毒中の三竦み

サドル・ドーナツ

 祭列の行進に人々は強く魅了されていた。のったりと進む豪奢な牛車、 舞う紙吹雪、踊り狂う色とりどりの張り子の龍たち。どれもこれも、いかにもめでたいといった様子で。

 事実この月はこの国ジパングにとってめでたい祭祀の月。毎日ではないがかなりの頻度で豊穣や幸を祝う祭事が大々的に執り行われているのだ。

 しかし、皆が皆笑い、歌い、手を打つ最中、あまり興奮を見せないまま腕を組んで祭を見守る者が二人いた。


「アキ様ぁ、本当にここいらでひと騒ぎ起きるんですかいぃ?  げこっ」


 薄緑の安っぽい衣を身に纏う少女はひどく挑発的に隣の男に聞いた。傍目から見ると年相応の無邪気さを湛えた可愛らしい顔なのだが、目だけはぎょろりとしていてどうにも人を怯えさせていた。時折喉の奥から鳴る声もまた不気味であった。


「えぇ、 占術によれば確かに起こります。しかし、それを抜きにしても今日のパレードはお偉いさんも参加しています――あの牛車がそうですね――見張らないわけにはいかないでしょう」


 アキと呼ばれた男はいたって冷静に答えた。その顔つきはすらりと洗練されていて、体つきは細いながらも鍛えられており、いかにも女性を魅了しそうな優男といった風貌であった。隣の少女の衣とは対照的に、彼の紫色の服はきちんとした高級なものであり、彼自身が発する気品と共にただならぬ者であるという印象を人々に与えていた。


「でも、そのお偉いさんの部下が見張ってるって考えないの? ここはさ、その人たちに任せて楽しちゃわない?」


「御冗談を、アコ様。僕は我が君のために名を上げなくてはならないのです。それに、この重要な警護、『仙人』に関わる者以外には荷が重すぎる」


 厳然としてアキは答えた。


「仕事熱心だねぇ……ところでさ」


「なんですか?」


「さっき言ってたぱれぇどって何? げこっ」


「外の国の言葉です。ああいう列をなす祭の出し物を、そう呼ぶのです」


「ふぅん、賢いねぇ、アキ様は」


「……何度も言うように、アキ様と呼ぶのはやめてください。あなたは僕と違って……」


 アキが言い終わらないうちに事は起きた。

 明らかに花火ではない火薬の弾ける音。銃だ。音の聞こえた方を見ると怯え逃げて、わらわらと割れていく群集の中から賊共が牛車に向かって飛び出てくる瞬間だった。


「来たか」


 アキは腰の刀に手をかけ駆け出そうとする。

 しかし、彼は少女アコに頭を掴まれ制止される。いつの間にか、彼女が頭上にしゃがんでいたのだ。


「あっ!」


「ふふん、残念だけども、お手柄はいただくよ」


 彼女はそのまま曲げていた足を発条ばねにし、彼の頭上から一直線に賊の元へ跳んだ。その勢いはまるで大砲のようで、もし着弾時にうまく勢いを殺さなかったら着弾地点となった賊の体は粉々になっていたであろう。

 彼女は賊の一人をなぎ倒しつつ、戦禍に降り立った。いきなりの闖入者に賊たちはたじろぎつつもすぐに剣を構える。小さな少女と剣を持った大人の男たち。その体 躯の差は歴然で、賊が有利というのは誰が見ても明らかだった。

 しかし、その優劣は一瞬にして覆される。

 刀が一本宙を舞ったかと思うと、鈍い音がし、いつの間にか懐に潜り込んでいたアコの蹴りが顎にめり込んでいたのだ。

 崩れ落ちる賊。他の者はすぐさまアコから距離を取る。その顔には濃い恐れが浮かぶ。

 しかし、少女を前に背を向け逃げ帰るのは男の矜持が許さない。恐れる群れの内から立ち向かう者が。


「その意気や良し……だが、相手は見極めておいた方がいいぞ。げこり」


 これまた一瞬で片が付く。だが今度は目に追える者もいた。


「……感謝してほしいものだ。仙人に打ちのめされるよりはいいだろう」


 両者の間にアキが割って入っていた。彼はアコに向かって振り下ろされた刀を左手で払い、絹のごとく滑らかな衣の袂でそれを滑らせた。当然賊は姿勢を崩しアキに頭を垂れることになる。そこで彼は両の掌で勢いよく賊の耳を叩いたのだ。

