成長しない少年③

   近衛游一このえゆういち/京都



 第9X回選抜高等学校野球大会

 全国大会決勝


 両チームスターティングオーダー


 先攻・青海大付属高校

1(中)黄前おおまえ

2(左)泡坂あわさか

3(二)堂楚どうの

4(三)風祭かざまつり

5(捕)今村

6(右)佐山

7(一)富野

8(遊)百城ももしろ

9(投)本庄



 後攻・明石実業高校

1(左)多門たもん

2(二)巻野

3(一)しずか

4(投)近衛

   ・

   ・

   ・



=======



 全国大会に出る以上、すべてのチームが優勝を狙うがある。


 今年のセンバツで優勝を狙うということはすなわち、

 全国一強・青海大付属に勝つ必要があるということ。夏の選手権で初優勝を飾ったあのチームに。

 夏春連覇を狙う青海のここまでの戦績は、過去に例がないものである。



 初戦では全国大会初出場の置鮎おきあゆ投手がノーヒットノーランを成し遂げた。それも味方のエラーによる走者を一人出したのみのだった。

 青海の投手陣といえば本庄と泡坂という両巨頭が有名だったが、この試合を期に置鮎投手は青海高校『第三のエース』として認知されるようになる。



 2回戦では風祭選手が1試合のホームラン数記録を塗り替えた。

 アーチが三度甲子園上空に描かれ、選抜大会9X年間誰も成し遂げられなかった記録を更新された。今大会の風祭選手はゾーンのどこに投げても打たれるという感覚。国内最強の打者は間違いなくこの大型三塁手サードだ。



 ベスト8では対戦相手がマウンドに送り込んだ四人の投手全員からホームランを放ってみせた。青海は夏以降スタメンのすべての野手が公式戦で2本以上のホームランを放っている。重量打線構想を高校野球で再現してみせた。

 投げては三人のエースによる完封リレー。投手王国として名高い群馬の強豪を大差で破った。



 ベスト4では白金高校を相手に圧巻のゲームを魅せた。

『関東の覇者』白金の山村投手に初回から実に35球を投げさせ3得点を奪い、続く2回も4者連続タイムリーでダメ押し。

 最序盤に相手エースをノックアウトしマウンドから引きずり下ろした。



 全試合圧勝。

 ずいぶん可愛げのないチームになったという印象だ。

 夏の甲子園の青海は延長戦が二度、サヨナラ勝ちが一度あった。

 ほとんどの試合が一点差勝負、接戦にもちこまれるも必ず勝つ。追いこまれれば追いこまれるほど真価を発揮する、『逆境で逆襲を始める劇場型チーム』、それが半年前初めて全国制覇した青海大付属だった。

 それが今や全国大会に出ても全試合で圧勝し、好勝負なぞ望めない、義務的に勝利を重ねるだけの『凡試合製造機』にまで成長してしまったわけだ。青海が公式戦で相手に先制点を許したのは一体いつだっただろう?

 彼らがここまで強くなった理由については後述することになるだろう。



 で、試合開始。主審のプレーボールとともにサイレンが鳴らされる。



 満員の甲子園が期待するのは、王者青海を倒す挑戦者明石の姿のはずだ。僕たちの勝利を望まれている。

 というかか。あの事故で負った怪我から復帰した近衛游一が『全国区の本格派エース』と呼ばれるまでに成り上がった。夏を制した王者青海を抑えるその場面を眼に焼きつけたい。



 マウンド上の僕は投球練習時と同様、ほとんど右足を動かさず——つまり体重移動をせず、キャッチボールのような軽い身体操作で、手首をスナップさせず、ボールの握りだけでその変化球を投げる。カーヴ。


 この試合はカーヴ。

 遅いボールがキャッチャーのミットに収まる。1番打者の黄前君は手出しができず見送り、ストライクを許した。

「まさか……怪我してるんすか?」

 宇良君は素直に返答する。

「そうだよ。わかったら手加減しろよ?」


 投球練習中からこのキャッチボール投法だった。黄前君は試合が始まれば以前のような全力投球が見られると思っていたようだが、それは勘違いだ。

 怪我をおしての出場だ。ここでそれはない。

 交通事故にオーヴァートレーニング。高校時代に限っても二度の怪我。

 ここで本格的に腰までやられたら高校野球で二度と投げられなくなる。それは避けたいと思うのが当然の心情というもの。


 眼を大きく見開いたイケメントップバッターは右打席に入り直し、次のボールを待ち構える。僕はカーヴ、彼はスイング。

 これは一塁線への鋭い打球、ファウルになった。

「またカーヴっすか……」

 宇良君は素早くサインを出す。


(そう、この試合はカーヴだ。投球の半分はその球種になるだろう)


