彼女は剣士の資格者でした~刃が■■■を穿った日~

石榴矢昏

第一章 -鳴瀬泉美、精霊と出逢う/夜の占い師-

#1




 雲一つない夜空には、細く鋭利な三日月が浮かんでいる。

 あと数日で新月だなと、鳴瀬泉美なるせいずみは銀縁メガネ越しに空を見上げ、1人で歩いていた。

 その理知的な目は、憂いを帯びている。


 5月の終わりの今、彼女が所属する吹奏楽部は、夏のコンクールに向けた練習が本格的に始まりつつあった。

 土曜日である今日も朝から夕方まで練習があり、その帰りに、先日の定期演奏会のお疲れ様会も兼ねて、部員数名でファミリーレストランへ行った帰りだった。


 元々大人数の行動を好まない彼女だったが、親友が参加すると知り、またその親友が泉美を誘ってくれたので断りきれずに参加した。


 この学校の曲がよかっただとか、コンクールの楽曲のここが関門だとかを話しつつも、ちょっとした恋愛話も交えて話に花を咲かせていた。


 話題にあがった同級生の男子部員の名前。

 コンクールの課題曲の中にあった高難度のパート。


 先日の定期演奏会でうっかりリードミスをし、クラリネットの音を吹き損ねてしまった彼女は、いまだにその出来事を引きずっていた。


 そのことを、一滴の水を垂らすようにぽつりとこぼした途端、


「大丈夫だよ泉美、誰がリードミスしたかなんて観客にはわからないって」


「そうだよ、定演なんて楽しけりゃいいんだし!」


 わっと波紋が広がるかのように、周囲の友人たちが群がるようにして口々に励ましの言葉を浴びせながら、大盛りのフライドポテトの乗った皿をぐいぐいと勧めてきた。


 彼女たちの思いを無下にしないよう、そうだよね、ありがとうと言って取り繕うように笑ったが、それでも悔しさは拭えなかった。


 そんな出来事もあったせいで彼女は、年間行事の中でも最も重要なステージであるコンクールに対しても、強い不安を抱えていた。

 また、失敗したらどうしよう。と。


 気持ちが晴れない泉美は、真っすぐ帰る気にはなれず、いつもはしない寄り道をすることにした。


 帰りが遅くなることも、夕食を食べてくることも、あらかじ家族に伝えていた。

 なのであまり遅くなりすぎなければ良いだろう、と自分に言い聞かせた。


 一番の親友が教えてくれた、小高い丘の上にある展望台。

 一面に広がる景色を見て、少しでも気持ちを落ち着かせたかった。


 彼女が連れて行ってくれたのは昼間の時間帯で、夜に行くのは初めてだった。夜景もさぞかし綺麗だろうと、わくわくしながらその場所へと向かった。

 その反面、そこに至るまでの道は安全なのだろうか、灯りはちゃんとあるのだろうかという不安も少しだけあった。


 否、少しでも危険そうだったらすぐに引き返せばいい。

 とりあえず行ってみよう。

 携帯電話の充電はまだ残っていたので、いざとなれば連絡も取れる。


 それに、あの場所を教えてくれた彼女だって。


「塾に行く前とか、ときどきこっそり寄るんだよね」


 と、照れるように笑う光景が目に浮かぶ。

 だから大丈夫だと、泉美は自分に言い聞かせる。


 大通りをはずれ、住宅地を真っすぐに歩く。

 あちこちの家から漂うカレーや煮物の匂い。バラエティー番組の笑い声。

 ズンズンと聞こえる音楽のベース音。


 それぞれの家の窓から洩れ出した環境の一部分が、夜の閑静な住宅街を静かに彩っている。


 と、その時。


 ――「お嬢ちゃん、悩んでいるようね?」


 生暖かい夜風のような、透き通った少しけだるい声。

 見上げると、すらりと背の高い女が街灯の下に立っていた。


 鼻腔を刺激する、花のような甘い香り。

 白くやわらかな肌を包む黒いドレスは、女の身体の輪郭を引き立たせるタイトさで、形のいい縦長のへそが透けて見える。


 だがそれ以上に、黒くつややかな長い髪から覗く、美しい瞳が彼女の気を引いた。

 蝶の羽根のような長いまつ毛が影を落とす紅い瞳は、人間離れした不気味さがありつつも、あらゆるものを魅了する妖艶な魔力をも放っていた。


「一体何が、あなたのを増幅させているの?」


 この突然現れた妖艶な女が、まさに泉美の気持ちをかき乱していた。

 肩上で切りそろえられたボブカットの髪が、風に揺れる。


「あ、あなたは……?」


「私には見えるの。その胸の奥に潜む、あなたをかき乱す悩みの種、あるいは深く悲しい闇の根源……」


 そう言って、女は黒い布のグローブに包まれた2本指で、小さなカードを差し出した。


 占いの館 Raven-レイヴン-

 RaKiA ラキア



 黒い羽やバラの花の絵があしらわれた、淡い紫色の名刺に黒い文字でそう書かれ、その下には電話番号と住所があった。


「占い……」


 悩みの種が増えた己の近況を見透かされたようで、泉美はどきりとした。

 しかし、街中や駅前はまだしも、こんな民家しかないような場所にそのような場所があるものなのだろうか?と、泉美はいぶかった。


「初めての人からお金は取らない。サービスよ」


 ラキアを名乗る女は、少女のようにいたずらっぽく笑う。

 その顔すらも美しかった。


「どう? 少しでも、あなたを楽にしてあげられると思うのだけど……」


