第三話
食事をとれる場所をリクエストすると、私を質の悪いナンパから助けてくれたぶっきらぼうだけど優しそうな人は、露骨に嫌な顔をしつつも先導をしてくれた。
視界の端に宮内さんが見えた。彼はさりげなく周りに気を配っていたが、街の風景からは全く浮いていなくて、流石は我が家の執事といった所だ。
上沢界隈のメインストリートを駅前から北上していく。私の半歩先を行く人はこの界隈で顔が知られているのか、時折「チトさん」と声をかけられていた。中には後ろ手に組んで頭を下げる人もいて、ナンパを容赦なく殴り飛ばしていたのも含めて考えると、番長とかそういう感じの立ち位置だったりするのだろうか。
彼女は背の高い私にも負けないくらい背が高くて、質のいいテーラードジャケットを崩して着ているのが良く似合う、切れ長の目を持つ麗人だった。ただ、ショートとミディアムの間で恐らく適当に放置されている髪が痛んでいるのが玉に瑕。
「暗いところにはいくなよ」
「わかりました」
チトさんが通りに面した地下への階段へと顔を向けながら二度目の忠告を私にする。案内の最初の方でも言われたけど、もう一度言うということは本当に危なかったりするのだろう。家に帰ってからこの辺りで起きた事件を調べてみるのもいいかもしれない。
そして、しばらく通りを北上したところでチトさんが足を止めて、右手側、つまりは東側へと入っていく路地に体を向ける。日もかなり落ちていて、路地は嫌な薄暗さがある。
「これくらいなら、まあいいか」
『そこまで子ども扱いしなくていい』という言葉を飲み込む。夜歩きなんて初めてだし、宮内さんが付かず離れずの位置にいるとはいえ一人で繁華街に来る経験もない。歩きなれている人に従った方が賢明だろう。先人には倣うべきだ。
路地に入ってしばらく歩き、チトさんが言っていた意味が分かる。電灯は確かにあるが、その陰になる路地はかなり暗い。ビルや建屋の間には日の光も入ってこず、そこから何が出てくるかがわからない。
「ああそうだ、メインの隣に同じような道があるけど、こっちはいいけど、向こう側の道はあんまり良くない」
「良くない?」
「治安が悪い。さっきのナンパみたいなのが多いし、警察もよく歩いてる」
メインストリートと平行に挟むように通りが二本あって、その西側の方は危ないと。ところで、その口ぶりだと警察がいるのはあまり歓迎していないのだろうか。
「昼に行ってもやっぱり危ないですか?」
おっと?自分でもあまり良くないと自覚しているのに、変に反抗的な質問を投げかけてしまった。
案の定、チトさんはめんどくさそうにため息をつき、何も言わずに目的地らしい建物へと目を向ける。そこは、アルト館と名前の付いたテナントビルだった。
真っ先に目が付くのは外から直接三階へと行ける階段と、建物の中に広がる中庭のような空間だった。中庭といっても、そこは上から見たら歪な蹄鉄型をした建物の中空の広場で、中央には六角柱のテナント案内とベンチが置いてあるだけだった。吹き抜けそのものはガラスの天井が覆いかぶさっているらしく、まるで小規模な商店街かショッピングモールのようだった。
「おい」
「はーい」
彼女に催促されて外から直接三階へと向かえる階段を登っていく。入っているテナントはかなり雑多。地上階にはもはや見慣れた古着屋、カードゲームショップ、スナック、学習塾がひとまず目についた。階段を上り切って、中の吹き抜けから下を見下ろすと、二階には占いの店と猫カフェに挟まれた焼肉屋があって、その奇妙な取り合わせにクスッとしてしまう。
階段を上り切ったところから廊下をちょっと歩いて、MYLIFEと看板が出ている店へとチトさんが入っていく。中はカウンターといくつかのテーブルがあって、奥へと行くほどに広くなっていく直角三角形のような店内は間接照明で淡く照らし上げれていた。
「いらっしゃい、チトさん。今日は早いね。そっちの方は?」
「別にいいだろ」
若い、30過ぎくらいの髭がチャームポイントな店主らしき人がチトさんに声をかける。カウンターに両手を置いてこちらに笑顔を向けてくる店主の背後には様々な種類の酒瓶が置かれていて、中には手書きの名前の書かれたラベルが貼ってあるのもあった。
