⑥ 釣鐘マントの転校生との夕食
▼▼
それから一時間後。
致命的な大過もなく、無事にハンバーグを焼き終えることに成功する。それから一仕事を終えた俺達は、夕食までの暇つぶしにスト2で戦っていた。
「マジかよ…………つ、強え…………」
ボコボコにされた自機のブランカを眺めながら、感嘆の声がこぼれる。第一試合。人山のザンギエフによって、俺のブランカは抵抗も虚しく瞬殺された。ちなみに、ザンギエフの体力ゲージは満タンである。
パーフェクトゲームだった。
俺の腕が下手すぎるというのもあるのだろうが、まさか初見のプレイヤーに完封されるとは思っていなかったので、結構ショックを受けている。
「わたしが強いんじゃなくて、犬秋が全然ガードを使わないのが問題なんでしょ。説明書はちゃんと読まないと意味がないんだよ」
「………………」
人山は、俺のスマホで必殺技のコマンドを確認しながら説教をたれてきた。こんなに悔しい思いをしたのは久しぶりだ。
「けっ。説明書って、いつの時代の話だよ。今時のゲーマーに説明書を読む習慣があると思ったら大間違いだぜ」
「それ、往年のゲームをプレイしながら言うことじゃないでしょ」
「うぐっ…………」
それを言われると反論のしようがない。
俺は心の中の義憤を抑えながら、これから毎日格ゲーの練習をすることを心に決めた。
その時。
スマホの着信音が鳴り響く。
「わわっ!」
人山はびっくりしながらスマホの画面を覗く。
そこには『遊佐沢』と書かれていた。どうやら、あの雨傘男から電話がかかってきたらしい。人山から携帯を返してもらい、俺は電話に出た。
「もしもし、犬秋です」
『遊佐沢だ。今、時間はあるか』
電話特有のザラザラとした音質で遊佐沢の声が聞こえてくる。
「ええ。こっちは大丈夫ですけど、何の用ですか?」
『人山梢に電話を代わってくれ』
「人山ですか? わかりました。今代わります」
スマホを渡すと、少し遊佐沢の声が聞こえてきた後、人山は別の部屋に行ってしまった。俺に聞こえないようにしろとでも言われたのだろうか? わからないけど。
この学生寮は作りがよく出来ているので、扉を一枚隔ててしまえば、会話の音声はまったく聞こえてこない。勝手に扉を開けて盗み聞きでもしてみようかとも迷ったけれど、そんな気分でもなかったので俺は大人しく待機していた。
それから数分が経過。
すると、
「犬秋ー、なんかメモできる紙とペン欲しいんだけど」
別室で電話をしていたはずの人山が、耳に電話を当てながらリビングへと戻ってきた。彼女の要望通り、俺はメモ帳とペンを渡した。
「ありがと」
筆記具を受け取った人山は、メモ帳に何かを書き始める。その様子を
字、綺麗だな。
声にこそ出さなかったが、そんなことを思った。
学校に通っていないながらも、文字は問題なく書けるらしい。相変わらず掴みどころのないやつだ。
というか、もう料理の
俺は人山の姿から目をそらす。
それから数分後、どうやら用件は済んだらしく、遊佐沢との電話が終わった。
携帯を返してくる人山に、俺は訊く。
「何を話してたんだ?」
「なんか
「指令?」
「うん」
そう言って人山は、先程のメモ帳を俺に見せる。
メモ帳には、箇条書きで「学校に登校しよう」「授業を受けてみよう」「部活動に参加しよう」「ハイクラスの生徒と会話しよう」「スキルホルダーと戦おう」「セキズイトウ刑務所に行ってみよう」「散歩をしてみよう」など、いくつもの項目が書かれている。
「……なんだこりゃ。これが命令だっていうのか?」
メモ帳を見ながら、眉をひくつかせる。
基本的には簡単な条件が多いものの、刑務所に行ってみようとか、明らかに無理難題のようなミッションもある。
「これ……全部やるのか?」
「いや、別にすべてを網羅しなきゃダメってわけじゃないらしいよ。クエストノルマは三個」
「ノルマを達成できなかった場合はどうなる?」
「
「………………」
研究終了、と人山は言った。
それはつまり。
彼女が
「しかし……このミッションとやらを履行していくことが研究だっていうのか? 意味がわからねえ」
「まあ犬秋が変に思う気持ちもわかるよ。だけど研究所ってそういうものだから」
