第3話

 それは最初、酒席の中での悪い冗談の一つだった。


 嫌味な上官や、近所に住む若者のマナーの悪さ。そんな愚痴や悪口などを言葉にして吐き出してストレスを発散させる、という人類が言葉と酒を覚えてから変わること無く続けられてきた由緒ある悪い酒の飲み方をジョバンニたちはしていた。


 ジョバンニも一回り以上年の差のある小娘の批判の為に、赫々たる戦果を上げて、今では英雄と称されている同期のことを引き合いに出し褒め称えていた。


「あいつは、アルトリウス・クラウソラス中将閣下殿は、常に自らが先頭に立って皆を導いていたし、戦場に出れば陣頭指揮を執っていた。そうでなければ兵に示しがつかないと常々あいつは輝いた笑顔で言ってたよ」


 それは英雄譚の序章に相応しい、眩いばかりの国防士官学校での話であった。名家に生まれ特級の血筋を引く同期は、上流階級の者によくある特権に驕る者の腐臭を感じさせず、むしろ春風のような爽やかさで、周囲を己の実力で認めさせ引っ張っていった。


 それほど鮮烈で強烈な過去の日々。おそらく銀河一の美女と一夜を共にしたとしても、あの英雄と塹壕で土まみれになりながら寝た夜に比べれば遥かに劣る。


「ははぁ……流石英雄様だね。それに比べて我らがアイ中佐殿はどうだ。他人を舞台で踊らせるだけ踊らせて、自分は極力安全な奥に引っ込んでるだけだ」

「まったくだぜ。参謀本部って所の連中は、いつもいつも脇から眺めて人を弄ぶだけで、自分たちは綺麗なすまし顔でいるんだ」


 確かに作戦参謀本部という性質上、そこに所属する人間は高級指揮官の側に付き、作戦指揮の補佐を行ったり、計画の調整や管理を行ったりする。その為、戦場で身を危険に晒す兵士たちから見れば、参謀本部の者は兵士を書面上の存在として扱う陰謀家として写るのだろう。

 無論それが全て事実というわけでもないということも、そういう存在が軍に必要なだということは、ジョバンニたちも理解している。だがそれでもやりきれない気持ちも心の奥底で燻っていた。


 それが酒の力で、日頃溜まっていた不満が表に出てきてしまっていたのだ。

 そこにジョバンニのあの一言が、火種となってしまった。


「……いっそアイ中佐が囮になってくれればいいじゃないか」

「ああ、まったくもってその通りだ!」

「そうだそうだ!英雄様を見習えってんだ!」


 最初は、悪い冗談程度の燻った火種だった。


「覚えてるか、あの搬入事故。ジコールが例の荷物のせいで腕を折ったってのに、あの女、いの一番に心配したのは、積荷の損傷具合ときたもんだ」

「ああ、まったく血も涙もねぇ!」


 その火種が、他の人間の言葉を経由すると、瞬く間に周囲に燃え広がり、まるで大蛇のように畝りをあげクルーたちを憤怒の炎の中に飲み込んでいく。

 或いは大蛇は、この瞬間を待っていたとばかりに、異様な速さでクルーたちを怒りに染めるだけでなく、異常なほど彼らの思考力を奪っていった。


「あの女にも俺たちの気持ちを判らせてやろうぜ」

「ああ、いっそ俺たちが逃げちまえば良いんだ」


 なぜ現場の人間だけがいつも血を流さなければならないのか。

 なぜ生き残るべきは、階級が上の順番でなければいけないのか。


 軍人であれば誰もが、士官学校でいの一番に叩き込まれる当たり前の事を口にしていた。軍隊という暴力装置の一部に組み込まれることを了承し、運用するには細心の注意と、厳格な手順を踏む必要がある事を忘れたかのように、皆が口々に指導教官に修正されるような事を騒ぎ立てた。


