移動式祝祭日①

   深道颯太ふかどうふうた/南北海道



 日曜日の午後。

 僕は泣いている少女を街で見かけた。


 今は4月。僕は入学式直前になって盲腸で入院し、他の新入生たちよりも1週間遅れて高校に通い始めた(出遅れたおかげで校内で友人をつくるのに苦労している)。僕にとっての最初の週が終わり、休みの日に1人ででかけ、札幌駅近くにある書店で本を買ったその帰りだった。


 ——間違いなく同じ学校の生徒だ。1年生の教室が並ぶ廊下ですれ違ったから同学年だろう。僕がかよっているのは市内にある私立神威カムイ高校。

 特徴的なのは赤みがかった茶髪——小豆色とでもいうのだろうか。それを灰色のリボンで二つ結びにしているヘアスタイル。校内での彼女は、どこか自信ありげな顔つきをしていた凛とした雰囲気の美少女だったが、今は沈みにしずみきっている。下をむいたまま顔が動かない。


 私服姿なのでどんなイヴェントに参加しようとしているのかが推理できる。

 彼女は背中の空いたニットに長いスカートを着ていた。それに白いミュール。どれも10K前後する高価なアイテムだろう。ファッションになど興味がない僕にさえ、特別なイヴェントにでも参加していたのだろうと察せられる(たとえば恋人との初デートとか?)。ただの買い物や遊ぶための服装ではない。

 というか寒いだろう。この季節の札幌で外出するには薄着すぎる。まるで部屋着だ。

 その女の子は商業施設の並ぶ街から少し離れたところ、何年か前にマンションが建てられたばかりの大通りの隅で立ちすくんでいた。1人で。繰り返すが泣いたままに。


 僕は数秒間悩んでいたと思う。相手に気づかれる前に通り過ぎてしまえばいい。フェミニストのつもりか。女にモテたくて必死か? 通りを歩く他の誰かが助けてくれるはずだ(でもそいつが悪意をもった人間だとしたら……)。


 彼女とは知り合いでもなんでもない。学級クラスが違う。階級クラスも。


 僕はアメリカのスクールカーストでいうところのガリ勉ブレインだ。親父からは高校からは課外活動などせず勉学に専念しろと言い渡されている。優秀な成績を残して地元の国立大学に入れと。塾にだってそのうち通わされることになりそうだ。中学時代まではなんとか学校の勉強だけでスポーツをする時間(ボーイズリーグで)も抽出できたのだが、それも叶わなくなるだろう。数少ない趣味は読書という地味人間。それが僕。


 名前の知らない彼女のほうは美女クイーンビーだ。一眼見ただけでわからせられる。いつも同性のとりまきに囲まれていて、異性からの好意の視線にされされている少女。学年で一番美しい、というか可愛らしい子だ。赤く染めた髪からして目立つことは嫌いではなさそうだ。不健康に見えない程度に白い肌。心を許した相手に見せる笑顔、入学したばかりだが適度に着崩した制服がになっていた。彼女もどうやら部活動には参加していないようだ。女性としてはやや高身長の部類でスタイルも良さそうに見える。それが彼女。



「——どうかしたの?」


 僕はポケットからとりだした新品のハンカチを彼女に手渡そうとした。

 彼女は躊躇ためらっていたが、ハンカチを受けとり、両の眼を閉じ涙をぬぐった。


 キリリとした表情を取り戻した彼女は僕を見上げながら言った。

「ありがとう。あなた神威高校の生徒よね? 確か同級生の……」

深道颯太ふかどうふうた。放っておけなくて声をかけたんだ。体調が悪いの? 1人で帰れる?」


 彼女はかすかにうなずいた。

 事件に巻き込まれたわけではないようだ。だが……まだ困った顔をしているこの子を放置することはできなかった。どうして僕がこんな役割を振られているのだろう?