「どういうものだよ」
「よくわからないものを、よくわからないなりに『研究』と呼ぶ。それがあの人たちの仕事だからね。とはいえ、研究所の人たちはそんな仕事に誇りを持ってるから、わたしが思っているよりも『すごいこと』をやっているんだろうけど」
「…………ひとつ疑問なんだが、お前は自分の
「うん。知らないよ。訊いても『企業秘密だ』、とか言って教えてくれないし。だから、実はとんでもない悪事を働こうとしている、なんてことも────あるかもしれないね」
人山は、
────遊佐沢と出会ったとき、彼は人山のことを『研究資料』だと言った。
ミッションだとか、クエストノルマだとか、研究所はまるでゲームのような単語を使っているけれど。
彼らは本当に、人山の
ふと、そんなことを思った。
「で、お前はそのノルマとやらをこなそうと考えてるのか?」
「うん。三個くらいでいいなら、簡単そうだし」
「…………」
「なによ、おかしなこと言った?」
「…………」
「べ、別にあなたと会えなくなるのが嫌だからとか言ってないけど」
「いや、その言葉が聞けたのなら──俺から言うべきことは何もない」
俺はニヒルに下を向いた。
彼女は否定するように首を横に振る。
「待って。曲解だって! わたしは何も言ってないから!」
「わかるわかるよ。ツンデレ言語はおおかた把握してる」
「誰がツンデレじゃい!」
人山はキレながら手近にあった座布団を投げてきた。
俺はそれを回避する。
「こんなこと言うのも今更で悪いが、他人の物はもっと大切に扱ったほうがいいぜ」
「シャラッ!」
「しかし人山──他人の事情に口を挟むようで忍びないが、そのミッションを達成するためのプランは考えてるのか?」
「ぷらん?」
人山は首を傾げる。
「三個あるっていうノルマを達成するための計画だよ。お前、どのミッションをやろうと思ってるんだ?」
「えっと、まず『学校に登校しよう』と『散歩をしてみよう』は簡単だから確定として、ここから最後の一個にどれを選ぶかってのが肝心だよね。残りの中だと、難易度的には『ハイクラスの生徒と会話しよう』が一番ハードル低そうに感じるんだけど……犬秋、そもそもハイクラスって何?」
「
「それって普通のクラスと何が違うの?」
「
話を聞きながら、人山は適当に相槌を打つ。
「ふうん。よくわかんないけど、わたしみたいな人外がたくさんいるってことね」
軽い調子で要約する彼女。
「────あのさ、人山」
俺は彼女の目を見た。
「あんまり自分のことを人外とか、言わない方がいいんじゃないか?」
人山が冷ややかな視線をこちらに送る。
「どうして?」
「いや、どうしてっていうか…………別に自分のことをそんな風に言う必要はないだろ?」
「悪い?」
ぴしゃりと。
一言で拒絶を示す彼女。
部屋の空気が冷えていくのを感じる。
「そんなの、わたしの勝手でしょ」
「…………悪かった」
俺は頭を下げる。
まだ食い下がるという選択肢もあったのだけれど。彼女のきっぱりとした態度の前では──この忠告が極めて浅はかだったと思わされた。
服を着られないということが、どういう意味なのか。
研究所で過ごしてきた日々が、どういう時間なのか。
人山梢の人生。
彼女のすべて。
それを
最低の俗悪人。
他人に口を出せるような生き方はしていない。
これまでも。これからも。
自分から始めた話だったので、気まずい後味ではあったけれど、一旦この話は終わらせよう──と。
そう思っていたところに、人山が言う。髪を指でくるくると
「まあ、そりゃ……聞いてるあなたも良い気分にはならないのかもしれない、けど…………そんなこと言われたの初めてだから、自分じゃよくわかんないっていうか…………」
ぽつぽつと言葉を
「は、初めて言われたって……そんなわけないだろ?」
思わず、疑うような台詞を言ってしまった。
しかし人山は気にした様子もなく、
「そんなに……おかしいかな? ほんのちょっとした自虐のつもりだったんだよ?」
しどろもどろで、照れるように顔を隠している。
「………………」
まさか研究所でも、同じように自分のことを「人外」と称していたのだろうか?