 一口にカーヴといっても僕が投げられる種類は複数ある。そのなかでも今回投げているのはもっとも遅いカーヴ。これが青海相手に通じる根拠は。


 三球目はカーヴ、またしてもファウル。


「こっちがことを利用するつもりっすか?」

 そう宇良君に指摘する黄前君。もう気づいたか。


(今大会150キロ以上のストレートを投げる剛腕投手は3人いる。1人は今日先発する青海の、もう1人は準決勝で青海と当たった白金の……)


 四球目はカーヴ、これは見送ってボール。カウントBS


(もう1人は今投げている。準決勝、決勝と続けて当たる相手だ。大会中ずっとバッティングマシンでスピードボールを必死こいて打ちこんでいることは知っていた。青海の連中は速いボールに眼が慣れている。だからこそ遅いボールが通用する)


 五球目のカーヴが鈍い音を立てバットにぶつかる。サードゴロだ。この試合最初のアウトを黄前選手から上げることができた。ピッチャー、キャッチャーを含め全ポジションに適性がある『万能』、中学から始めた野球でたった6年後に頂点に上り詰めた『昇龍のぼりりゅう』を仕留めた。


 球場のざわめきは気にしない。

 やはり観ているお客さんは僕のことを応援してくれている。

 ほぼステップせず手投げで青海の打者を翻弄。

 近衛游一が怪我をしていることは自明だろう。

 今はただ野球をやっているだけの僕がヒーロー扱いされるのはどうかと思うが、

 日本人はこの手の浪花節に弱いのだ。

 僕が推されているということは、相対的に対戦相手の青海が低く見られているということ。僕にはそれが許せない。

 今日まで野球を頑張ってきたのは、彼らのような強者をこんな大舞台で倒したかったからなのに。


 凡退した黄前選手がベンチに戻る前、打席に入ろうとする泡坂選手に声をかける。どこか違和感をおぼえる風景だ。


 宇良君が外野手に下がるよう指示をだしていた。相手は豪球豪打で知られる泡坂選手だ。バントの代わりにホームランを打つ2番打者。

 宇良君の声がいつもより緊張して聞こえる。

「予定通りだ! 今日はやれるぞ!!」

 ……宇良君が言うとおり今の青海には遅いボールが通じる。この投法では120キロも出ないだろう。だから遅い球速帯で『緩急』をつくるしかない。僕の選択肢のなかでカーヴが一番遅いボール、なら一番速いボールは。


 ツーシーム。


 それが初球だった。左打者の彼からすれば手元で外に逃げるボール。

 リスク愛好者ギャンブラーな性格をしている宇良君でも流石に6球連続で遅いカーヴは投げさせられない——そう黄前選手は気づいた。だから泡坂選手に伝えたのだ。



=======



 黄前。

「ただの勘っすよ泡坂ちゃん。近衛ちゃん怪我のせいで遅いボールしか投げられない。。それが人情? ってやつっしょ? だから最初は速いボール全賭け。オールイン。近衛ちゃんが普段投げてるカーヴくらいのタイミングでストレート系のボールがくると思うっす。そこをズドン!」

 泡坂。

「……やってみる価値はありそうですね」



=======



 軟投。カーヴを投げ続けた同じ投げ方から、

 直球。左打席からは目視しがたい左腕の球道、

 待機。泡坂は発達した両足の筋肉で上半身の稼働を食い止め、ボールをギリギリまで引きつけてから、

 始動。

 激突。

 そして飛翔。打球は僕が慌てて振り向く必要はなく、ライトスタンドに向かって飛び出していった。


 先制被弾。


 まず悲鳴が、そして歓声が球場を支配する。

 今さらこの程度のことでショックを受けたりはしない。相手はプロ級の打者に金属バットを持たせた打線だ。


 僕たちにはもうカーヴ連投という手段しかないのだ。勝つために。

 宇良君はマウンドの僕に近づいてきたが、深刻な顔もせず次に切り替えるよう言ってくる。

「悪かった。全ツッパできんかった。今のは俺の選択ミスだ」

「麻雀用語? よくわからないんで……」

 安全策を選んで勝てる相手ではない、くらいの意味合いか?



