第30話 調合

 娘のリーシャがハイハイと捕まり立ちを覚えた。前世なら必ず写真に撮って記録として残す所だろうけれど残念ながらこちらの世界には写真機は無かった。

 昔、写真の事を銀光板と言っていた時代があったと聞いた覚えがあるので、酸化して黒くなりやすい銀を、光に当てて変色させると言う仕組みだとう事はなんとなく想像がついた。

 光に当てれば変色するものには色々心当たりがあった。染料の多くが光を当てると退色したり変色するからだ。ただ光を当てて変色させたあと維持しなければ写真として残す事は出来ない。草木染の職人が色止めとして泥水に浸けていたのでそれで維持する事は可能かもしれない。ただハイハイで動き回るリーシャのひと場面を写し取るには無理な方法だ。だからリーシャの成長を目に焼き付ける事で満足するしか無かった。


 ただ、年に1回家族の姿絵を描いて貰うようにはなっている。絵師や画家という加護を持つ人は、熟練していくと、一度目に焼き付けた構図をそのままの姿に描けるようになるそうだ。

 だから一度来てポーズを取った所を見て貰うだけで、その絵を持って持参してくれ、あとはその場で細かな修正を入れてワニスを塗布して、綺麗な家族写真のような絵を引き渡してもらえる。

 修正は3人の妻達が、目が半開きなのをパッチリととか、胸はもっと大きいはずだとか、毛先が跳ねてるのを直してとか、ホクロやソバカスを消してとかそういう注文をして直させていた。

 前世ではグラビアアイドルの写真集は修正ばかりと言ってた奴がいたけれど、こんな感じで直されていたのかなと思いながら、絵師が快く応じてくれるのを見ていた。


 フィンブル辺境伯から、僕がフィンブル辺境伯経由で王家に贈った蒸留酒と香水が非常に好評だったという話が届いた。特に香水については王妃様達が目の色を変えて飛びついたらしく、それを振りかけて出席した社交場で話題になり、多くの貴族の奥方からフィンブル辺境伯宛に香水の入手先の問い合わせが殺到したそうだ。

 現在フィンブル辺境伯領内で開発中の新製品で、近々王都の商会で発売予定と伝えてくれたそうだけど、既に王都からかなりの商人が領都フィンブルに来ていて、香水の開発元を特定しようと嗅ぎまわっているそうだ。


 マーカスさんに嗅ぎ付かれた僕が妻たちに身に着けさせていた下着は、マーカスさんに製造と販売を依頼する事になっている。ミリアン王国南方のヴェニアという入り江に巨大海棲生物を追い込んで仕留めているという港町にお針子を集めて作るそうだ。

 クジラの髭が手に入りやすいことと、ナノックス帝国からのゴム樹脂を輸入しやすいのがそこに建てた理由だそうだ。今度視察に行こうかと思っている。


「じゃあ来月1日から王都で売り出すからね」

「お願いします」


 今日はマーカスさんが直接「バッカス酒造所」にやって来て、マーカス商会の王都本店向けの香水を受け取っていった。マリアが懐妊したので、その様子も見に来たのだろう。

 香水とマーカス商会が作っている下着は、フィンブルのシャール商会本店と王都のマーカス商会本店の二店舗同時に販売開始となる予定だ。


 シャール商会はマールの同腹の姉であるシャール夫人に立ち上げて貰った商会だ。シャール夫人は隣領の領主であった先代コッコル伯爵の第三夫人として嫁いだけど、子を身籠る前に先代のコッコル伯爵に先立たれたため、フィンブル辺境伯の屋敷に戻っていたそうだ。

 シャール夫人に商会を立ち上げて貰った理由は、女性向けの下着や香水を扱うので代表は女性の方が良い事、シャール夫人が綺麗な女性であるため宣伝効果が望める事、シャール夫人がマールが認める程誠実な女性である事、シャール夫人が王都の学校で主席を争うほど優秀な女性であった事、シャール夫人が貴族で富裕層への扱いも心得ている事と様々な理由がありお願いした。

 シャール夫人がフィンブルの街に商会を開く事は、フィンブル辺境伯の許可を得ており、従業員もシャール夫人の学友だった女性達が勤めてくれる事になったそうだ。シャール夫人と同じ様に未亡人や行き遅れで、いい婚姻が望めないと諦めている女性達なんだそうだ。


 香水は香料と蒸留酒を別々に出荷し、それを店舗で1番~13番まで作られた調合表の通りに混ぜて貰い瓶詰して出荷される。

 香料の種類を増やしたり調合割合を研究する事で、また新たな香水がどんどん生み出される事になる。実際に最新の13番の調合割合はシャール夫人が試行錯誤して作ったシャール商会独自ブレンドだ。


「お客様がいらっしゃいました」

「どんなお客様?」

「フリント公爵領の商人ベネット氏です。香水に関する商談と伺いました」

「おぉ、早速嗅ぎつけた商会が出て来たんだ」


 フィンブル辺境伯が国王陛下に蒸留酒と香水を献上する前に、フィンブル辺境伯が男爵に任命した青年がいる事を知る人はフィンブルの街にそれなりにいる。それに香料を取り出す時の匂いや泥炭を炊いた時の匂いなど、バッカス酒造所の周りで変わった匂いがする事は、出入りの業者の多くが知っていた。


 応接室に入ると、ベネット氏は、クリスタルガラスの工房で作ったガラス鏡の前にいた。どうやら全身鏡に興味を持ったらしい。


「初めまして、ケント商会のケント・バッカスです」

「初めましてバッカス男爵様、私はフリント公爵家の御用商人をしておりますベネットと申します」

「とりあえずお茶を用意させております、お掛けになってお待ちください」


 相手は平民のようなので、男爵である僕が丁寧に応じる必要はないのだけれど、バッカス酒造所の責任者でもあるので、尊大な態度はしないようにしている。


「あの、商談の前に教えて頂きたいのですが」

「何でしょう」

「この鏡を作られたのは、どちらの工房でしょう」

「王都のコーベン工房ですよ」

「王都ですか……、こんな見事な鏡をつくっているとは知りませんでした」

「全身を映せる鏡が欲しくて特注したのです」

「なるほど……」


 銀が酸化して鏡が劣化するという問題を残したものを作っていたので、銀めっき上に銅メッキをさせた試作品の鏡を作って貰った。リーリアの笑顔の練習に使われるぐらい立派な出来をしている。

 コーベン工房から、劣化がしなくなったという喜びの手紙と、応接室にあるものより大きなガラス鏡が送られて来たので、それを夫婦の寝室の壁にかけている。リーリアもミーシャもマリアも鏡で全身を確かめてニマニマキャッキャしながら新しい服や下着を試着して楽しんでいるし、夜は鏡に映した自分達を見ながらするという興奮するプレイを堪能する道具となっている。


「はいどうぞ」

「失礼します」


 扉がノックされたので返事をすると、メイさんがティーセットを持って入って来た。


「これはジャムですか……」

「えぇ、紅茶に入れると美味しいですよ」

「でしょうな……」


 うちでお客に振舞う紅茶は、苺ジャムを添えるのが定番になっている。今まで悪い反応は無かったので継続するつもりだ。


「それで商談との事ですが」

「そっ……、そうでした、紅茶の美味しさに忘れてしまう所でした」

「あはは、もう少しゆっくり紅茶を堪能してから商談でも良いですよ」


 暇という訳でもないけれど、自営業で決まった営業時間も無いので、蒸留作業中でなければ時間に追われる事は殆どない。

 忙しい時は忙しいけれど暇なときは暇という感じのメリハリある働き方をしている感じだ。

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