第13話 眠り姫とかき氷

「ゆーいー?」

仮入部最終日は、たいした問題もなく終わり、私は部室に戻ってきていた。

ゴールデンウィーク明けの仮入部期間の三日間すべてに参加してくれたあの男子二人組は入部確実だろう。


「……」

返事は無い。

昨日座っていたパソコンの前の席に座っているわけでもないようだ。

「ん?」

パソコンの前の席の周りに、いくつかの椅子が集められていた。

そしてその上に唯が眠っていた。

丸めた体操着の上に頭を、おなかの上に右腕を乗せ、小さな寝息を立てている。


規則正しく上下する唯のささやかな大きさの胸を眺めながら、「ほっぺを突っついてみたい」という欲と戦う。

「時間を止めて、唯をこのままにしてしまいたい」という欲と戦う。

ただでさえ自分の欲のために唯に呪いをかけたのだ。

これ以上は流石に唯も許してはくれないだろう。

唯に拒絶されるのが、怖い。


唯はどんな夢を見ているのだろう。

唯の思考が見れれば。

唯の心が見れれば。

そう思いながら、唯の頬を軽く突いた。


――――


心地よく揺さぶられている。

昔から、乗り物に乗るのが好きだった。

程よくガタゴトと揺られていると、安心して、眠くなる。

わたしは川の上を行くボートの上で、膝を抱えて眠っていたらしい。

暗い色の木材で作られたボートだ。

周囲は暗い霧で覆われ、見えない。


しかしまあ、何とも奇妙な景色だ。

わたしの他に10名ほど、ボートに乗っている。

わたしの前に座る、七人兄弟。

私の隣に座る、七人兄弟の末っ子らしき赤子を抱えた老人。

わたしの後ろに座るのは、何とも言えない……というか死んだ魚の目をした中年の男とその他。


そっちも気にはなるが、奇妙なのは目の前に座る子供たちだ。

彼らはどういう訳か、霧の向こうに手を振っている。

わたしには見えない何かが見えているのだろか。


奇妙な景色だが、驚くことではない。

他者には何ともない音が自分には苦痛に聞こえるということだってあるのだ、わたしにしか見えないなにかがあっても不思議ではない。

あの人なら、なんて言うだろうな。


そんな思考がよぎってから、ふと気づく。

あの人って、誰だ?

頭の中で姿を思い浮かべようとするが、顔の部分だけぼやけて、誰だかわからない。

こんなことは、よくある。

兄や両親の顔ですらよく覚えてないのだ。

記憶喪失とか、そんなものではない。

現に、自分の名前だって言える。

「わたしは……唯、萩野唯。」

ほら、言えるでしょう?それ以外だって簡単だ。

「家族は……母さんと父さんと兄さんと猫3匹」

「学校は……駒央中の3年生。」

完璧だ、すごいだろ。


そもそも、ここはどこだ?

茨城――というか日立に、こんな場所あったか?

ここまで濃い霧は日立では見ないし、ボートが通れるような大きな川なんて、それこそ市の端にでも行かなければない。

自分の思考が少しずつ調子を取り戻すのに従って、霧が少しだけ薄れる。

なるほど、お祭りか。

周囲にうっすらとだが、光が見えた。

その光の周りには、「やきそば」「お好み焼」「チョコバナナ」などの文字が並んでいる。


お祭りの雰囲気は、嫌いではない。

どのくらいかと問われれば、きゅうりの一本漬けにわざわざ300円も出して買うくらい好きだ。

しかし、騒がしい雰囲気は、好きではない、むしろ、嫌いだ。

矛盾しているような、矛盾してないような。

しかし、どっちが大きいかを確かめれば、僅差で嫌いが勝つ。

そのくらいの感情。


こうやって周囲を眺めていると、陰鬱な気分になる。

他者の耳が気になる自分に対する自己嫌悪と、自分とは違う普通の耳を持つ彼らに対する嫉妬。

こんな惨めな思いをするなら、帰ってしまいたい。

しかし、そもそも日の光すら見えないから家の方向すらわからない。

スマホの地図?わたしがスマホを持っているとでも?

自分を見ている誰か……というより、自分自身にツッコミを入れる。

残念ながら、我が家は「スマホは高校生になってから」というルールがあった。

普段は家族共用のタブレット端末でゲームや調べ物をしている。


タブレット置いてあったりして。

そんな淡い期待を同年代の女子たちより明らかに発達の遅れを感じる薄い胸に抱きつつ周囲を手探りで探す。

しかし、その手は、全く予想のつかないものに当たった。

「やぁ」

「君は……」

わたしの真後ろにいつの間にかいたのは、他でもない、自分自身だった。


「やぁ、わたし。」

「見知らぬ制服だね、わたし。もしかしてこの景色は、君の景色?」

「よくわかったね、知らない制服なのに。」

目の前のわたしは手に持ったイチゴ味のかき氷を食べながら、答える。

「こんな髪型してるの、わたしだけでしょ」

わたしは自分のやけに長いもみあげを弄りながら、いたずらっぽく笑って見せた。

「食べる?」

目の前のわたしが差し出したかき氷を受け取り、一口分口に運ぶ。

「ありがと……」

器を返そうとすると、わたしは消えていた。


「何だったんだ……」

返す相手がいないなら、返しようがない。

仕方なくかき氷を再び口に運ぶ。

アイスクリーム頭痛といったか。

軽い頭痛を感じ、こめかみを抑えると、知らない記憶がなだれ込んできた。


「唯はそのままでいて」


「私のこと、嫌いにならないで」


「私のこと、知ろうとしないで」


「私だけの唯でいて」


「唯のことを好きでいさせて」


変な言葉だ。

伝える必要がある言葉だろうか?

わたしがこれに悩む理由がわからない。

そうしろと言われたら黙って従えばいいのだ。

「萩野唯」はそのためのものだろう?


再び、かき氷を口に運ぶ。


「わたしは……青柳唯。」


他でもない、わたしの声だ。

「ねぇ、わたし。時々ね、自分がわからなくなるんだ」

いつの間にか目の前に再び姿を現した、「青柳唯」は続ける。

「自分の障害は思い込みなんじゃないかって」

「思い切って耳栓を外せば、本当はずっとうるさくない世界が広がってるんじゃないかって。」

「馬鹿なことを」

自分はその言葉をあっさりと切り捨てる。

「その期待だけで何回やってきた?」

「何回裏切られてきた?」

「お前はそんなに馬鹿な人間じゃないだろう?」

わたしを守るのが、自分の使命だ。

そのためならば、わたしにだって嫌われてみせる。


「ごめん、弱音だったね」

「ありがとう、わたし。」

「青柳唯」は、再び姿を消した。

手元に残ったかき氷を口に運ぶ。

二人のわたしは、どちらが先に生まれたのだろう。

そんなの、互いに覚えてはいない。


わたしは、かき氷はイチゴ味が好きだ。

それは「青柳唯」も一緒だろう。

かき氷のシロップは色が違うだけで、味はすべて一緒らしい。

頭のいいだれか曰く、色によって脳が「これは苺」と勘違いして、苺の味に感じるらしい。


きっとわたしは、それと同じものを自らの耳に感じたのだろう。

「自分に害をなすもの」だと脳が勘違いするから、頭痛が起きるのだと。

しかし、わたしは知っている。

それが錯覚だとわかっていても、かき氷のイチゴ味は、イチゴ味のままで居続けるのだ。

それがたとえ思い込みでも、脳は簡単には変わらない。

わたしに出来ることは「耳栓を使えば大丈夫」と脳を騙し続けることだけなのだ。

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