③ タナガミ七区という街



   ▼▼



 ────世界には、特異な存在があふれている。


 戦火の内で国を救った英雄。

 悪魔とすら呼ばれた猟奇人。

 神のお告げを受け取る巫女。

 吸血鬼として生きた不死者。

 人間の心中を見透す現人神あらひとがみ

 妖怪として恐れられた死霊。

 他人の為に生き抜いた聖人。

 己の為だけにがる極悪人。

 誰も傷つけなかった被害者。

 誰をも傷つけ続けた加害者。

 生きることをいられた人。

 死ぬことを強いられた赤子。

 不治の疾患に倒れた病床者。

 不意による不幸を振るう者。

 孤独のまま生き続けた人間。

 独善しか持たなかった人外。


 この世界には、異様な人間があふれていた。

 異様なほどに、ありふれていた。

 そしてその《異様》が──真の意味でであり、であると結論づけられたのは、ごく最近のことである。



 百年前とは違って、現代では乳児の段階で強制能力者スキルホルダーは選別される。

 方法は血液検査。

 いわく強制能力者スキルホルダー非強制者ノンホルダーには、血液の持つ抗体に違いがあるらしい。


 もっとも、Rhがプラスだとかマイナスだとか、血液型がどうとか、そういったものとは関係がないらしく、なので別に超能力者の血を輸血しても非強制者ノンホルダーが超能力者になることはないし、その逆も同じである。

 一昔前は、そうした輸血に関する問題提起こそあったようだけれど、今では当たり前のものとして定着している。受け入れられている。


 それもそのはず、強制能力者スキルホルダーは基本的に街から──タナガミ七区から出ることができないのだから、一般人には何も関係ない。

 差別すら必要としない。

 とはいえ、それは表面化していないだけに過ぎないのだが、しかし表面化しないということは──表沙汰にならないということは、平穏の十分条件なのだった。


 化け物じみた超能力者も──知らない人ならただの人。

 正気の沙汰は、対岸の火事でしかない。

 さながら異国の出来事のように。


 強制能力スキルという異能すら個性として、異常という病害すら体質として、自然災害という脅威すら通例として、だと受け入れられる世界。


 裸の少女すら普通だと思ってしまう世界。それが異常なことだと理解していながら、常識が危機感を相殺する。

 ただ、こうした考えに至るのは、決して俺のせいではない。俺が最低の俗悪人だからというわけではなく、棚上たながみ学園という環境がそうさせているのだと俺は主張したい。



 端的に言ってしまえば、棚上たながみ学園は教育機関である他に、医療機関としての側面も持っている。能力検診や能力指導シラバスは医療行為の一環でもあった。

 俺や人山のような、強制されたスキルに振り回される人間が、なんとか自分の体質スキルを制御できるようにするためのプログラム。『不都合しばり』を『拡張性ちから』へと転じさせる取り組み。


 だから俺は、人山のようなあまりにも異常過ぎる異常──強制的な暴走スキルを治すためにこの学園にやってくる人間がいることを、割とすんなり受け入れた。受け入れてしまった。


 人類に強制能力スキルを取得させる異常。

 ある時は多大なる才能を、あるいは甚大なる被害を、有史以来から人類に与え続けてきた自然現象は、そうしてこの世界に居場所を与えられている。


 自分の意思も関係なく、勝手に選ばれてしまっても、特別に選ばれてしまっても、それでも、居場所があることを喜ぶしかない。

 体が変わったところで、心までは汚されない。

 そう、思っていた。


 でもそれは──自己中心的な考えに過ぎなかった。自分の姿しか見えていない愚か者の主義。

 心が変わるということ。

 その事実を、俺は知る。



   ▼▼



 裸の少女の付添人を任された俺は、一人でどこかへ進んでいく人山を追いかけていた。


「オイオイ、なに学校から出ようとしてるんだよ……!」


 静止の声を一切無視して、彼女は裸足はだしのまま歩いていく。その迷いのない足取りから確固たる目的地があるように思えたが、それが果たしてどこなのか人山は答えてくれない。


 彼女は校舎から出たかと思えば、そのまま真っ直ぐ校門へと向かった。すると校門を出たところで急に立ち止まって、周囲をきょろきょろと見回している。


「あ、あのさ……人山さん。非常に聞きにくいんだけど、その格好で学校の外に出ても大丈夫なの……?」


 彼女の(マントで隠れた)背後から、俺は周りにびくびくしながら言った。

 学園を囲んでいるのは静かな住宅街ではあるものの、道路沿いには外食の店やコンビニエンスストアがいくつか立ち並んでいる。真横に棚上たながみ学園があるという道としてのわかりやすさのためか、昼でも人通りは多い。


