 「大丈夫です! 少し休めば平気なんで、ここは俺たちに任せてください!」と、むしろ周囲の詮索をシャットアウトする。


「コウタ、あんた強引だけど……助かる」


 ナツミが小声で感謝し、コウタは「うるせえよ」と照れ隠しのように返す。

 ユキはシンを抱き上げるように支えながら、「ごめんね、歩ける……?」と尋ねる。

 シンは半ば意識が飛びかけているらしく、「あれ、俺……?」と繰り返し、痛ましいほど混乱している。


「シン……わたしのことも、忘れちゃったの……?」


 ユキの瞳が潤みかける。

 普段は感情表現が苦手なのに、今はどこか“泣きそう”な声音だ。

 読み取ったシンの空虚があまりに痛烈で、ユキ自身も苦しくなる。


「俺……分かんないんだ……」


 シンは苦しそうに呻き、ユキの胸に顔をうずめるように伏せた。

 ナツミが心配そうに「落ち着け……一旦ここから出るよ! 舞台裏でも人目があるし……」と提案する。

 コウタが頷いて「そうだな、もうすぐ教師や客も入り乱れて、ここまで詮索に来るかも。隠れよう!」と賛同する。


「でも、どこへ……」


 ユキは不安げに首を振る。

 「わたし……頭痛くて……シンも立てない……」と言いかけたその瞬間、視線の先に保健医の榎本真理が立っているのが見えた。


「先生……」


 ユキが無意識に呼びかけそうになるが、コウタが「待て、来るな!」と低く呟く。

 榎本は複雑な表情を浮かべ、わずかに歩み寄るような素振りを見せるが、そのまま一歩も近づかない。

 まるで“見守っている”だけのようだ。

 ナツミは憤りを込めて「あの人、一歩も近づいてこないなんて……わざと?」と唇を噛む。

 ユキはユキで、読心によって榎本の葛藤が薄く伝わってくるのか、「先生も……本当は苦しんでるんだ……」とこぼす。

 コウタが目を丸くし、「何だそれ、同情すんのか?」と半ば呆れたように言うと、ユキは「分からない……」と消え入りそうな声を出す。


「いいから、一旦場所移そう。先生のことはあとで考える!」


 ナツミが思い切り言い切り、コウタも「そうだな、シンをまず休ませねえと」と頷く。

 ユキは「うん……」と返事をしながらシンの肩を支え続けた。

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