「君の名は?」

帰山かえりやま。帰山マキナ……」


 乗りかかった船である。僕はマキナの手をとり(大胆不敵)、近くにあった落ち着いて話せる店に入ることにした。だが立地的にファミレスなんて子ども向けの店舗がないことは知っている。

 ……数分後、僕はなぜか高級ホテルのラウンジに入り(ここなら宿泊せずとも使えるとなにかの機会で知っていたので)、素面ではとても頼もうとは思わない値段のコーヒーを2つ注文していた。

 ホテルの地下1階のここに滞在している客はあと二組くらいだ。話を盗み聞かれる心配はない。

 低いテーブルを挟み僕の前にはマキナが、学校では見られない大人なファッションをした特別な女の子が座っている。


「トラブル?」と僕は質問した。

「そうね……」マキナは曖昧に返事をした。


「君には大勢友達がいるんでしょ? なにか想うところがあるんならその人たちに相談したら?」

 繰り返すがマキナはいつも校内で大勢の友達に囲まれている。まるで彼女の美しさが自分に伝播でんぱすることを期待しているかのように、女子生徒たちはこの子に引き寄せられていた。その誰かに話すなりきてもらうなりしたらいい。泣くほど嫌なことがあったというのなら。


(さきほどから僕は熱心に帰山マキナの学校内における言動について事細かく触れているが、それは神威高校に通うになってからずっと、僕の視線がこの1人の少女に集中していたことを意味する。僕も他の下衆な男子生徒たちと同じく。残念ながら)


「……できないわ」

 マキナは、首を横に振りながらそう言った。

 両手を膝に置いている。青ざめた顔はもとに戻らない。

 マキナはウェイターが運んできたコーヒーにも手をつけない。苦いのが苦手なのかもしれない。僕はイケるほうなので一口すすった。まぁ飲めなくもない。


「トラブルの原因は女? 男? それとも両方?」

「男……いや両方かな。それであんたに話して私になんの得が?」


「僕は秘密を漏らさないよ……」

「私よりもあなたの話が聞きたいわ。部活はなにをしているの?」


 本題には入りたくないようだ。この人が泣いている理由。知りたいような知りたくないような。


「部活はやってないしやるつもりもない。それに友達もほぼいないよ。病気で入院していて学校にくるのが1週間遅かったから」

「だからといってあなたが噂を広めないとは限らないわ」


 マキナのなかで話すことが選択肢のなかに入っているようだ。

「相談する気になった?」

「少し待ってくれる? 少しだけ。少しだけ……」


 僕はうなずく。

 マキナが決断するまでたっぷり1分かかった。僕はその間微動だにせず優しく誠実に彼女を見守った。

 マキナはため息をついて、何事か口の中でつぶやきそして言った。

「あんたには男の人としての意見を話してもらいたい。正直に。あんたがもし女の子とつきあい始めたとしてたったい、1週間でセ……せい……えっちするっていうのは早いわよね?」

「早いね」


 マキナは謝るかのように下を向いた。ツインテールの毛先が揺れる。


「そうよね」と彼女。

「そういうことなの……」と僕。

 僕にそんなことを相談するだなんてマキナも不運だ。で暮らしていた小学校時代も、札幌に越してからの中学時代も、僕には個人的に親しい女友達なんていなかった。もちろん恋人も。姉も妹もいない。なんなら母親も数年前に亡くしている(そんな僕のバックグラウンドは今のエピソードになんら関係ないので割愛しよう)。


「彼氏がいるの?」僕は問いかける。

「そうよ。最高の男よ。変な喋り方して一人称『私』だけれど。……でも断然カッコよくて、センスがあって、強くって、男らしくて……。あの人以外の誰かを好きになるなんて想像もできない。会ってすぐ一目惚れして、そしてむこうから口説かれたの。私は……ノーと言えなかった」


「そう」

「信じられないって顔してるわね。全部本当のことよ。というかあの人学校では有名人なはずなのに知らないのね。きて1週間もすれば耳に入りそうなものだけれど」

 その人は僕らと同じく1年生とのことだ。どんな人生送ったらこんな素敵な女の子をゲットできるんだろう。やっぱり見た目か?