 周りから見たら俺達はどう映るのだろうかと気になってしまうが、軽く観察してみた限りでは通行人の影は見当たらなかったので、ひとまず安心する。


「どうだろう。普通に考えれば通報されるのかな」

 道路の遠方を眺めながら、彼女は笑うような声で暢気のんきにつぶやいた。


「それにしても──遠くからじゃ本当に見えないものなんだね」

「見えないって、何が?」

「検問の壁」

「……もしかして、見たことないの?」

「うん。外に出るのは初めてだから」


 研究機関の中で暮らしてきたというのはどうやら事実らしい。まあ、これだけの情報で信じられることではないが。それにあの壁は光学迷彩によって透明化されているのだから、十五年も生きていながらあの壁を見たことがないという高校生だって、存在しないとは言い切れない。


 検問の壁。


 この街──タナガミ七区を覆う『国境線』は、そんな風に呼ばれている。

 ただ、この場合の『国境線』というのは、もののたとえでしかなく、実際その壁の役目は『塀』である。


 強制能力者スキルホルダーを擁するための行政区画「タナガミ七区」。


 神戸市、西宮市、宝塚市、芦屋市、三田市、尼崎市、伊丹市──を越境合併して作られた、区域面積1200平方キロメートルの新設都市は、リゾート施設や高級住宅街など、県の周知と発展を目的として計画された。



 しかし現実では────強制能力者スキルホルダーの管理社会としての役割が強い。



 ありていな言い方をすれば、だ。


 このタナガミ七区という街は、つまり強制能力者スキルホルダーをひとところに集めて管理、および隔離するためにもうけられたものだった。


 ディストピア、とか。

 ちまたではそうして揶揄する人もいるらしい。


 だけど、この街に住んでいる俺に言わせてみれば、ここがまるで楽園のような──文句のつけようがない街だということはわかりきっている。

 外の世界だと一億円を超えるような一軒家が、この街では一千万円を切るし、一部屋4LDKの学生寮は無償で住めるのだ。

 コンビニは気持ち悪いぐらい乱立していて、バスや電車といった公共交通機関がタダで乗れるのもイカしてる。


 それからショッピングモール、博物館、水族館、劇場、競馬場、エトセトラ……諸々のアミューズメントパークが充実! もっとも、二十歳じゃないと馬券は買えないので、競馬場には行ったことがないけれど。


 そういえば、住民は個人所得税が免責されて、その他の法人税や消費税なども大幅な引き下げがなされていることは特筆すべきかもしれない。とは言いつつも、経済的な話についてはあまり詳しく把握していなかった。

 コンビニで駄菓子を買う際なんかは、高いのか安いのかもわからない2パーセントの消費税を漫然と払っている。


 …………改めて振り返ってみると、区域の外に出ることが基本的に許されないというデメリットに対して、ただ「家がそこそこ広い」という一点だけしかまともなメリットがないようにも思えてきた。


 ただ──この街にはなによりも書籍の充実した本屋がある。

 しかも!

 昨今では紙の本よりも一日早く配信されることが多くなってきた電子書籍──よりもなお先んじて、ラノベや漫画の単行本をフラゲできるという素晴らしい利点! 至高の優越感! これに関してはタナガミ七区でしか味わえないこと請け合いである。


 それにたとえ海に行けなくても、代わりに屋外プールに行けるし、遊園地がなくても公園はあるので、ここで生まれた子供達は、外の世界とのギャップなぞどこ吹く風でこの街に適応しているのだ。


 外の世界を知らないまま、見えない壁に囲われていても。


 ディストピアだとか、牢獄だとか、そんな実感を持つ住人はあまりいないと思う。けど、この街を出ていく非強制者ノンホルダーは定期的に見受けられるので、そこから「あまり」という修飾を外すことはできないが。


 それに────この街から出るわけでもなく、この街から姿を消すというパターンも存在するのだから、そう簡単に括って語れるものでもないか。牢獄という形容に違わず、現に投獄されている強制能力者スキルホルダーの多さは数知れない。