 賊は白目を剥きながら気を失い、彼の足元に倒れた。


「げこり。さぁて、あたしたちに立ち向かうもののふはいないのかぇ?」


 彼らは脱兎のごとく逃げ出した。一人残らず、要人暗殺の任を自分の命欲しさに投げ出したのだ。しばしの静寂、しばらくしてまばらに拍手が起こり、やがて割れんばかりの雨あられになる。


「ふふふ! あたしこと仙人アコ! そして仙人リクが下僕、アキ様のことをよろしくね!」


 騒々しさに煽りをかけるようにアコは言う。しかしアキは見向きもせずに片手で賊の一人を背負った。


「あれ? だめだよぉここで宣伝しとかなきゃ」


 俄かにアキの腹が痛み始める。これ以上大事になる前に早く、と急かしているようだった。


「僕の仕事はここからが本番なんです。あと、そっちの男はアコ様がどうにかしてください。もう使えなさそうですし」


 冷たくあしらう彼にふくれっ面のアコ。

 小さくも危険な騒動はこれにてお開きになった。


■■■■


「さぁ跪け我が眷属よ。褒美をやろう」


 仙人という人種がいる。彼の者らは修行を積み、人知を超えた力や知恵を手にし、このジパングの貴族階級に属していた。彼らの恩恵は政治、薬学、軍事、その他あらゆる分野に渡っており、その見返りとしての地位だ。

 アキが跪く相手もまた仙人である。彼女は主人でもあり、また師でもあった。その風貌は異様で、顔や上半身はあどけない少女のものなのだが、腰から下は毒々しい紫色の鱗を纏った、おぞましくもどこか美しい大蛇のそれであった。仙人の中には、人の姿を捨ててしまった者も少なくない。


「よく頑張ったなぁ」


 頭を撫で、甘く囁きながら仙人リクはアキの首元に牙を突き立てた。走る鋭い痛み。しかし、すぐに痛みは柔らかな快楽に変わり、彼の身を包んでいく。


「……ありがとうございます、リク様」


 はだけた着物を直し、跪いたまま重々しく礼を言う。


「いやしかし、本当によくやってくれた。今回救った相手から賛辞の言葉をいただいたよ」


「ずいぶんと早いですね」


「まぁ、君の同行者が宣伝してたからねぇ」


 アキの表情が固まる。知られてはいけないことが知られた焦り。表にこそ出ないが彼の内面は大いに波立つ。また彼の腹が痛む。

 その様子を見て、リクは満足げに頷いた。


「どうやら、またあの蛙娘に乱入されたみたいだねぇ」


 責めるような口調。アキは少しだけ俯く。しかし彼女の表情は楽しげで、配下を弄んでご満悦のようだ。


「申し訳ございません。あの方に任務の邪魔されてしまいました」


 するすると彼女の尾が体を這いあがる。冷たく重い感触がアキを総毛立たせる。


「確か、先陣を切ったのは彼女だとか……」


 尾の先端が頬を撫で、そのまま首元へ。


「……」


 アキは何も答えない。


「……ふふ。大丈夫大丈夫。別にそれでどうこう言うつもりはないよ。結果、君の活躍はあちらに伝わっているみたいだしねぇ」


 ニヤリと妖艶に笑い、なおも頭を撫で続ける。その笑顔からは嗜虐の色が覗ける。


「それに、君の仕事はこれからが本筋だ」


「はい、リク様」


「さっき君が持ってきた賊に話を聞いてみたんだけどね、今回の襲撃の首謀者は篠目しののめ四官だった。護衛対象の仇敵の貴族みたいだねぇ」


「はい」


 アキは頷く。


「……始末してきなさい」


「はい」


 冷たく言い放たれた命。己を、感情を殺し仙人のしもべは立ち上がった。


「それでは行って参ります」


 薄暗い、仙人の屋敷での話である。

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