「お邪魔します」
「これはご丁寧に」
店主さんに軽く目礼をすると、彼はわざわざ頭を下げてくる。すると、チトさんはそんなやり取りをぶった切るがごとく、注文を付け始める。
「私は適当にパスタ。お前は?」
「何がありますか?」
「今日のおすすめはカルパッチョだよ。いいタコが入ったんだ」
「ならそれと、彼女と同じパスタでお願いします」
「よし来た」
気のいい店主はそういってカウンターの中でそのまま調理を始め、チトさんは私を先導するように一番奥のテーブル席へと歩いていく。そして向かい合って座ると、チトさんはこちらをじっと見つめてきた。
どういう会話をしようかと少し考えてから、普通に行こうと口を開く。
「ここまでありがとうございます。あなたのお名前は?」
頭を下げた私の質問に、チトさんは面倒くさそうと呆れたの半分半分の顔をして、手に顎を乗せてぶっきらぼうに口を開く。
「チトってわかってんだろ」
「チトさんですね」
「そっちは?そっちの名前」
しまった。何も考えてなかった。
本名ははっきり言ってあまり名乗りたくはない。
私の場合名前を検索したらいくつかの記事がヒットしてしまう。そうなると家に迷惑がかかるかもしれない。過剰なリテラシーかもしれないけれど、ここは適当な名前でごまかしてしまった方がいいかも。
「アキです」
「……そう」
ふん、と小さく鼻を鳴らすチトさん。彼女に偽名を名乗ってから、すぐに後悔する。素直に下の名前だけとか、チトさんみたいにあだ名を使えばよかった。しかし、後悔は先に立たず、微妙な空気がテーブルの上に揺蕩う。
適当な話題でも振ろうかと考えて、どういう話題がいいのかと迷ってしまう。個人的なことを聞くにはまだ出会ったばかり過ぎるし、共通の話題は現状この町に関することしかない。
「タメ口でいい」
話題に困っていると彼女がぶっきらぼうに簡単な話題を振ってくれる。
「ありがとう」
「どういたしまして」
お礼を言えば、彼女はちらりと店主の方を見た。素直な人ではなさそうだ。
「普段は上沢界隈のどこで遊んでたりするの?」
「……まあ色々。誘われたら大体付き合うし」
「おすすめの場所とかある?」
私が具体的な部分を聞くとチトさんは首をひねって考え始める。そして、ややあって、こちらを見る。
「最近できた色々物を投げれるとこは面白かったな」
「色々物を投げれる?」
「まあ基本はダーツするところなんだが、なぜか斧とか簡単なナイフを投げれる場所があるんだよ。これがなかなか難しくてな、重いから狙いがぶれるんだ」
なんとまあ、珍しい店がある物だ。とはいえ、話を聞いてみると実際に私も斧を投げてみたくなる。どういう斧なのか全く想像がついていないが、目の前のチトさんが小さい笑顔で語っているのを見ると、きっと楽しいのだろう。
「行ってみたいな」
「今度行ってみればいいさ」
一瞬、『連れて行ってよ』と言いかけたが、そこまで付き合わせるのも悪い。またの機会に場所を調べて一人で行ってみよう。
「ほかにもおすすめスポットあったりする?」
「うーん……、まあ古着屋巡りと食べ歩きがいいんじゃないか?この界隈に来るほとんどの奴はそれが目当てだしな」
「なるほど」
「いや、言い過ぎか。あとは音楽関係とかもあるな。でもまあ、ライブハウスは慣れるまでやめとけ」
SNS映えとかなんとかでたまに写真が回ってくるような飲食店がこの辺りにあるのはなんとなく知っている。ハッシュタグに上沢界隈とタグ付けされていた覚えがある。
ライブハウスに関しては詳しくはないけれど、先ほど口酸っぱく気をつけろと言われているので、この部分はしっかりと心に刻んでおこう。
そう考えてライブハウスへの警戒度を上げていると、「あ」とチトさんが声を上げる。
「チケットの押し売りとかもあるからな。気をつけろよ。変なチケット買わされるぞ」
「変なチケット……?」
「へったくそな芸人のへったくそな漫才とかな。むしろ笑えたりするけど」
