第37話 夜の街を漂うように
唯の家について、いつの間にか眠ってしまった。
目が覚めると、ほんの少し黒く染まったゲストルームの白い壁と天井が私の視界に飛び込んできた。
4時を指している時計の下に、壁にもたれている人影がいた。それは、唯だ。
「……先輩」
「唯?どうしたの……?」
「予想よりぐっすり寝てるから、起こすの悪いかなって思っちゃった」
「ねぇ、夕飯食べた後、付き合ってくれない?」
それだけ言って、唯は部屋から出た。残されたのは、投げ出されたのように沈黙する自分のみ。
「……突然だなぁ」
唯は何をするつもりなのか。そう考えながら、1時間ほどスマホを弄って時間を潰し、唯の声に導かれてダイニングに行った。
味噌の味が違う食事を食べ、唯の母親と唯の話をした。
唯は不機嫌そうにそれを聞いていた。そして、手早く食事を片付けると、「準備してくる」とだけ残し、上の階に消えた。
「照れてるだけなのよ」
唯の母親は、そう言った。
「どういうことですか?」
「この前初めて電話をかけてきてくれたんだけどね、『先輩は優しい人なんだ』って、ずっと言ってたわ」
その言葉を聞いた私の心には、二つのむず痒い感情が渦巻いていた。
唯が自分のことを優しいと評価してくれていることへの嬉しさ。そして、自分の心がささやく、
『お前はそう言われたいから唯に優しくしているのだろう?』
という非難の声。
……そんなことは、ない。
本当に、胸を張ってそう言えるだろうか。私は、本当は唯のためではなく、自分のために唯に優しくしているのではないか。
私の思考がマイナス方面に落ちかけた時、
「……先輩」
カーディガンを羽織った唯の声が、私の思考を現実まで引き上げた。
「ご飯食べたなら、早く行こう」
唯にそう言われて、手元の皿を覗いてみると、皿の上にあったはずのハンバーグと、お椀の中の味噌の味の違う味噌汁、そしてお茶碗の中のご飯はきれいさっぱり消えていた。どうやらオートパイロット状態で夕飯を食べてしまったらしい。
「……楽しんでらっしゃい」
食器を片付けようとしたら、唯の母親がそう言った。それでもどうにかして片づけを手伝おうとしたら、私は唯の手によってダイニングから連れ出された。
ゲストルームで上着を羽織って外に出ると、微かに潮の香りがする涼しい空気が私の頬を叩いた。
「行こうか、先輩」
唯は私の手を引いて、わずかに白さの残る夜の町に足を進めた。
行き先も知らされないまま、見慣れぬ街を漂うように唯と二人で歩いている間、唯は口を固く結んだまま動かさなかった。
その横顔は、3月に図書館で初めて会った時に、すごく似ていた。
自分と他者の間に壁を作り、心を隠し続けることで、自分を守ってきた人の目だった。
そうだ。私は、唯にそんな目をしてほしくないからここまで来たんじゃないか。
私がどうしたいかではなく、唯が私にどうして欲しいかが重要なのだ。
唯が自分を好きになれない代わりに私を愛してくれているように、私も自分を好きになれない代わりに唯を愛していたいのだ。
私はその感情のままに、唯の頬に手を添えた。
「……先輩?」
意図を測ろうとした唯の反応を無視して、私の唇を唯の唇に重ねた。
唯の唇は、ふわりとした柔らかさを私に返した。それがどうにも心地よくて、より強く唇を押し付けてしまう。
今私たちがいる場所が、人気の少ない場所でよかったと、心からそう思った。
そっと唇を放して、唯の耳元で囁く。
「……ぷはっ、唯はかわいいなぁ」
「……先輩、馬鹿なことしてないで、早く行きますよ」
顔を背けて、私の手を引く唯の頬は、わずかに赤らんでいた。
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