1月31日3:35 那須高原
吹き抜けから
何かを讃えているのか。何かを呼んでいるのか。
ひときわ大きな
一瞬の静寂。
その後、
戦いが始まった。
私は平山と阿蔵の前に立つ。平山の目の奥には正気の光があった。
下の戦況が見えない中、あまり時間をかけてはいられない。私は平山の顔を覆うように手を広げ五本の指で頭を優しく包み掴んだ。
私はゆっくりと丁寧に、優しく撫でるように
平山の目が見開かれる。阿蔵の腕を掴んでいる平山の手に力が入る。阿蔵はしっかりと両の腕で平山を抱きしめる。より強く。よりタイトに。
平山の身体が小刻みに動き出した。震えているのだ。
私の
恐怖がじわりじわりと頭に浸み込んでいく様が魂に直観されているのだろう。水に落としたインクのように、自分の魂がゆっくりと染まっていくのを理解しているはずだ。
私は恐怖を操る。ただそれだけができる
根源的かつ究極の恐怖を司る。その名は「死」。
「阿蔵。これから先はあまり楽しいものではないぞ」
「大丈夫です」
阿蔵の眼差しは真っ直ぐだ。良い目をするようになった。私は頷く。
阿蔵に抱かれた平山は顔色を失っている。元より白い肌が抜けるようだ。平山の震えは今では
私は平山の頭から手を放し、スーツの上着を脱ぎながら二人に話しかける。
「私は取るに足らない
シャツの袖を捲る。
「私は霧にも獣にも姿を変えることができない。
二人の前に座り込む。
「ただただ人の血を吸い。そして、ただただ長く生きてきただけの化け物だ。私は闇の口づけも与えたことがない。私のような者は私だけで十分だからだ」
平山の目前に腕を出す。
「飲みたまえ」
震える身体を支えながら平山が私を見る。
「先ほどで私の
なぜ。と平山が目で聞いてくる。
「
突如として突風が部屋に吹き込み、部屋の入口にかかっているカーテンを乱す。階下から雷鳴のような轟音が聞こえてきた。
「だが、正確に言うならば、
平山と阿蔵は怪訝な顔になる。
「重要なのは私の
平山は素直に頷く。
「
私は意図的に言葉を切った。一息の間。
「そして、今後お前たちに降りかかるであろう
平山と阿蔵は目を見開く。
阿蔵の腕を掴んでいる平山の手に私の手を重ねる。
「お前たちは多くを失った。失ったものが戻ってくることはない。そして、これからも多くのことを失い続け、心や尊厳が蹂躙されるだろう」
手に力を込める。
「だが、お前たちがお前たちであり続けられることだけは私が約束しよう。お前たちの覚悟は必ず果たされる」
二人が頷いた。
「私は取るに足らない化け物だ」
私の腕を平山が掴む。
「だが、私を超える恐怖はない」
平山が私の腕に牙を突き立てる。ずぶりと沈んだ牙が腕の血管を切り開き、血が溢れ出る。平山が私の血を飲むと、平山の魂に私の血が絡みついてく。平山には私からの
昔、巽が言っていた。私の血を飲むと、何処までも続く荒野が見えるのだそうだ。それは
私は平山の肩を
私の腕から口を離した平山から吐息が漏れた。平山はそのまま眠りにつく。
私はシャツを整え、上着を着る。
無言で平山を抱きしめている阿蔵を残し、階段に向かう。
吹き抜けを見下ろすと、三階付近に浮遊している
聖なる異形。神性を注入された無垢なる怪物。
目と目の隙間にはいくつもの割れ目があり、その奥に歯が並んでいるのが見えた。唇の無い口なのだ。
一階の喧騒は落ち着いている。あらかた片付いているようだ。
私は躊躇なく吹き抜けから飛び降りる。異形の上に浮かぶ光輪の間を抜け、
身体と翼についている目が一斉に私を捉える。足元でスイカほどの大きさの角膜が動き、視線が合った。
私は姿勢を定め、
刹那の後に来る衝撃。行き場を失った拳圧がそのまま私に戻ってくる。私の右手は一瞬にして赤い霧と化し、肉やら骨やらの破片が背後に飛び散る。衝撃は
飛び退こうとする私よりも数瞬だけ早く
左手一本では触手を剥ぎとることも、歯を折ることも容易ではない。瞬時に閉じられた歯と歯が合わさり、腰と背の骨が粉々になる音を聞いた。
スーツが耐圧性能を最大限に発揮したおかげで私の身体は食いちぎられることなく、吐き出された。腰から下がそっぽを向いており、足に力が全く入らない。
私の身体は一階まで落ち、どさりと重い音を立てた。
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