仙人、人の世に。

カマキリキリ

第1話 始まり

 人間の国、その領土にあるとある山の中、静かに坐禅を組む男がいた。

 何年も手入れをしていないのか、髪や髭は伸びきっている。体にも苔のようなものが生えていた。

 木漏れ日が彼を照らし、肩には小鳥が止まり、囀る。


「成ったな。」


 ゆっくりと瞳を空け、男は呟いた。男は小鳥に手をやると軽く撫でる。男の暖かい手に小鳥は身を任せる。

 男はゆっくりと立ち上がると、小鳥はどこかに飛んでいってしまう。

 少し寂しさを覚えながらも、その男、エルダーは昔の記憶を頼りに山をおりるのだった。




「くっ!こんなところで...うわっ!」


 山の中、何かから逃げていた少女は木の根に躓いて転んでしまう。その拍子に少女の足は怪我を負ってしまう。これでは逃げられない。


「グルルル...。」


 体長が2m程はある獣、二足歩行に鋭い牙と爪、灰色の毛並みと赤い瞳が少女を捉えている。少女はピクニック気分でこの山に来たことを後悔している。


 少女は気分転換に両親、そして使用人の目を盗んでこの山に来た。そこでまさか魔物に出会うとは思ってもみなかった。


「ああ、もう死んでしまうのね。」


 足はもう動かない。少女は諦めたようにその場に座り込んだままだった。

 今思えばなんて馬鹿なことをしたのだろうと思う。ただ単に今の生活が少しだけ、ほんの少しだけ退屈だと思っただけだった。

 それが幸せだと知らずに少女は最後に瞳を閉じるのだった。


「やっと人に出会えた。君、道を教えてくれないか?」


 そんな少女の耳にいきなり男の声が聞こえる。目を開け、声の方向を見ると、髪や髭が伸びきった汚い男がいた。


「そんな...あれが見えないの!?」


 妙に落ち着いている男に戸惑いながら少女は魔物を指さした。


「ああ、あれか。熊みたいなやつだが...問題あるのか?」


「!?危ない!!.........え?」


 男の後ろから熊の魔物が鋭い爪を振り下ろす。丸腰の男には防ぐ術は無い。そう思っていたのだが、男の体は傷つかず、むしろ魔物の爪が折れるのだった。


 熊の魔物は自分の爪が折れたことに驚き、男と距離をとる。魔物は自分がとった行動に戸惑う。なぜ目の前の人間から距離を取ったのか理解出来ていないのだ。


「そうだな。あれは強いのか?」


 驚きのあまり少女は声が出せなかった。男の問いに少女が頷くと男は魔物の方を向いた。すると次の瞬間、男は魔物の心臓を右手で貫くのだった。


「...脆いな。これじゃあ実力がわからん。」


 少し拍子抜けしたが男は手を引き抜くと腕に着いた血を振り払うのだった。


「さて、君道案内を頼めるか?出来れば人がいる街か国がいいんだけど。」


「......はい。」


「俺はエルダー。君は?」


「私は......ノルダ...です...。」


 何が起きたか分からないが自分の命がエルダーと名乗る男に命を救われたのは確かだ。ノルダは怯えながらも名前を教え、エルダーの言うことを聞くことにした。


「足を怪我してるのか?うーん、仕方ない。あれももったいないしな。」


 エルダーはそう言って魔物の頭を掴むと引き摺って少女の前に来る。片手で少女を担ぐと少女の顔を覗いた。

 少女は何が何だか分からなかったが、自身の家の方角を指さす。エルダーはその指示に従い、歩みを進めるのだった。




 しばらく歩くと大きな屋敷のようなものが見えた。家は門で囲われている。中には多くの人間の気配がした。


「お嬢様!...お前は何やつ!」


 家の方から執事のような老人の男性が駆けつけ、エルダーに剣を向けた。お嬢様とはノルダのことだろう。


「いや、俺は賊じゃない。通りすがりの男さ。街を教えてくれればすぐ去る。」


「違うの、ヘルド。彼は山で魔物を倒してくれたの。」


 ヘルドと呼ばれた執事はエルダーが引き摺ってきた魔物に目をやる。


「それは...グレイベアだと!?これは旦那様に報告しなければ!!」


 慌てたようにヘルドは家の中に戻っていく。ノルダは何か言いたそうだったが、エルダーに目を向ける。


「お礼がしたいです。すぐに去らずに私のお父様と会ってくださいませんか?」


「ああ、今のこの国の状況も知りたいしな。少し話していこう。」


「...その魔物はここに置いておいてください。後で処理しておきます。」


「?そうか。」


 ノルダの少し疲れたような顔に疑問を持ちながらもエルダーはグレイベアを置き、先に進むのだった。




「すまなかったね。うちの娘が君に世話になったようだ。」


 家の中に入ると多くのメイドや執事が集まり、エルダーからノルダを引き剥がした。

 ノルダが事情を説明すると、エルダーは丁重にもてなされた。まずは風呂、匂いも見た目も酷かったのでノルダのメイドたちが手伝いながら身なりを整えさせた。


 今ではすっかり、髭もなくなり、髪もさっぱりとした。スッキリとした好青年といった印象を与える。


 そこまで終わると、エルダーはノルダの父、サイラスの部屋に呼ばれたのだった。高価そうなソファにサイラス、ノルダが座り、後ろにはヘルドが立っていた。

 サイラスの前にエルダーは座る。