 ある種、タナガミ七区が管理社会の色を濃く持っていることは──否定のしようがなかった。



 ────でも、だとしたら。

 そんな檻のような街の中の──更に一層深いスケールで過ごしてきた彼女は、一体何者なのだろうか。


 研究機関で十五年間を過ごしてきた人間。

 人山梢。

 裸の少女。

 服を着ることができないというスキル。

 喜色満面の転校生。


 あまり楽しい話が望める予感はしないが、それでも俺は聞かなければならないと思った。覚悟を決めて、付添人は転校生と向き合ってみることにする。


「このよくわからない状況に関して、そろそろ詳しい事情を教えてくれないか? 先生から聞いた説明だけじゃ、概要がさっぱり掴めないんだけど」


 俺がそう訊ねると、歩道に立ち尽くしている人山はあっけらかんとした口調で、


「まあ、その話はいいでしょ」

 と、取り付く島もない返事をするだけだった。


「それより犬秋ちゃん、この学校から検問の壁までの距離は、どれくらいあるの?」

「それよりって……」

「いいから教えてよ」


 人山はねたように言う。

 質問に質問で返すとはまさにこのことだったが、どうやら答えないと話が進まないようだったので、仕方なく俺は答えた。


「最短距離でも五十分ぐらいは歩くかな」

「うーん……五十分かー。じゃあ行かなくていいや」


 わざわざ校舎の外にまで出てきたのに、もう壁に対する興味は失せたらしく、残念そうなつぶやきを漏らした人山はきびすを返して校舎の中に戻っていく。

 俺はその後ろを追いかけた。


「壁に行って、何をやろうとしてたんだ?」

「いやあ、特に大した用事はないよ。観光気分っていうか、興味本位っていうか、ただの好奇心。ほら、わたしが触れたら壊れるのか試してみたかっただけ」

「は……はあ? 壊れるって……検問の壁が?」


 何を言ってるんだこいつは。


「あんたの能力は『服を着ることができない』というものなんじゃなかったのか?」

「あんたって言わないでよ……愛がない呼び方だなあ。それはともかく、わたしだって本気で検問の壁を壊せると思ってたわけじゃないよ? 言ったでしょ、興味本位だって。だから換言すると、わたしの強制能力スキルはそれぐらいのことが出来てもおかしくないってこと。犬秋ちゃんだって、研究所で監禁されてる能力者なんて聞いたことないんじゃない?」

「それは……そうだけど」


 棚上たながみ学園では能力指導シラバスという科目においてスキルの研究が行われているので、元より学園自体が巨大な研究機関の様相を呈している。


 それだけにこの超能力者の街であるタナガミ七区でも、研究施設の数そのものはかなり限られているし、その限られた施設にしたって、小さな研究所がいくつかある程度だ。そこで幼い少女を閉じ込めて研究しているという話題は、この超常現象が溢れかえる街でも現実味がない。


 研究が必要なら、棚上たながみ学園に通えばいいのだ。

 もっとも、だからこそ彼女はこうして学園にやってきたということなのかもしれないが。


「じゃあ、その『服を着ることができない』ってスキルに、一体どれほど重要な実情があるっていうんだ?」

「それはわからない」

「…………?」

「研究所の所長が『この強制能力スキルを調査する』って決めたから、その鶴の一声に従ってるだけらしいよ。世界って単純だよね。結局は縦の繋がりと感情論で回ってるだけなんだからさ。でも、そんな所長の目もやっぱり慧眼けいがんだったのかな、ちゃんと異常な能力者をあぶり出してるし」

「あ……あのさ。スキルの話もいいんだけど、それよりも俺は何をすればいいのか、いい加減教えてくれないか……?」


「ああ、それなら大丈夫だよ。犬秋ちゃんはなにもしなくていいから」


「え?」


 すると彼女は立ち止まって、くるりとこちらを向く。

 俺が彼女の裸から目を背けると、


「ここまでわたしに付き合わせて悪かったね、ありがとう! 犬秋ちゃんはもう教室に戻って。ちょっと遅いかもしれないけど、まだ授業は始まったばっかりだから行ったほうがいいよ」


 優しい声色で、人山はそんなことを言った。

 俺はここで彼女の指示通りに授業を受けることもできたけれど、しかし今のままでは何も納得がいかなかった。

 授業中の静かな校舎内。二人きりの廊下。


「待ってくれよ。委員長として何かできることがあるのなら、俺は引き受けるぜ? 先生に仲良くしろって言われたからな。すごすごと引き下がるわけにはいかないよ」


「うん。!」


「は…………いや、え?」







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