## パート2: 信頼の境界
朝の光が、アイリスの隠れ家の小さな換気口から細い筋となって差し込んでいた。リアは硬い簡易ベッドの上で目を覚まし、一瞬自分がどこにいるのか混乱した。テクノクラート連合の上層にある彼女のアパートメントの柔らかなベッドと静かな環境とは全く異なる場所だった。
現実が一気に押し寄せてきた。彼女は逃亡者だった。彼女の人生は嘘だった。彼女は実験体LN-7だった。
リアはゆっくりと起き上がり、部屋を見回した。アイリスの姿はなかったが、テーブルの上に食べ物と水、そして手書きのメモがあった。
「食べて準備をしろ。すぐ戻る。—A」
簡潔で直接的。昨日の短い交流からでも、それがアイリス・チェンの特徴だとわかった。リアは提供された食事—乾燥した果物と何らかの穀物バー—を取り、考え込みながら食べ始めた。
彼女の科学者としての思考は、昨日の出来事を分析しようとしていた。共鳴回廊での音の視覚化現象。アイリスの物質変換能力。彼女自身の「波動感知」能力。これらすべてに科学的説明があるはずだ。量子波動の未知の特性、あるいは…
「それとも本当に魔法なのか?」彼女は小さく呟いた。
ドアの鍵が開く音がして、アイリスが戻ってきた。彼女は小さなバッグを持ち、顔には疲労の色が見えた。
「外の状況は?」リアは尋ねた。
「悪い」アイリスは簡潔に答えた。「『現実保全局』が中層全体を捜索している。エリオットからの通信はない」
彼女はバッグを床に置き、中身を広げ始めた。衣服、小型の工具、いくつかの電子デバイス、そして食料と水。
「下層への移動準備だ」彼女は説明した。「これを着ろ」
アイリスが差し出したのは、中層の一般的な作業服だった。目立たない灰色で、多くのポケットと丈夫な素材が特徴的だった。
「上層の服では下層で目立ちすぎる」アイリスは説明した。「目立つことは危険だ」
リアは頷き、服を受け取った。一方でアイリスは壁の端末に向かい、何かを入力し始めた。
「エリオットから暗号化された通信が届いている」彼女は言った。「昨夜送信されたものだ」
リアは急いで服を着替え、アイリスの隣に立った。端末には複雑な暗号が表示されていたが、アイリスの素早い指さばきで徐々に解読されていった。
「彼は無事だ」アイリスは安堵の息を吐いた。「別のルートで下層に向かっている。私たちは予定通り移動するよう指示されている」
「どこで合流するの?」
「基層生存者連合の領域。『魔法の囁き手』たちの隠れ家だ」アイリスは説明した。「そこなら安全だ」
リアは「魔法の囁き手」という言葉に眉を寄せた。「それは…何?」
アイリスは端末から離れ、リアをまっすぐ見つめた。「あなたのような人々だ。魔法能力を持つ者たち。多くは下層や基層で生まれた者たちだが、中には上層から逃れてきた者もいる」
彼女は一瞬躊躇った後、続けた。「彼らは魔法を科学ではなく、古い知恵として理解している。彼らの方法は…直感的だ」
リアは科学者として眉をひそめた。「非科学的ということ?」
アイリスは肩をすくめた。「効果的だ。それが重要なことだ」
彼女は立ち上がり、部屋の隅にある小さな装置を取り出した。「これはエリオットが作ったものだ。あなたの能力を測定し、理解するのに役立つ」
リアは興味を持って装置を見つめた。それは小型の量子波動分析器のように見えたが、彼女が研究所で使っていたものよりもずっと小さく、洗練されていた。
「試してみたい?」アイリスは尋ねた。
リアは頷き、装置を手に取った。「どうやって使うの?」
「左手を上に置くだけだ」
リアは言われた通りにした。彼女の左手の青白い線が装置に触れると、装置が明るく光り、データが画面に流れ始めた。
「驚くべき波形パターンだ」アイリスは画面を見つめながら言った。「エリオットの言っていた通りだ。あなたの能力は…特別だ」
「どういう意味?」
アイリスは真剣な表情でリアを見た。「波動適応実験の被験者は他にもいた。しかし、あなたのようなパターンを示す者はいなかった。あなたの量子共鳴能力は、他の誰よりも強力で複雑だ」
リアはその言葉の重みを感じた。「だからドミニクは私を探している…」
「ああ」アイリスは頷いた。「あなたは彼の『現実安定化プロジェクト』の鍵なんだ」
「そのプロジェクトについて、何か知っている?」
アイリスは唇を引き結んだ。「断片的にだ。量子揺らぎを制御し、現実そのものを安定化させる計画らしい。詳細はエリオットの方が詳しいだろう」
彼女は装置を取り上げ、しまい込んだ。「今は移動の準備をする時だ。質問は後だ」
リアは黙って頷いたが、心の中では疑問が渦巻いていた。彼女の能力が本当に特別なのか?ドミニクの計画とは何なのか?そして最も重要なこと—彼女は自分の人生をどう取り戻せばいいのか?