   青海大付属 1 ➖ 0 明石実業



「どうっすか先輩の名推理は!! やっぱストレート系投げてきたっすよね!!」

 破顔した黄前が手を叩いている。

 青海の面々がベースを一周し青海ベンチに還ってきた泡坂を笑顔で迎え入れた。

「決断して打ったのは俺ですから……」と青海の2番打者。

 チームメイトが手柄を横取りするなと黄前を諌める。

「みんなはともかく泡坂ちゃんまで……なんか俺に厳しくないっすか?」



 明石実業バッテリーは続く2人の打者を凡退させ1回表を締めた。追加点を許さないことがなにより大事だ。

 この投法が青海相手に通じるだなんて思い上がっていない。5点から6点は奪われるだろう。かといって勝利を諦めているわけではない。

 打ち崩す。誰が出てきても苦戦は免れ得ない青海投手陣だが……、背番号1を背負う本庄投手が先発なら活路はある。このゲームは


 1回の裏、僕は自分の失点を自分で取り返す。

 3番の静君が四球で出塁し、パスボールから2塁に到達する。

 打席には4番の僕。正直なところ打者としての僕の能力はでしかないと思われるのだが←「役不足は誤用だ」と宇良君。


 2球連続で対応し難い僕の手元、インコースにストレートが突き刺さる。ピッチャーの僕に対しても容赦ない投球。

 ぶつけられたら今度こそ試合に出られないだろう。

 そのことがわかっているのだろう。明石の応援団が集まる内野席だけではない、球場のあちこちから本庄投手を非難するようなざわめきが発生するが、

 相手エースはそんなことを気にする性格ではない。

 僕と同じくらいの長身で、僕と同じような雑に伸ばした髪。でも顔つきは多分違う。炯々と光る眼。野生味溢れる顔つき。唯我独尊。彼はマウンドで自分の内心を隠そうとしないタイプだ。相手から三振を奪えばグローブを叩き派手なガッツポーズをつくるような。

 そんな彼が今は冷たい眼でキャッチャーのサインを観ている。

 2回そのサインに首を振ったあと、彼は渋々うなずき、そして投げる。


 彼が左足を上げ投球動作に入ると同時に、僕はサインを出した今村選手の意図に気づく。

 2球続けて捌きにくいインコースにボールがきた。僕はそれに対応するためバットを短く持っていた。

 とっさにバットを長く持ち直し、くるであろうアウトコースのボールに対応してみせる。投げだすようにスイングを開始。外角に置いてきた(それでも140キロ前半の)ストレートにアジャスト。強いゴロが一、二塁間を抜いてライト前に抜けていく! ランナー静君は三塁ベースを蹴り一気にホームへ!

 ライトからの送球は間にあわず。



   青海大付属 1 ➖ 1 明石実業



 4番でエースの僕を打ちとれば、試合の流れは青海側に大きく傾いただろう。それを阻止できたのは大きい。アウトコースを好打できたのはまぐれでしかないのだが……。

 打たれた本庄投手は下をむかない。というかマウンド上で一塁に立っている僕を正視し続けている。

「どうしてあんな投げ方すんだよ近衛!」

「怪我してるんです。準決勝でランナーと交錯して……」


「おまえが投げるしかないのか!?」

「僕が投げて負けるんならみんな納得するから……」

 

 僕の野球は僕のものではない。

 僕に期待するチームメイトや、応援してくれるみんなのものだ。

 さきほど青海が先制したときの比ではない歓声が、今も僕と本庄選手を全方位から押し潰そうと湧き立っている。

 泡坂選手の高度な打撃技術が集約された先ほどのホームランに比べたら、僕のタイムリーなんてセコいシングルヒットにすぎないのに。


 この試合は明石のホームだ。

「嫌ですかこの雰囲気。僕が1年前人助けしたからこうなってしまって……」

「俺は空気を読めないんでね。悪者にされようが勝ってやるさ」


 そう彼はうそぶいたが、やりにくそうなのは確かだ。

 この試合の本庄投手は本調子ではなかった。球速も最速で152キロにとどまったほどだ。フォームにばらつきがある。コントロールもイマイチで、主審がボールと判定するたびに不満そうな顔をし不評を買う。そんな悪いときの彼がマウンドに立ち続ける。