それを一度も注意されたことがないと?
ありえるのだろうか……そんなことが。
『過度な自虐が相手に多少の不快感を与えてしまう』というのは、別段珍しい話ではないと思うのだけれど……。
なんだろう。
何か重大なことを見逃しているような。
違和感。
どこか妙に引っかかる。
「ま、まあ。犬秋が言わない方がいいって思うのなら、きっとそうなんだろうね。わたしなんかじゃわからないことが……ここにはたくさんあるだろうから」
「………………」
そうして、人山のセリフを最後に、この話は自然と終わった。
終わらせてよかったのだろうかと。
そんな風に思わないでもないが、しかしこの場においては、ひとまず悪くない終わり方ではあったのだろう。そう思うことにした。
人山梢。
服を着られないというスキル。
人外。
研究所での人生。
人間性。
その辺りの事情について、独自に調べてみるべきか。
とりあえずそのことを頭の隅に置いてから、俺は夕食までの時間を過ごした。
▼▼
それから十分も経たない内に、俺達は食卓に料理を並べて食事の支度にかかった。どうやらお互い、事ここに至って変に緊張してしまっているようで、人山は皿を並べ終えてから第一声に、
「そ、そういえば…………目隠し…………巻き直してほしい」
と要求してきた。
「あ、ああ。別にそれは問題ないけど」
元から目隠しのまま生活することは想定していたし、俺の
────そうして遂に、犬秋家の奇妙な夕食が始まった。
「えっと、じゃあ────いただきます」
おもむろにフォークを手に取る人山。
それからテーブル全体を見回していた。
ちなみに、食卓の上に並んでいる品々は俺が食べるものがほとんどである。
白米すら口にしたことがない人山の食生活では、あまり多くのメニューに舌鼓を打つのは骨が折れるだろう(舌に骨はないけれど)という話になったので、今回は献立の数を絞っている。おかずを絞っている。
もっとも、おかず以外の量も少なめにしてあるのだが────ともかく、テーブルの上には茶碗に盛られた白飯と、サラダ代わりの塩
人山がハンバーグにフォークを刺した。湯気が立ち上るそれを冷ますために、息を吹く彼女。しめて数回。頃合いを見計らって、遂にハンバーグは口元に運ばれた。
粛然とした空気。
黙食。
部屋中に立ち込める静けさ。
俺の意識も張り詰める。
とてもハンバーグを食べるだけとは思えない──その重苦しい空気の中、俺は意を決する。
「どうだ? ハンバーグの味は……」
俺は肉を頬張る人山に尋ねた。
「………………」
彼女は答えない。
咀嚼しながら味に集中しているのだろうか?
「おい、どうしたんだよ? まさか……口に合わなかったか?」
よく考えると、初めて食う手料理がハンバーグっていうのは少し挑戦的過ぎたかもしれない。赤子に離乳食をあげるように、もっと段階を踏むべきだったか? どうやら一口目は喉に通して食べ終えたらしい。人山は難しい顔でうつむいていた。
彼女は無言のままで、俺の顔には苦笑いが浮かんでくる。
「おい、人山──」
俺の呼びかけに、やっと人山が反応を示した。
「なんというか……」
歯切れの悪い返答。
何かを言いたげな表情。
彼女は首を傾げながら言葉を繋げた。
「思い返したらさ────今まで同じものしか食べたことなかったから」
「これが美味しいのか……よくわかんない」
「んな………………」
料理の結果は、あんまりなオチだった。
ここで俺がコントみたく椅子からずり落ちれば、多少は場をなごませられるだろうか? …………いや、茶化せる雰囲気ではない。平常心で対応すべきだろう。
俺がそんなことを考えていると、人山が沈黙を破る。
「そもそもさ、人間ってどういう風に味を感じ分けるのかな?」
「は?」
「いや────わたしの
突然の話の脱線に俺は困惑した。
人山の意図が読めず、言葉に詰まる。
「なんの話だよ、それ」
それでも俺は彼女に質問を返そうと試みた。
しかし。
「ごめんごめん! 今の話は忘れて!」
俺の台詞が遮られる。
人山は両手を合わせながら、焦るようにそう言った。
「? 忘れろと言われても。なんで急に