アイリスが準備を続ける中、リアは壁に貼られた地図を見つめた。中層と下層の詳細な手書きの地図。そこには通常の地図には載っていない秘密の通路や、避難所、危険地帯などが記されていた。
「この地図…あなたが書いたの?」リアは尋ねた。
アイリスは振り返り、頷いた。「4年かけて作った。中層と下層の間を行き来しながら」
「なぜ?」
アイリスは一瞬躊躇った。「私のような者たちを助けるためだ。魔法能力者の多くは、それが発現すると危険な立場に置かれる。特に上層では」
彼女は自分の手の指先にある回路のような模様を見つめた。「5年前、私は中層のセキュリティ技術者だった。共鳴回廊での事故で能力に目覚めた時、私は…制御できなかった」
アイリスの声には珍しい感情の色が混じっていた。「私は人を傷つけた。そして『現実保全局』に追われるようになった。下層に逃げ込み、『魔法の囁き手』たちに助けられた」
彼女はリアをまっすぐ見つめた。「だから今、私は彼らのために働いている。私のような者たちを救うために」
リアはアイリスの話に心を動かされた。彼女の冷たい外見の下には、強い使命感と正義感があった。
「あなたとエリオットは…?」リアは尋ねた。
「協力者だ」アイリスは簡潔に答えた。「彼は上層からの情報と技術を提供し、私は下層での救出活動を担当している」
彼女は準備を終え、バッグを閉じた。「出発の時間だ。質問はもういいか?」
リアは頷こうとしたが、心に引っかかることがあった。「一つだけ。あなたは私を本当に信頼しているの?それとも、エリオットに言われたから協力しているだけ?」
アイリスは長い間リアを見つめた後、率直に答えた。「まだ決めていない。エリオットは信頼しているが、あなたのことはまだわからない。あなたは長い間、上層の一部だった」
彼女の目には警戒心があったが、同時に評価するような視線もあった。「証明するチャンスはある。行動で示せ」
リアはその正直さに感謝した。少なくとも、アイリスは嘘をつかなかった。
「理解した」彼女は答えた。「私も同じだよ。あなたのことをまだ完全には信頼していない。でも…協力する必要がある」
アイリスの口元が微かに緩んだ。それは笑顔とは言えないまでも、理解の表情だった。
「では行こう」彼女は言った。「下層への道は長く、危険だ。『現実保全局』は私たちを探している。そして…」彼女は意味深に付け加えた。「彼らだけじゃない」
リアはその言葉の意味を尋ねる前に、アイリスが既にドアに向かっていた。彼女は深呼吸し、バッグを肩にかけた。新たな旅の段階が始まろうとしていた。
彼女の左手の青白い線が微かに光り、未知の道への準備が整ったことを示していた。
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