Bパート

 次の日、恵子がレッスン場にいると聞いて私はそこに行ってみた。そこは雑居ビルの3階にある。警察手帳を見せて中に入れてもらうと、相田マネージャーがいた。


「これは刑事さん」

「先日はどうも・・・」

「今日はこちらにご用ですか?」

「谷村さんにまたお話を聞きたいと思って」

「そうですか。谷村はあそこです」


 相田マネージャーは中を指さした。レッスン場では少女たちが歌い踊っていた。若いエネルギーを発散させて、皆が真剣に練習に打ち込んでいる。その雰囲気に私は圧倒されそうだった。

 数名の見学者に交じって、恵子も腕組みをしてじっと見ていた。彼女の目はずっと一人の女性に注がれていた。それは立川美玖だった。確かに彼女の歌やダンスは他の子より抜きんでている。

 やがてレッスンが休憩に入り、少女たちはほっとしてタオルで汗を拭いていた。そのタイミングで恵子は美玖のそばに行った。


「美玖ちゃん。よかったわ。ますますよくなっている。がんばったのね」

「先生。ありがとうございます。デビューも近いから気合が入っているんです。それよりも全日本歌謡フェスティバルは明日ですよね」

「そうね。私も負けないようにがんばらないと」

「先生。私、見に行きますから」


 2人はそんな会話をしていた。全日本歌謡フェスティバルといえば、優れた歌唱力を認められた歌手が出場する年に1回のステージである。これを目指す歌手は少なくない。もちろん実力のある恵子は毎年出場している。


 やがて休憩が終わり、練習が再開した。恵子はレッスン場の隅に戻って来た。そこで私に気付いた。


「あっ! 刑事さん?」

「はい。日比野です。お話を伺おうとしたらこちらだとお聞きして・・・」

「もう話すことなんかないわよ。あの男のことは知らないし・・・。それより、どう? この子たちは?」


 恵子は話題を変えてきた。


「みんながんばっていますね。熱意が伝わってきます」

「そうよ。この子たちはこれから芸能界に羽ばたくの。そのために懸命にがんばっている。若さを燃やしているのよ」

「そうですね」

「若さってあこがれだわ。今の私にとって・・・。私にもあんな時があった。未来に明るい希望をもっていた・・・」


 恵子の目は遠くを見ているようだった。その時、彼女は後ろから声をかけられた。


「失礼ですが谷村恵子さんじゃないですか?」


 それはハンチングをかぶった芸能記者だった。彼も見学者の一人だった。


「ええ、そうよ。何か?」

「私は週刊実在の記者で田所吾郎と言います。すこしお話がありまして・・・」

「どんなお話?」

「ここではちょっと・・・。お手間は取らせません。少し向こうまで・・・」


 週刊実在と言えばゴシップ誌だ。彼女は何か書かれようとしているのか・・・。本来なら事務所が、いやマネージャーが対処するはずだが、相田マネージャーの姿はない。ここは直接、彼女が対応するしかないようだ。


「わかったわ」

「では・・・」


 2人はベランダの方に行った。掃き出し窓を絞めれば声も聞こえない。私はそっと2人の様子を見た。記者はニヤニヤして、恵子は厳しい顔をしていた。そしてそれは長くかからなかった。

 2人はベランダから出て来た。記者はそのまま帰り、恵子はまたレッスン場に来た。


「週刊誌の記者が何か? お聞きしてもいいですか?」

「いえ、たわいもないうわさよ。否定しておいたけど・・・」


 恵子はただそう言ってまた少女たちの練習を見ていた。ただ心ここにあらず・・・そんな感じに見えた。


 ◇


 私は谷村恵子の過去を洗おうとした。彼女がデビューしたのは25歳の時。それから苦労して今の地位まで上り詰めた。そうなるまでに彼女には黒いうわさが付きまとっていた。枕営業をしたとか、バックに大物や暴力団がついているとか・・・。

 だがそれは週刊誌の作り話だったという。彼女は努力して実力で勝ち取ったのだ。だがデビュー前のことは知られていない。そこに山岡との接点があると私は思った。私は懸命に彼女の過去を探した。そしてようやく昔の恵子を知る人物に会うことができた。

 それは古いアパートに住む高齢の女性だった。私は彼女に恵子のことを覚えているかを尋ねた。


「ああ、覚えているよ。恵子さんだね。隣に住んでいたよ」

「男の人がいませんでしたか?」

「いたさ。ひどい男でね。ヤクザだよ。恵子さんはいろんな仕事をして金をむしり取られていた。大きな声では言えないけど、客を取っていたこともあるそうだよ。上京してわからないうちにすぐにこんなことになってね・・・」


 その女性は話してくれた。男が刑務所に入っている間に恵子は逃げ出したらしい。その男の名前は憶えていなかったがどうも山岡らしいと私は思った。

 それにしても彼女は苦難の道を通って来てここまで来た。それが過去を知る山岡に脅されたなら・・・・彼女が犯人である可能性は十分にある。


(彼女を任意で引っ張ってきて事情を聞くしかない!)


 私はそう思った。だがその矢先、第2の殺人事件が起こったのだ。

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