ライブハウスに漫才?首をかしげる。
ややあって、先ほど言っていた小劇場の方か、と思い至る。それはそれでむしろ気になるな。
そんなこんなで言葉のラリーが続いて、この辺りのことを聞かせてもらっていると、カウンターの方から店主さんがお盆片手に歩いてくる。
「ほれ、ミートソース二つとカルパッチョ。チトさんにはいつもの1.5倍盛り」
私たちの前に店主さんの言った通りのものが置かれ、ついでに水の入ったコップとピッチャーも置かれる。
「ごゆっくり~」
そう言って店主がカウンターへと帰っていき、私は手を合わせる。すると、向かいの箸を手に取っていたチトさんがそれを置いて、私に合わせて合掌する。こういうところは素直な人なのか。
「いただきます」
「……いただきます」
まずはカルパッチョを一口。うーん……そこそこ……かなぁ……うん。新鮮ではあるけど、素材そのものがそこそこの質だな。パスタを一口。うん、普通。可もなく不可もなく。
そう考えながら料理を味わっていると、向かいから含み笑いが聞こえてくる。そこには片方の口角を釣り上げたチトさんがいた。
「すごく普通だろ」
顔に出ていたのかと口元を隠すと、チトさんが鼻を鳴らして楽しそうに笑い、一瞬店主の方を見て、また少し笑う。もしかしてこの方、割といい性格をしている?
「でもまあ、安いよ」
そういってチトさんは自分の目の前にあるパスタをお箸で食べ始める。音こそ立てていなかったけれど、初めて箸でパスタを食べる人を見た。
本当にパスタをお箸で食べる人がいるんだな、と思っていると、じっと見られていたことに気が付いたチトさんがこちらに不思議そうな視線をよこしてくる。
「……欲しいの?」
「いや、なんでもない。第一、一緒のものでしょうに」
「そりゃそうだ」
私はフォークで、チトさんはお箸で黙々と食事を勧めていく。途中、水がなくなった彼女のコップに水を入れてあげると、妙に意外そうな表情をして「ありがとう」と言ってきた。何か不思議なことでもあったのだろうか、謎だ。
初対面の人と無言で食事をする。それがこんなにも苦にならない物とは驚きだ。
パーティで初めてだったり数回しか会ったことのない人と会食するのはあんなにも面倒だと感じるのに、チトさんとの食事はむしろ安心感を覚える。これもまた不思議だ。
無言の食事中、何か話を振ろうかとも考えたけど、結局この心地よい無言の時間を消したくなくて、結局何もしゃべらずに食事が終わってしまう。
「ごちそうさまでした」
「……ごちそうさまでした」
私が挨拶をすると、彼女も私に合わせて食後の挨拶をする。そして、少し水を飲みつつ胃を落ち着けちえると、チトさんが財布片手に立ち上がる。もしかして、お金を払いに行くのだろうか。
「私の分は私が払いますよ」
「いい」
「払います」
慌てて立ち上がって自分の財布を出そうとしたけど、先にチトさんが店主さんにお金を出すのが速く、こうなってしまっては奢られる他ないかと財布をポケットの奥に戻す。
そして、立ち上がった手前席に戻るのもなんとなく気恥ずかしく、そのまま店主さんに声をかけた。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「おっ嬉しいねえ。ほら、チトさんも言ってくれよ」
「うるさい。ほら、行くぞ」
店主さんがチトさんに話を振ると、実に面倒くさそうな顔をした彼女。そして、私は彼女に肩を押されて強引に店を出されることになってしまう。扉が閉まる寸前になんとか「また来ます」と店主に声をかけて、店の外へと出る。
チトさんに押されるがまま、廊下を歩いていると、彼女が変な表情をしてこちらの顔をのぞき込んでくる。
「思ってもないことは言わない方がいいぞ」
「いいんです。総合的に考えて美味しかったから」
「ふーん?」
よくわからないと首をかしげるチトさんに続いて階段を下りていく。
でも、本当に最後は美味しいと感じたのだ。確かに料理の味は平凡だったけれど、チトさんと過ごしたその時間はとても穏やかで良いもので、このパスタはそれで特別なものになったんだ。