神威高校神高の生徒なんだ。その彼が君を抱こうとして、君は拒んだ。それが今さっきあったことだった?」

「そうよ。それってどう思う?」


「君は愚かだ。そんな男と一緒にいるだなんてね」

「私を馬鹿だと思ってるの?」


「いや僕が馬鹿だからそんな言葉しか出てこないんだ。君みたいな素敵な女の子をそんな粗末にあつかうなんてそいつは思い上がってるよ。一発ド派手にぶん殴ってやる権利が君にはあると思うよ」

 僕は拳を握り突いてみせた。

 マキナは笑った。僕よりもずっと年少の子どもが眼の前に座っていると錯覚してしまうような、そんな無邪気な笑顔だった。

「——だって、あの人はそれが当たり前のことだと思っているんだもの。前例があるのよ」


「前例って?」

「彼女が5人もいてね」


「……捨てた女の子が5人もいるってこと?」

 全人類の敵だなそいつは。というか僕たちと同じ1年生なのかそいつは。

のはおそらく本当のことよ……。でも一度寝たあとに。今も彼女なの。私は6人目の彼女」

 幻の6人目の彼女……えーどういうこと?

 そいつには6人も恋人がいて、そして全員に手を出してハーレム状態ってことなのか? にわかには信じられない。めちゃくちゃ尖った設定のラブコメというかエロマンガか?

 だがマキナの真面目な眼差しを見るに、これらの発言はフェイクなどではない。

 

 僕の頭は『彼女が6人もいる男子高校生』がいることを前提をとして受け入れ始める。洗脳されやすいのかもしれない。

「あー……少しだけ理解できたよ。君のまえに5つも前例があるなら、君もすることを受け入れちゃったんだね。周りの人がみんな経験を語るから」

「というか

 マキナは真顔だった。


「それって……」

 またしても常識改変かよ。

 乱交とかなにそれ密教の儀式かな。なんらかの法に触れない?

「パ、パーティプレイってやつよ。彼女みんな集まってあの人とするの。1人お金持ちで1人暮らししている子がいて、その子のマンションに集まってしようってなったの。私は……他の子たちがしたように、服を脱いで、彼がは、始めようとする直前に泣き出してしまって。他の子たちが優しく説得してくれたけれど、服をかき集めて飛び出していった。服を着ながら廊下を走って、階段で逃げて、マンションの敷地を出て少しでも遠くに逃げようと思った。みじめだった。本当は引き返してみんなのもとに帰りたかった。でもできなかった。だって私はまだ……いや、うん。怖かったの。そしてあんたに会った……」

 マキナの両眼が光る。僕のハンカチがまた使われた。


「君は太陽のように正しいよ」

「……颯太はどうしてハンカチなんてもって歩いてるの? そんな男の子いる?」

 マキナは半笑いでたずねる。


「お袋の遺言でね。出かけるときは必ず持っていくよう言われていた。今日初めて役に立ったよ。で、僕の助言はたった一つ、そいつとなんか別れるべきだ」

「少し考えさせて……」


「僕は少しも考える余地なんてないと思うけれど。そいつが何人も女の子をモノにしているからって、君が同じ轍を踏む必要なんてない。集団心理に流されなくていいんだよ。……僕、人の名前を覚えるのが苦手だけれど、いい加減そいつの名前を知りたいな」

拾兵衛じゅうべえよ。玖珂くが拾兵衛。恐ろしく難しい漢字なんだけどね。……どうしたの? そんな驚いた顔して」


「クガ……。そいつもしかして、髪が赤くて、眼がデカくてまつ毛が長くて……額の右側に古い傷があったりしない?」

「ええ、そうよ。なんだ知ってたの。でエースしているあの拾兵衛よ。まだ入学して2週間だけれど学校一の有名人。あの声の大きな……」


 どういう偶然だよと言いたくなる。よりによって野球をしていたところも一緒か。

「玖珂拾兵衛は僕の親友だ」



 納得しないマキナに僕は説明した。

 僕が生まれ育った道内の某離島で拾兵衛は男子のクラスメイトだった。僕たちは放課後毎日一緒に遊んですごしていた。拾兵衛はとんでもなく活発な少年で、ともかく外に連れまわし、さして広くもない島中を遊んで回った。自転車で競争し、ボールを蹴り……ときどきは僕の家でマンガを読んでゲームもしたっけ。彼は最高に愉快な奴だった。賢くて、魅力的で、大人に反逆する悪童だった。