 女は前かがみになり、泉美に顔を近づけた。甘く気怠い、少し官能的な香りがより強くなる。


 まるで魔女のような、不思議な人だ。

 泉美はそう思わざるを得なかった。


 そして彼女は無自覚のうちに、すっかり魔女の色香に惑わされていた。


「はい、連れて行ってください」


 そう答えた彼女の目は、虚ろだった。

 まるで明晰夢のめいせきむを見ている時のように、意識はありながらも、目に映る光景を現実としてうまく判別できなくなっていた。


「いい子ね。素直で従順な子、私大好きよ」


 さあ、こっちよ。

 そう言いながらラキアは、泉美の手首をぐいと掴んで、道をまっすぐに歩いた。


「(あれ、ここって……)」


 2人はまさに、泉美が行こうとしていた展望台のある丘へと差し掛かった。


 かなり奥まった場所で泉美はかすかに不安を覚えたものの、魔女の香りに支配された泉美は抵抗という選択肢をすっかり忘れていた。


「もうすぐ着くからね」


 展望台を通過し、ラキアはその向こう側にある森の中へと進んで行った。


 鬱蒼とした森を歩く時も、決して逃がすまいと言わんばかりに力強く、泉美の手首を掴んでいた。

 やがて細い道を取り巻く木々が途切れたかと思うと、道をややそれた場所に、大きな館がそびえたっていた。


「ここよ」


 泉美はただただ圧倒された。

 まるで物語に出てくる、古い洋館そのものではないか、と。


 こんなものが、自分の住む町、それもこんな身近な場所にあったとは、夢にも思わなかった。


 その手前には、折れた飾り柱が3本と、それに囲まれるように、低い円柱がぽつりとおかれていた。


 一体何なのだろうと思いつつも、ラキアがさっさと中へ連れ込んでしまったので、詳細を見ることはできなかった。


 重い扉を開くと中はやはり薄暗く、少しずつ目が慣れると、そこが想像通りの大広間だと気が付いた。


 だが、古びた外観であるのに対し、黴臭さや内装の劣化は感じなかった。

 真正面には横幅の広い階段。1階と2階の両サイドには別の部屋へと通じる扉がいくつかあった。

 ラキアは1階にある右側の部屋に、泉美を案内した。


「さあ、そこに座って」


 泉美は言われるがままにそこへ座り、ラキアは木製のテーブルを挟んだ向かい側に座った。



「じゃあ、早速始めるわね」


 ラキアは慣れた手つきで、テーブルのわきに置かれたカードの山をアーチ状にバッと広げた。

 女児向けに書かれた占いブックやおもちゃとは違い、本格的な占いをしてもらうのは彼女は初めてだったが、ほとんどラキアが誘導してくれたのでさほど身構える必要はなかった。


 シャッフルされるカードをいいタイミングで止め、いくつかの質問に答え……なんてやっているうちに、カードは3枚に絞られた。


「この中から、直感で選んで」


 これで自身の命運が決まってしまう気がして、泉美は息をのんだ。


 悩みが多い、つらい、といった漠然とした悩みは効果が薄い、という説明を受けて、泉美は部活に関する悩みを占うことにしていた。

 自分はここでうまくやっていけるのかどうか。本当にここで続けていいのか、と。


 もう一つの大きな悩みは、まだ他人に話さないことにした。


 泉美は直感で、真ん中のカードを選んだ。


「それでいいのね? じゃあ、捲って」


 カードの絵柄を見て、泉美は一瞬背筋がぞっとするのを感じた。

 カードの中では、一匹の獣が両の目を紅く光らせながら、牙をむき出しにして真正面から吠えていた。


 占いにさほど詳しくない泉美でも、それが少なくても吉兆でないことはわかった。


「あらぁ、それ引いちゃったかあ」


 と、ラキアが占い師としてあるまじき言い方をしたので、泉美は困惑した。


「でも大丈夫、解決策はあるわ。とても簡単な方法よ」


「あの、私の悩みは……」


「そんなものはもういいの」


 ラキアは泉美の言葉をさえぎるように言った。

 雲行きが怪しくなってきているを感じ取り、泉美は逃げ出したくなった。


「わ、私そろそろ……」


「どこへ行くの?」


 椅子から立ち上がろうとした泉美を止める声は、少し圧がかかっていた。


「話はまだ終わっていない。楽にしてあげるっていってるのよ」


 怖い。ここは危険だ。

 彼女がそう思っていても、身体中に行きわたった魔女の色香が彼女をすっかり麻痺させていた。

 泉美は己の意志と関係なく、おとなしく椅子に座り直すしかなかった。


「そうそう。いい子ね」


 彼女の声はけだるさを取り戻していた。

 それどころか、冷気すらも帯びていた。


「素直で従順な子、私大好きよ。……だって、飼いならすのに手がかからないんだもの」


 そう言い放った瞬間、妖艶な占い師は、腹をすかせた獣へと豹変した。


 獲物を前にしたかのように、ラキアは舌なめずりをする。

 本性を露わにした女を前に、泉美の心臓はばくばくと鳴りっぱなしだった。


 逃げなくては。殺される。


「そのカードの絵柄は、あなたの未来の暗示……」


 ――いいえ、姿


 逃げられずにいる彼女に微笑むラキアは、片手に石を持っていた。

 手のひらサイズのそれは、黒く禍々しいオーラを纏っている。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る