アルト館感から出ると、少し肌寒い風が頬を撫でて行って、少し乱れた髪を抑える。少し前を歩いていたチトさんが振り返って、スポットライトのような電灯の下でこちらを見てくる。
「今日はもういいだろ?」
「そうだね。うん、満足した」
「そうか」
チトさんがポケットに手を突っ込んで踵を返して歩き始めて、私はそれを追いかける。駅へと向かう帰り道には夜でも人が多くて、その間を二人縫って歩く。彼女の人ごみの隙間を見つける能力が高いのか、随分と歩きやすく感じつつ、彼女の斜め後ろを付いてく。
チトさんはこちらを振り向くことがないのに、まるで私がどの位置にいるのかわかっているような気がする。不思議だ。
「不思議」
「ん?」
チトさんが振り返る。
「なんでもない」
彼女がまた前を向く。
チトさんとまだあって数時間も経っていないのに、不思議だと何度か思った。それもこのたった少しの間で立て続けに思っている気がする。今もなんでこんなことを考えているのが不思議だ。
無言で歩いて行って、もうとっくに古着のバザールがなくなった駅前広場へとたどり着く。たどり着いてしまったとも感じる。
「じゃあな」
「うん。それじゃあ」
私のことを広場まで送り届けたチトさんは、すぐにさよならの挨拶をして立ち去って行こうとする。私が彼女に別れの挨拶と共に手を振ってみると、チトさんはポケットから手を出して振り返してくれる。少しうれしい。
くるりと背を向けて一歩二歩歩いていく大きい背中を見ていると、チトさんがふと足を止めてこちらを見てくる。
「ああそうだ、お前のそのパーカーとズボン、もうちょっと考えな」
「それはどういう意味で?」
「じゃあな」
私の質問には何も答えずに、チトさんは踵を返して夜の上沢界隈へと帰って行ってしまう。呼び止めようにも人が多くて、彼女はすぐに人の海の間へと消えていってしまう。
そして、彼女と入れ違いに宮内さんが海の波間からやってきて私の前に立つ。
私は、彼にチトさんに聞きたかった質問をぶつけることにした。
「宮内さん。私の恰好そんなに変ですかね?」
「変ではありませんが……」
「ああ、そうか。質が明らかにいいのか」
宮内さんが答えを言う前に自分で彼女の言いたかったことに思いいたる。確かにこのパーカーはちょっといい奴で。確か、外商さんにおすすめされたものだったかな。
「私もこういった所に来るとは思っていませんでしたので、考えが甘うございました」
言外に最初から言えと小言を言われる。でも、最初から言ったら反対されると思ったんだよ。
「いいじゃないですか。ちょっとした冒険くらい」
「彼女がいい人だったからいいものを、最初の男の方のような方だった時、危ない目に合うのはお嬢様なのですよ」
「わかってますよ!」
執事からのお小言に降参だと両手を上げる。そんなものは百も承知なのだ。最初のナンパ男には確かにヒヤッとさせられたし、反省もしている。
「さ、家に帰りましょう。そうしましょう」
私の考えが足りなかったのは自覚している。さっさと踵を返して駅へとつま先を向ける。背後から宮内さんが追いかけてくる。そういえば、食事中彼は何処にいたのだろうか、地味に気になる。
そんなことを考えていると、隣に立った彼がこちらに問いかけてくる。
「また来ますか?」
「チトさんにはまた会いたいですね」
「古着を買っておきましょう」
ここで売られている古着を買っておけばうまく街にも溶け込めるだろう。そして、チトさんにまた会うのだ。今日はおごられる形になってしまったけれど、次は私が彼女に何かをおごってあげるのだ。
それに、ここで遊んだとは全く言えない。
斧投げもそうだし、食べ歩きとかもやってみたい。次にここに来ることを考えれば、どうしても足取りは軽くなってしまう。宮内さんより私の足のコンパスの方が長いので、彼がわずかに早歩きになったのを見て、すぐに歩くペースを落とす。
浮かれすぎだな。私。
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