朝鮮民主主義人民共和国 訪問記(2025.3 刻堂元記様企画)

野栗

わたしの韓国体験記(2001年)

 野栗です。


 標記の企画をうけて、2001年3月に韓国・釜山プサン経由で朝鮮民主主義人民共和国・金剛クムガン山を訪れた際の旅行記を部屋の隅から発掘しました。24年前、当時知人が主宰していた地域ミニコミ誌に寄稿したものです。

 拙さばかりが目立ちますが、当時の文章をそのまま、以下に再掲いたします。




  🚢わたしの韓国体験記🚢(注1)


 北朝鮮ママ(注2)は思ったよりも近かった。国内の韓国旅行専門旅行社の金剛クムガン山ツアーのパンフレットを見て、即座に行こうと決めた。休暇の申請をするとき何か言われるかなと思ったが、事務長は黙って許可の書類を渡してくれた。

 プサンから地元の観光客約600人に混じって金剛山クルーズの船に乗った。寝ている間に38度線を越えた。翌朝目を覚まして外を見ると、船が高城コソン港に入るところだった。金剛山ツアー用の身分証明書を首から下げ、港の「入管」を経て観光バスに乗り金剛山に向かった。帰りはやはり「入管」で並んで北朝鮮ママの係員のチェックを受けて船に戻る。

 金剛山に入り、奇岩がそそり立つ景色をながめていた時だった。藤色のスカーフを巻いた、ふっくらしたほっぺたの若い女性監視員が話しかけてきた。定番の質問「何で結婚していないのか」に始まり「森総理はいつやめるのか、なんのためにアメリカ訪問をしたのか」……前の日に船の中で「ママの監視員にしつこく話しかけるのはやめましょう」とさんざん聞かされたばかりの私がろくな答えもできず目を白黒させていると、彼女は石原都知事が在日朝鮮人を敵視していることに対して「東京は日本の首都でしょう?」ともどかしさを訴え、教科書問題については日本の人民がどう思っているのかと聞いてきた。「歴史を歪曲することは、現在、そして未来をも歪曲することになるのではないでしょうか」と言いながら。

 生まれて初めての北朝鮮ママの人との語らいは「アンニョンハセヨ(こんにちは)」にとどまらなかった。はじめは、石原さんのような人はほんの一部で、大部分の日本人民は友好的な考え方であるのだと言ってとりつくろうつもりだったが、いつしかそんな思いは頭から吹っ飛び、教科書問題や石原知事の発言に対しては、一般の日本人は自分の生活に直接影響のあることではないので、おおむね無関心であると答えた。

 金剛山に行く途中、ママの農村風景を窓から眺めることができた。グラウンドで子供たちが遊ぶ学校、大きな荷物を持って歩く人、畑仕事に励む人と牛、軒先に薪を積み上げた農家……手を伸ばせばさわれそうなぐらいなのだが撮影は禁止、観光バスの通る道には人民軍兵士の監視が数百メートルおきに立っている。休憩所も温泉も高い塀でしきられ、向こうに見える村を撮ろうかなとカメラを構えたら観光バスの運転手さんに止められた。

 今度行くときはママの人たちともう少しましな話がしたい。写真もたくさん撮っていきたい。そのために日本の中で何を積み重ねていけばいいのか、日々の生活の中で考え続けていきたい。(終)


注1:当時このミニコミ誌が、市民による韓国・朝鮮をめぐる体験記を連載していた関係で、このタイトルになりました。

注2:私はここ数年、日本国内で使われる「北朝鮮」という言葉の中に抜きがたい蔑視感情が含まれているのを感じています。そもそも「北朝鮮」は正しい国名ではありません。朝鮮民主主義人民共和国に言及する時、私は略称として「共和国」を使うようにしています。そういうわけで、この原稿および本文中の「北朝鮮」「北」表記には「ママ」という校正記号を施しています。

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