 おかげで当初の目的は達成できた。

 明石は終盤まで青海と殴り合い、試合は五分の状況で最終盤に突入する。



   青海大付属|100|100|11 |4

    明石実業|100|100|11 |4



 一〇分後には試合が決着しているかもしれない。

 僕は試合のプレッシャーに弱い。『こんな苦しい時間なんて終わってしまえばいい』とすら思ってしまうほどに。

 明石実業を応援するみんなが試合を楽しんでいることはわかる。

 チームのみんなが強敵相手に昂り、そして全国の決勝戦というこれ以上ない戦いの舞台に武者震いを起こしていることもわかっている。でも僕は、

 僕だけは勝負を楽しめない。僕にとって勝利することは義務にすぎないから。

 美波ちゃんとそう約束したから。

 僕だけは勝ちに徹することができる。それが自分の強みだ。

 青海や明石の敵・味方含め他の誰にもない利点。

 相手を殺し切れる本能的な殺意。



=======



 センバツ大会の1ヶ月くらい前のことだった。

 珍しく2人そろって休みになった日。僕は美波ちゃんの家を訪ねる。

 美波ちゃんが僕のためにピアノを弾いてくれる。そうして数分間ただ座って音楽に集中していると——眼を閉じ——意識が遮断され——ようするに眠たくなってしまうわけだ。

 そして気がつくとピアノを弾くのをやめた美波ちゃんが僕のまえにかがみこみなにかしようとしている場面にたどり着いてしまうわけだ(N回目)。

 僕は彼女のこめかみを抑えくちびるが接触するのを阻止した。

「ぐ……こ、近衛君の眼がそんなに綺麗なのはどうして? やっぱり一番になれる人は心が一番純粋だから?」

「(キスしようとしたの)ごまかすために口説かないで」

 僕は美波ちゃんから手を離した。


 美波ちゃんはそのまま僕を見上げながらこう問いかける。

「近衛君は私のために投げてるの?」

「そうだよ。僕は美波ちゃんに置いてかれたくないから」


 美波ちゃんははっとしたような顔になる。

 美波ちゃんはピアニストとして認められているそうだ。僕はそちらの業界について疎いからよくわからないが、この年代でもっとも注目されているアーティストであるという。今通っている学校も音大の中等部で、カリキュラムのほとんどが音楽に関係する。

 大体彼女の家(入江家)からしてプロ仕様の防音室があって今そこに僕たちがいるわけで、そしてその中央に鎮座するグランドピアノの値段を聞いた僕は気軽に鍵盤に触れることもできなくなった。

 僕だってプロチームのスカウトの人に声をかけられるくらいの選手ではあるが、美波ちゃんにしたって将来ピアノでお金を稼ぐようなミュージシャンになるに違いない。それくらいの技量をもった子を助けたことを数年かけて理解できた。


 僕は大人になっても自分が助けた女の子と同じくらい有名になりたい。そう思うようになった。

 美波ちゃんは僕に特別であって欲しいと願っているから。



「私のほうが近衛君に置いてかれるって思ってるんだよ。試合を見るたびにそう思う」

「野球はほら、勝ち負けがわかりやすいでしょ? 芸術とスポーツじゃ方向性が違うよ」

 そう答えた僕は、髪を下ろしたプライベートの美波ちゃんの薄黄色の瞳に溺れていた。

 コンクールでは髪を後ろにまとめ、ドレスを着て凛々しい姿になる。そんなギャップが素敵だ。彼女は去年東京で開かれた年末の大会で優勝した。全日本コンクール。僕よりも先に全国で一番になったのだ。

 美波ちゃんもまたあの事故のことで本業ピアノよりも先に有名人となった。なってしまった。トラックの暴走現場に居合わせ、男子高校生に助けられた小学生女児。そんな彼女が天才ピアニストで、お金持ちの令嬢で、容姿にも優れ、プロの大人に認められるほど才能がある。これで有名にならないわけがない。

 僕と一緒に公の場にいられなくなるのも理解できるというものだ。


 中学生になったけれど、美波ちゃんは僕と出会ったころの小さな姿のままだった。

 いや僕の視点からしたらそう見えるだけで、美波ちゃんも同世代の子と同じく成長期真っ盛りで背は伸びているのだろう。問題は並んで横に立つ僕のほうも成長が止まらないってだけで。僕が美波ちゃんの前を歩くと視界がふさがれて邪魔になっているはずだ。