「申し遅れた。私はサイラス・メンダート。よろしく頼む。」


「ああ、俺はエルダーだ。よろしく。」


 2人は挨拶を交わすと握手する。お互いに敵意がないことを知ると、サイラスが話を続ける。


「こう見えても私は伯爵でね。何かお礼がしたいのだが...。」


「何分、この世界について知らないものでな。1週間の滞在、人間の国やエルフドワーフ、獣人の現在、そして出来たら仕事の斡旋があったら助かる。」


 意外にがめつく来たことに少々驚きながらも、娘の命の恩人を無下にはできない。

 サイラスは承諾するとすぐさま行動に移してくれる。

 エルダーはノルダについている専属教師から世界のことを聞いた。


 この世界には人間、エルフ、ドワーフ、獣人の4つの種族がいる。エルフは魔法に長け、ドワーフは力と生命力、獣人は身体能力、人間はその3種族の特性を少しづつ使える器用貧乏といった種族だ。

 他に比べて特性が弱い分、数が圧倒的に多い。種族の違いからお互いに戦争を行っていた。それが500年前の種族間戦争だ。

 そんなある日、世界に異質な空間が現れる。禍々しい色をして世界にひび割れたような形の何かが生まれた。

 そこから魔族と言われる新たな種族が現れた。魔族はまさに人間の上位互換のような存在だった。力は強大で瞬く間に世界を侵略して行った。


 強力な魔族の出現に各種族でいがみ合う暇はなくなり、戦争は一時休戦、疑心暗鬼になりながらも協力関係を築き上げ、全ての人を人類として括り、魔族の侵略からこの世界を守っていた。

 魔族はさらに知能の低い魔物を従えながら攻めてきたが、各国に現れた勇者という存在により、人類側が優勢になる。


 魔族の侵攻を何とか退けた人類、その間の長い協力関係が人類の溝を緩和した。今ではどの種族も表立って争いを行わない。

 強力な魔族も北西の1部を侵略したのみで被害を留めている。今でも魔族は人類を支配しようと考えており、その恐怖からどの国も戦争しなくなったのだ。

 ここはガリアーナ王国という人間の国で勇者を所有している。人間の国は魔族の国と領土が隣合っている。危険もあるが、勇者や冒険者と呼ばれる力自慢のものたちによって領土を維持しているらしい。


「なるほどなぁ。随分と...変わったなぁ。」


 エルダーは少し昔のことを思い出す。どうやら彼の願いは叶ったらしい。新たな脅威が生まれたことによって。


 それから、地図を見せてもらったり、お金について教えてもらったりとこの世界の常識を教わった。

 あとは仕事の斡旋なのだが...こちらがなかなか難航していた。エルダーには如何せん知識がない。子供でも知っているような常識を聞き、身元の証明もできない。そんな彼を雇うものなどいないのだ。

 そんな状態が3日も続いた時だった。今日もいつも通り、エルダーは専属教師から様々なことを教わり、食事も終わらせて就寝するだけになった。エルダーがベットの上で横になると天井裏から何やら気配がした。


「あれ?誰か来た?」


 エルダーがつぶやくと天井を突き破り、黒ずくめの男が剣を突き刺そうとした。エルダーは剣先を指で摘むと敵の持つ剣の柄を深く敵のみぞおちに突き刺した。

 敵の肺から空気が抜ける。エルダーは寝たまま足を伸ばし、敵の顔を蹴りつけた。壁に衝突した敵は意識が消える。


「あとは、9人ってとこか。」


 エルダーは気配から敵の位置を察知する。どうやらサイラス達を狙った犯行らしい。お世話にもなっているしここは助けるべきだと判断する。

 目を閉じ、感覚を広げる。見えないはずなのに敵の姿、息遣い、動きが鮮明に伝わってくる。次の瞬間、9箇所地面や壁を掌底で撃ち抜く。

 砕けた壁や地面の石が、賊の頭を撃ち抜いたのだった。ただどうやら1人は今の攻撃を防いだようだが。




「くっ!魔法か!?」


 黒い装束に包まれたライは突如飛んできた石の礫を何とか防いだ。今回の襲撃では自分が一番の実力者だ。だからこそ、今の攻撃で仲間が全員やられたのがわかる。

 ならば時間をかけていられない。すぐさまサイラスを殺さなければいけない。


「死ね。」


 右手に持つ毒付きのナイフを構え、サイラスに迫った。


「まあ待てよ。」


 右腕を掴まれた感触、ライは一瞬で理解する。こいつが先程の攻撃をしてきたのだと。

 すぐさま掴まれた右腕を振り払おうとしたがピクリともしない。空いている左手でエルダーを殴ろうとした。しかしそれより先にエルダーの手刀がライの意識を奪ったのだった。ライはその場に力なく倒れた。


「ま、まさか私まで命を救われるとはな。」


 安堵に驚嘆、サイラスは近くの椅子に座る。命があって喜んではいるのだろう。しかし、離れた部屋から一瞬でここまで来たエルダーに恐怖すら覚える。

 彼なら自分たちを殺すことなど容易いだろう。ではもし、今回襲ってきた奴らに目をつけられ雇われたら?

 だが今なら引き込める。それにまだまだ不安もある。


「ありがとう、エルダー。そして君に仕事を与えよう。

 ノルダと一緒にガリアーナ王立養成学院に向かって欲しい。彼女の護衛として。」


 山から降りてきたエルダーは徐々に世界へと干渉していくのだった。

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