第35話

 意識がゆっくりと覚醒していく。瞼を開けようとするが酷く重い。それに鈍い。


 それでもゆっくりと目を開くと、視界に涙を滲ませた三人の顔が映った。


「……レオン!」


 エリシアが勢いよく抱きついてきた。

 続いてヴェルゼリアもそっと手を重ねるようにして、安堵の表情を浮かべる。


「ここは……?」


「レオン様の家ですわ……無事に目覚めて下さってよかったです」


「このまま起きないかもって、心配したんだからっ!」


「ごめん、心配かけたな……」


 オレはそっとエリシアの頭を撫でる。

 だが、その時になってようやく気づいた。


 ……ノワールの元気がない。

 

 彼女はいつもの余裕たっぷりの笑みもなく、少し離れた場所で肩で息をしながら、静かにオレを見つめていた。

 

 珍しく、どこか、ひどく疲れ果てたような表情で――。


「……ノワール?」


 名前を呼ぶと、彼女は微かに微笑んだ。


「おかえり、レオン。……やっと、戻ってきたわね」

 

 夕日が差し込む薄暗い部屋の中、ノワールの声音は、どこか力なく、疲れ切っていた。窓から見える夕焼けが、彼女の顔に長く影を落としている。

 ノワールは膝をつき、震える手で額を押さえた。


「ノワール!? 大丈夫か??」


「ノワールは……3日間、一睡もしないで力を使い続けていたの」

 

「……!」

 

「私とエリシアは交代で休んでいましたが、ノワールはずっと……」


「そう、だったのか……」


「干渉を止めたら、あんたが戻って来れない。……そんな感じがしたのよ。さすがに、ちょっと疲れたわね」


 ノワールの指先がかすかに痙攣している。

 無理をしたのだろう。

 力の使いすぎだと、エリシアとヴェルゼリアが言っていた。

 

 その言葉が、今更ながらに重く響いてくる。

 

 目の前の彼女は、確かに疲弊しきっていた。

 普段は気まぐれで、どこか余裕さえ感じさせるノワールの姿は、そこにはない。

 

 代わりに、弱々しく膝をつき、今にも消えてしまいそうなほど儚い姿が、オレの目に映る。


 この震える指は、一体どれほどの時間、オレのために力を使い続けてくれたのだろうか。

 この華奢な体で、どれほどの重圧に耐えて、オレを繋ぎ止めていてくれたのだろうか。


 オレは、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 『感謝』という言葉だけでは足りない。

 

 もっと深く、もっと強い感情が、オレの中で渦巻いている。

 

 その感情に名前をつけるとしたら、やはりそれは……彼女の献身に対する、深い敬意、そして……愛情なのかもしれない。


 彼女の震える指先から、目が離せない。

 この指先が、オレを現実に引き戻してくれたのだから。


「……ありがとう。お前がいなかったら、オレは戻れなかった」


 言葉は自然と口をついて出た。

 飾りのない、素直な感謝の言葉。

 

「短剣が……ずっとオレを助けてくれていた。あの助けがなかったら、オレは夢に飲み込まれていたと思う」


 その言葉に、ノワールは驚いたように目を見開き、それから、静かに瞳を伏せる。そして、かすかに唇を噛み締めると、ポツリと呟いた。


「……バカね……そんなふうに言われたら……泣いちゃうじゃない……」


 ノワールの頬を、一筋の涙が零れる。それは、彼女が決して見せないはずの……弱さだった。

 

 オレは優しく親指で涙をそっと拭い、もう一度、言葉を重ねる。


「お前のおかげで助かった。ノワール」


「……バカ、なんで、もっと早く戻って来ないのよ」


 ノワールは今にも泣き出しそうな声で呟き、そっとオレの胸に顔を埋めた。

 ――いつも気まぐれな彼女が、こんなにもオレを心配してくれていた……。


 オレは小さく震える彼女の肩を、そっと抱き寄せる。

 

 彼女の体が小さく震えているのが伝わってくる。その震えは、疲労によるものだけではないだろう。

 

 不安、恐怖、そして安堵……様々な感情が入り混じっているのだろうか。


 彼女の背中に手を回し、優しくさする。

 その華奢な背中から、彼女が背負ってきたものの重さを、ほんの少しだけれど感じ取れた気がした。


「ありがとう。本当に……ありがとう」


「……うっ……うっ」

 

 心からの感謝の言葉を……もう一度、彼女に伝える。

 声を殺して泣く彼女の体温が伝わってくる。

 

 この温もりを、オレは一生忘れないだろう。

 彼女がオレにしてくれたこと、その全てを。

 

 その後ろで、二人の小さな声が聞こえてくる。

   

「むー、今回はノワールに免じて許してあげるけど……」

「ええ。レオン様が目覚めたのはノワールの献身のおかげですもの。今だけは、そっとして差し上げましょうね」


「でも、ちょっと、羨ましいわね……」

「そうですね。後で私たちも、抱きしめてもらいましょうね」

「そうね!」

「ふふ」


 後ろで、2人が良からぬことをコソコソと企んでいたが――。

 

 ……そのおかげで、ようやく現実に戻ってきたという実感が湧いてきた。

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