九日 #ぷかぷか

 暗雲は一晩たっても雫を落とさず、姿を消さなかった。

 どんよりとした空を見上げたヤヨイは、小さく息を吐いて日影のあいまいな道を進む。

 強い日差しがないので作業がしやすそうなものの、畑や田に立つ人は少ない。手が空いて動けるものは山を調べるようにと里長の沙汰が出たからだ。早朝に里長の元に集まった男達は、二人ずつに分かれて山へと向かった。

 ヤヨイがどんなに力になりたくとも、探索に参加することはできない。

 修験道を開いた開祖によって、女人の入山はご法度とされていた。許されているのは、神社のある山と隣の村に続く小高い山だけだ。

 里の子供達は危ないからと厳しくと言われて育ち、もし入ろうとしたならば大目玉を食らう。何処をほっつき歩いているかわからないと言われるヤヨイでさえ、禁を破ったことはない。

 神社の階段の前を幾分か過ぎた所で、ヤヨイは山に足を踏み入れた。階段の半分の高さになるあたりで、小さな池にたどり着き、かごを下ろす。


「よかった」


 こぼれた安堵の声は震えていた。

 魚の鱗まで見える池の水は、暗くとも十二分に美しく、映る顔は少し情けない。

 なぐさめるように笑ったヤヨイは、広げた布をさらそうとした所で先客がいることに気が付いた。

 瑠璃色の腹を見せて、ぷかぷかと浮かぶ姿は死んでいるのかと勘違いしそうだ。どうやって息をしているのか不思議でたまらない。猫と同じぐらいに成長した神獣へヤヨイは声をかける。


「サンちゃん、休んでいるところ悪いんだけど、布をさらさしてね」


 山椒魚さんしょううおみたいだから、サンちゃんにしようと言ったのはヤヨイだった。トウマには不評だったが、当の本人は文字通り尻尾を振ったので気に入ったと見ている。

 ぴくりと顔をもたげたが、反応はほぼなかった。短い四肢は四方に伸ばされ、長い尾はひれのように揺れ、波紋を作る。


「呑気ねぇ」


 気がゆるんだヤヨイは、知らず知らずのうちにつめていた息を吐いた。邪魔にならないようにそっと布を水につけた。

 玉蜀黍とうもろこし、薄浅葱、珊瑚や笹色の衣をさらして木にかけていく。太陽は出ていないが、この暑さなら半日もあれば乾くはずだ。それまで、無駄に過ごすのも心苦しい。山に入った父とトウマも気になる。家に帰ろうとかごを手にしようとしたヤヨイの耳に、物音が届く。考えるよりも先に体を翻し、音がした方へ構えた。

 

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