「お、おい。そろそろ止めにしないか――」

「おし、野郎どもやっちまうかッ!」

「おう!」


 貨物船のクルーたちの言動に危うさを感じ、流石に酔いの冷めたジョバンニが静止を促そうとするが、聞き入れられることは無かった。

 まるで見えざるハーメルンの笛吹きに操られたかのように、ネズミの集団となったクルーたちは、個人の自由と権利求め行動を起こす。


 今の彼らの曇った観点からすれば、《連邦》は根深いところまで腐りきっている。今の生活にもはや未練は無く、宇宙海賊に身を落とす事も辞さない構えらしい。


 かくして職業軍人から海賊へ急遽宗旨替えした男たちは、みな一様にハイエナの笑みを浮かべて頷きを交わす。その狂気は何故か男のクルーばかりに伝播し、男は海賊へと成り果てる事に賛同し、女性クルーは慌てて『アンドラス』へと避難する事態となる。


 あまりの急展開に巻き込まれたジョバンニは、さながら濁流に飲み込まれ翻弄される一枚の木の葉のようであった。


 この突然の反乱に、ナスターシャを始め『アンドラス』のクルーたちは勿論、アイ中佐も慌てふためいた。まさか、《帝国》のエース部隊が迫っているこの非常事態に、海賊に転職するなどという気の狂った行動を取る者が出るなど、誰も予想だにしなかったのだ。


 だが驚きの程から言えば、一番動転したのはジョバンニである。あれよあれよという間に、反乱に巻き込まれただけでなく、その首魁に仕立て上げられてしまったのだから。


 あと一年軍務を全うすれば、自由気ままな年金暮らしが待っていたというのに、こんな事で人生を棒に振る気は、彼には微塵も無かった。

 懸命に自分は反乱に加担していないと説明するジョバンニであったが、しかし折り悪く『アンドラス』が潜伏している暗礁宙域に、深紅の大鷲であるフェルト・フォン・タイヒ大佐が襲来し、誰もジョバンニの言葉に耳を傾ける事はなかった。


 《シグルドリーヴァ》と二機の《帝国》の主力量産機である《スカルモルド》が、ジョバンニたちに襲いかかり、反乱どころの騒ぎではなくなったのだ。


 艇内が慌ただしくなり、『アンドラス』と貨物船を繋いでいた架橋が強制的に切り離されたが、そこで積み荷を運び込んでいた作業用ポットと荷物が宇宙へ放り出されたが、殆どの人間が気にも留めていなかった。気がついたのは、ナスターシャやセッテといった『アンドラス』の一部の女性クルーのみで、ジョバンニは当然気がつくはずもなく、眼の前の現実から逃げ出すことで精一杯だった。


 もうすぐ友軍が駆けつけてくれるはずだ。ここから五時間もすれば『アンテノーラ』の防衛圏内だ。別の哨戒艦隊と接触できればきっと助かる。そうしたら一度、母の墓参りに行こう。先月行ったばかりだが、助かった幸運と感謝を報告するんだ。あと宿舎に戻ったらあんな独身用の部屋を引き払って、もっとましな所に引っ越そう。どこかに小さな一戸建てを立てて、年金が入ったらパン屋を始めるのも良いかも知れない。もう職業軍人はたくさんだ。まとまった金を貰って、人生をやり直すんだ。


 支離滅裂になっている思考で、何とか意識を手放さず、涙を滲ませながら偽装貨物に搭載されていた艦載機が次々と落とされるのを眺めるしかできないジョバンニの耳に、致命的な音が聞こえたのはその時だった。


 外を映し出すモニターにノイズが走り、白い閃光が焼き付いた。

 船体に冷えた衝撃が走り、艇尾から這い上がってくる不快な振動音は、決してエンジンの調子によるものではない。プラズマ砲の直撃を受けた時の振動であると、ジョバンニは経験から瞬時に判断できた。


 毛穴という毛穴から恐怖が吹き出し、恐慌と云う名の無味無臭のガスが貨物船のブリッジに満たされていく。死にたくないと叫ぶ者や、持ち場を逃げ出す者、死を受け入れた者など、行動は様々だった。


 敵機の接近を告げる警告音がブリッジに鳴り響く。


 涙に歪んだ視界をきつく閉じ、半ば諦観と共に目を開いたジョバンニは、次の瞬間、それを見た。


 流星の尾を引いて、ソレはやってきた。


 天使の羽根を模した大型のスラスターユニットを噴かして此方に近づいてくる。

 ソレはあっという間に輪郭を大きくし、青いツインアイを光らせると、手に携えたプラズマライフルの銃口をジョバンニに向けてきた。


 咄嗟に顔を遮るように伸ばした手でも防ぎきれない眩い光にジョバンニは、包まれ――。

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