 僕たちの世代は彼を『キング』と呼んだものだ。あるいは単に『玖珂』と。下の名前を呼ぶことを許されたのは親友の僕だけだった。


 中学校に上がる直前、僕は家庭の事情で北海道本島に引っ越した。それっきり音信不通になってしまっていたが、拾兵衛が札幌にいるとは知らなかった。

 そうか、拾兵衛か。あいつなら不埒三昧そんなことに走ってもおかしくはない。

 あいつの外見にはそれだけ女の子を魅了するだけのなにかがある。美少年というよりは魔少年。スラリとした長身でガサツな態度、だが中性的な顔立ちに女性的な美声の持ち主。

 拾兵衛がモテるわけは子供の僕にも理解できた。小学生時代から島内の全女子を恋に落としていたが、当時のあいつはまだ性に目覚めていなかったのだろう。女の子と『恋人』になっても、「仕方なくつきあってやったが、男子あいつらと遊ぶときに邪魔をするなよ」とすれない態度をとっていた。


 今の拾兵衛は男子高校生。そりゃ性欲だってあるだろう。

 だからって同時に6人の女の子とセックスしようとしないで欲しいし、交際してたかだか1週間の同級生をベッドに誘おうとしないでもらいたい。そんなの絶対普通じゃない。僕が知っている拾兵衛は、まぁ確かに変な友達だったし、女子に好かれるようなルックスと中身の持ち主だったけれど、そんな性的に爛れた男子高校生になるとは思えなかった。


 僕はマキナから拾兵衛の電話番号を聞きだす。

 ど田舎の離島にいたあのときの僕と拾兵衛は、スマホなんてもたされていなかった。あのころのただの友達同士の関係にはきっと戻れない。僕はこれから親友に『制裁』を加えようとしている。

 ああ、僕はどうして数分前会ったばかりの少女の肩をもち、数年来のつきあいがある親友をいさめようとしているのだろう? マジで意味がわからん。

  僕はどうもこの手の揉めごとに縁がある人生を送ってきた。僕の性格のせいだ。『一度トラブルに手を出したら、なにがなんでも解決するまで干渉し続けてしまう』、『相手からの妨害はこちらを焚きつける行為に等しい』。

 眼の前の不正が見過ごせず人と喧嘩になったことが何度かある。怪我を負わされたことも。君も僕と素手喧嘩ステゴロになったときは気をつけたほうがいい。数秒ともたないはずだから。僕のほうが。

 ——今の僕の願いはマキナを助けること、それだけだ。


 ……玖珂拾兵衛にマキナのスマホで電話をかけてから思い立った。あいつはきっと自分の恋人たち(なんで複数形なんだよ)がいる部屋でと。

 3年ぶりに拾兵衛の声を聞いた。声変わりしていない奴の声はハスキーな女性のそれだった。聞く者すべてを威圧させる声色。なにが常人と違うのだろう? 迫力というか、呼吸というか。


 拾兵衛は僕の問いかけを一切否定しなかった。マンションの一室で下着姿にしたマキナが初めての体験に怖気づいて、自分のもとから逃げだしたことは真実であると。

「アッハッハ……。途方もない偶然だな颯太! 私の親友が私の女を助け電話をかけてくるとは。なに、逃げた女を追いかけはせぬ。マキナの意志は尊重しよう。確かに逃すには惜しい女だったがそこまでは飢えておらぬ。……マキナとは会ったばかりでいい関係をつくっているようだな、?」

「早く死ねよ拾兵衛。友達に殺してもらえれば本望だろう?」



=======



 それからなんやかんやあって僕は神威高校の硬式野球部に入部し、同じ1年生でエースピッチャーの拾兵衛とバッテリーを組むことになった。

 中学時代二塁手セカンドだったのになぜキャッチャーを任された僕は7月、南北海道大会を勝ち上がり、そして決勝戦。

 当時道内で無双していた極北高校と甲子園——全国大会を賭けた一戦に挑んでいた。


   神威カムイ|0  |   |   |0

   極北|1  |   |   |1


 極北のエースで4番を務める中心選手にフェンス直撃の先制適時二塁打タイムリーツーベースを浴びた拾兵衛は、マウンド上で叫んだ。


「よくぞやってくれた!! 敵ながら天晴じゃ褒めて遣わす。だが——試合が終わったときここに首級クビを晒しておるのは私ではなくおまえたち極北!! なぁ颯太そうだろう?」

「おまえの狂ったテンションに僕はつきあわないよ」


 拾兵衛の雄言に沸き立つナイン・ベンチおよび神威の応援席をよそに、僕1人だけが冷静だった。

 決戦はすでに始まっている。

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