「…………………………」
「おい、どうして黙るんだ?」
なんだろう。
よくわからないが、忘れろと言われたのだから大人しく忘れるべきか。
「まあ──深い追求はしないでおくぜ。今はただ料理人として、お前の正直な感想が聞きたいだけなんだからな!」
俺は明るい調子で続ける。
「せっかく俺達二人で作った夕飯だぜ。くだらねえ
「………………」
無理矢理ハイテンションになった俺を不審に思っているらしく、彼女は目を細めて俺を睨んでいる。
そして。
「…………はあ」
人山は大きな溜息をついた。
「だーかーらー、今まで変なものしか食べたことないからワ・カ・ン・ナ・イ! これが美味しいのかもわかんないし、これがわたしの好みなのかどうかも、この食感をどういう思いで受け止めたらいいのかもわかんないの! 点数なんてつけられないよ!」
駄々をこねるように叫ぶ人山。
「じゃあ。その今まで食べてきた変なものと、ハンバーグ。どっちの方が好き?」
俺がそう尋ねると、なぜか人山は恥ずかしそうに答える。
「そ、そんなこと聞かれても…………一概に言えないよ」
「なんだよ、一概に言えないって。好きなゲーム聞いても好きな食べ物聞いても回答を濁すじゃねーか。なんですか? 事なかれ主義ですか? そんなに深く考えなくても、自分の好みなんて適当な感覚で決めりゃいいんだよ」
「…………………………そんなこと言われても、やっぱりわかんないよ」
「お前、まだ言うか。別に遠慮することねーよ。ハンバーグが
「ぞくあくにん? なにそれ?」
「最低の俗悪人。俺の二つ名だ」
「意味わかんないんだけど……」
「…………」
そこは今議論することじゃない。
俺は恥じらいを誤魔化すように咳払いをした。
「────とにかく! 俺はお前のハッキリとした意見が聞きたいんだ」
「だから何度も言ってるけど…………わかんないものはわかんないよ…………ただ」
「ただ?」
俺のおうむ返しにそっぽを向いてから、人山は答える。
「温かい食べ物を口に入れたのは初めてだから…………なんというか、不思議な感じがする」
それは。
新鮮で────鮮烈な感想だった。
今更ながら、彼女の食生活がいかに異常だったのかを思い知る。
「もういっかい食べてみる」
また一口、ハンバーグを頬張る人山。
そのぎこちないフォークの持ち方を見て、心の中に奇妙な感覚が湧いた。
これは
いや、違う。これは────
「犬秋」
「ん?」
人山は俺に顔を向ける。
「誰かが料理を作ってくれるのはさ、やっぱり嬉しいことなの?」
人山は照れ笑いを浮かべながら尋ねてきた。
その質問に一瞬、対応が遅れる。
理由は単純だった。
あの人──母親が死んで以来、手料理は自分のものしか食べていないからである。
加えて、研究機関でまともな手料理を食べたことすらない人山は、俺よりも酷い身の上なのだから。
俺よりも。
悲しいだろうから。
「いや、どうだろうな。三年前に母親が死んだ今じゃ、個人的には嬉しさよりもありがたさが勝っちまうかな」
俺は軽い調子で答えた。
「あ、えっと……ごめん」
人山は慌てた様子で謝る。
「気にするな。血も繋がってない母親だし、あれはロクな奴じゃなかったんだ。自分でも驚くほど寂しさは感じないんだよ」
「──────」
ロクな奴じゃないと言う割には笑顔で語るんだね────とは、流石に人山は言ってこなかった。複雑そうに沈黙している。
「それに人山」
俺は気丈に振る舞う。
場を
「料理ってのは『作ってくれて嬉しい』じゃなくて『一緒に食べて楽しい』だと思うぜ」
それから俺達は、徐々に重苦しい空気を変えながら世間話────主にゲーム関連の話を
作ってくれて嬉しいじゃなくて。
一緒に食べて楽しい。
人山にはあんなことを言ってしまったけれど。今日、人山と料理を作っていたあの瞬間のことも考慮するならば、それは誤魔化しようのない嘘だった。
二人で台所に立っていたあの時だって、確かに楽しくて。嬉しかったのだから。
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