「おまえはス○ダンの河○か」と宇良君が指摘するように高校2年生になっても僕は大きくなり続け180センチの後半に達してしまった。怪我で長期間離脱している間にたっぷり眠り続けた結果だろう。

 

 野球選手にとってサイズは正義だ。腕が長くなれば投げるボールも速くなる。体が大きければ打球も遠くまで飛ぶようになるのだ。


 楽器の演奏というジャンルにおいてそんな夢みたいな現象は発生しない。

 美波ちゃんは子供のころからピアノの稽古を休んだことはないそうだ。

 あの事故に遭ったその日が例外。

 いや、僕の入院していた病院にお見舞いにきてくれていた最初の一〇日間を除けば一年中ずっとピアノの前に座り続けてきた。

 毎日何時間も。美波ちゃんは好き好んで自分を追いこんできた。すべては上達のため、いや勝つために。誰にも負けないプレイヤーになるために。

 僕の野球に懸ける情熱なんて、彼女のピアノに懸ける情熱に比べたら微々たるものにすぎなかった。


 本当はもっと僕と一緒にいたかったんだと思う。でもこの世で一番大切な異性よりも大事なことがある。それが美波ちゃんにとってのピアノだから。

 四歳年少の少女から僕は学んだ。

 なにか夢中になれるものを見つけられたことが幸運であることを。

 僕はもっと野球に対し専一すべきなのだ。

 勝ち続けながらも勝利に飢えなければいけない。府大会や関西大会で勝って喜んでいる場合ではない。

 全勝。

 全国大会でプレーすることを前提に考えたうえでの全勝。

 チームメイトや応援してくれている人はもちろん大事だ。だが意識すべきは『自分のために』。

 僕には才能があるんだ。それを活かすも殺すも自分の意志一つ。


 最適な環境でトレーニングを続けてきた僕は、


 そして中学時代無敗を守り続けてきた僕は……事故に遭わなければ高校時代もずっと世代ナンバーワンの選手だったはずなのだ。そう今になって気付かされた。


 最高学年になった今からでも遅くはない。僕は自分の実力に相応しい称号を手に入れる。



 ……美波ちゃんは僕と外出するときだけ、いつも厚底の靴を履いている。

 僕の背に追いつこうとしているのだ。美波ちゃんは僕の趣味を真似て、僕と同じ味を楽しもうとして、僕の野球を知ろうとする。そういうところがかわいい。


「近衛君、学校でモテてるでしょう? 明石実業は共学だから女の子が放っておかない……。野球部に復帰してからは試合出っ放しだし。いや、野球関係なしにこんな優しい男の子放っておかないよ!」

「僕に好印象もつ女の子なんて珍しいよ。美波ちゃんが物好きなだけだって」

 そう僕は答えるのだが。


 美波ちゃんは不機嫌な顔になる。

「なに、私が変わってるって言うの?」

「僕はずっと前からそう言ってるよ。一つのことに夢中になれる子は変わってる……普通はもっと心変わりっていうか、移り気っていうかさ。ピアノにしてもそうだし、恋愛観も変わるもんだと思う。僕が言えたことじゃないけれど」


「なにが言いたいの?」

「最近思ったんだ。君には僕しかいない……のかもしれないって」


 あんな出会い方をしたことは関係ない。

 美波ちゃんには僕しかいないんじゃないかって。

 彼女の性格的に、僕以外の男性を恋愛対象として認識し難いのではないかと。

 プライドが高い彼女がそばにおける異性として僕は適していた。

 僕は彼女にとって王子様なのだ。世界中に一人くらい僕のことをそう思ってくれている人がいるのも悪くはない。


 美波ちゃんは顔を赤らめ、視線を下にむけて問いかける。

「だったらどう……したいの?」

「君が高校生くらいになったら、そしてそのとき考えが変わってなかったら、僕は『ハイ』って答えると思う。それだけだよ」

 僕は真剣な顔をしてそう答えた。


 僕は彼女と話ができるだけで満足なのだ。恋人になりたいとか、それ以上の関係をもちたいだなんて思っていない。どうしても美波ちゃんがそうなりたいと思ったら、そこはしたがっておこう、そう思っているだけで。

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