ヒロイン?

 バシャ。

 ヴィオラはトイレから出たとたん、水をかけられた。

 水をかけた犯人の逃げていく後ろ姿は大人の男性なので、誰かの従者なのだろう。

 最近、頭上からゴミが落ちてきたり、水が落ちてきたりする。すべて避けていたのにとうとうやられてしまった。


「ヴィオラ、どうしたの」


 ブランが飛んできた。


「びしょ濡れじゃん。大丈夫?」

「とりあえず、着替えに寮に戻る」

「授業があるのに? パッと魔法で乾かしたら?」

「ブランはできるの?」

「いや、無理無理。ヴィオラが丸焼けになるよ」

「私も同じ。自分が丸焼けになる未来しか見えない」


 鍛えに鍛えた魔力だが、コントロールの訓練はゲームになかったのでやっていない。だから、繊細な操作はヴィオラには無理だ。


「でも、誰にやられたんだ? 心当たりは? やっつけてきてやるぞ」

「誰かはわからないけど、原因はわかってる。原因は二つ。一つは力があるくせにキャンプでみんなを助けなかった。もう一つは私が男の子をはべらしてるからだって」


 ブランが笑い出した。


「女の子に相手にされていないだけなのにな」


 唯一、相手をしてくれるジョセフィンにはアンとケイトがぴったりとついていて、生徒会でしか、ゆっくり話せない。一人でいると目につくのか、親切にイアンやライル、トムたちが話しかけてくれる。嬉しい反面、嫉妬は買いまくりだ。


「イジワルされても、朝の修行を今さら、やめるわけにもいかないし。」


 水をかけたりするのは『聖女は愛に囚われる』では悪役令嬢ヴィオラがヒロインアリアナに対して行っていたことだ。愛に飢えていたから、みんなに愛されるアリアナが妬ましくてたまらず、その行動はどんどん過激になっていく。そして、身を滅ぼす乙女ゲームの中の可哀想なヴィオラ。

 ストーリーを改変したからなのか。ゲームの開始より前なのにイベントは起きるし、自分のポジションがどんどんヒロインに似てきているような気がする。


「ブラン、先生に遅れますって連絡してきて」

「えー」

「お願い」


 嫌々飛んで行ったブランを見送って、ヴィオラはため息をついた。


「どうしたんだ」


 よりによって、ジョージ王太子に声をかけられてしまった。


「あ、ちょっと、濡れたので、寮に戻るところです」

「誰にやられた?」


 王太子には濡れた理由がすぐにわかったようだ。


「なぜ、やり返さない」


 ヴィオラは微笑んだ。やり返すと、相手が生徒だったら殺してしまうかもしれないから、なんて言いづらい。


「急ぎますので、これで」


 頭を下げて、身体強化で全力疾走。


「おい、待て」


 呼び止められたが、聞こえなかったことにして、自分の部屋に飛び込んだ。

 ミヤの手を借りて、大急ぎで身体を洗い、着替え、髪はミヤに乾かしてもらう。


「もう、今日は休まれたら?」


 後で考えると、ミヤのその助言に従っておけばよかったが、その時のヴィオラはまだ次の授業にギリギリ間に合うと焦っていた。

 さっき、水をかけられたばかりなので、今日はもう無いだろうと油断していたのもある。

 寮を飛び出したとたん、バシャッと液体がかかった。今度は水じゃない。赤くて生臭くて、少し粘り気がある。

 まさか、血?

 また、着替えなきゃと、ヴィオラが向きを変えようとした時、ぐらりと世界が揺れた。

 あれ?

 毒?

 治癒しなきゃ。

 そう思ったヴィオラの意識は闇に包まれていった。


『ヒロインは必要なの。アリアナがヒロインにならないのなら、ストーリーを変えた者が責任を取るべきだと思うの』


 暗闇の中、白く明るい光に包まれた誰かがそんなことを言った。


「ちょっと、待ってください。どういうことですか?」


 尋ねると、相手はクスクスと笑った。女性の声だった。


『じゃあ、頑張ってね』

「待って!」


 逃してはならない。そう思って、ヴィオラは手を伸ばした。その手を誰かが握る。


「大丈夫ですか?」


 ミヤの声にヴィオラは目を開けた。ミヤにブランにそれから、見慣れない神官姿の男性。


「私、どうしたの?」

「呪いをかけられたんです。わかりますか?」


 呪いって、あんな物理的にかける物?


「こちらの神官様が解いてくださいました」


 確かに痛くも痒くもない。すっきり快適だ。ヴィオラは体を起こし、頭を下げた。


「どうも、ありがとうございました」


 神官は困ったように手を振った。


「いえ、私の力が及ばず、こんなことになりまして、申し訳なく思っております」


 え?

 何か後遺症が残ったの?


「驚かないでください」


 ミヤが鏡を差し出した。

 まさか、顔?

 恐る恐る鏡を覗いたヴィオラの目に入ったのはすっかりピンク色に変わった自分の髪だった。

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