第4話その後の王都
バーベナがマルヴァーニャに発つ前――王城
「何を考えているのだ、お前は!!」
金色のたてがみを持つ獅子――そう形容される男の怒声が、執務室に響き渡った。
現帝国を統べる国王、レオポルト・グレイス・ハミルトン。
五十代半ばにしてその威厳は健在であり、老いてなお力強さを感じさせる鋭い眼光と、黄金の髪が特徴的だった。冷静沈着な現実主義者で、時に冷酷とまで言われるが、その判断力と統治の才で「賢王」の名を得ている。
だが、目の前の男――息子であるエリックに対しては、その冷静さが度々破られる。
「父上!どうしてそこまでお怒りになるのですか!」
エリックは、母譲りの端正な顔立ちを台無しにするような、苦々しげな表情を浮かべていた。すでに成人しており、立太子もまもなくという時期だったにもかかわらず、彼の振る舞いには未熟さが漂い、後先を考えない軽率な行動と言動は、レオポルトを苛立たせる要因となっている。
「怒られる理由が分からないだと?」
レオポルトは机を拳で叩き、さらに声を荒げた。
「お前が公の場で、バーベナ侯爵令嬢との婚約破棄を勝手に宣言したからだ!これが一国の王子のすることか!」
「しかし、父上!私は何度も婚約破棄を嘆願しました!それを聞いてくださらなかったのは父上ではありませんか!」
「いいだろう、それがお前の出した申請書だ!」
レオポルトは手元の書類の束から、一枚を取り出して掲げる。それは、エリックが提出した婚約破棄の嘆願書だった。内容は稚拙そのもので、「バーベナは笑顔が少ない」「ウィットに富んだ話題に反応しない」といった主観的な不満ばかりが並んでいた。
「“彼女の笑顔が外交に適さない”だと?王子が口にする言葉として、これ以上愚かなものがあるか?」
「笑顔は外交の基本です!バーベナはその資質に欠けています!王妃として不適切なのは明らかです!」
「ならば聞くが、マリーナ男爵令嬢が王妃に必要な資質を備えているとでも言うのか?」
「もちろんです!彼女は誰にでも笑顔を向け、周囲を和ませることができる!」
「では、マリーナ男爵令嬢は諸外国の言語やマナーを心得ているのか?」
「そ、それはこれから学べば良いことです!」
「お前自身はどうだ?諸外国の言語に通じ、礼儀を全うしているのか?」
「それは……まだ完璧ではありませんが……」
「そんなお前が、王妃となる者を教育し直すだと?笑わせるな。お前自身が王子としての自覚を持たなければ、誰も説得できん。バーベナ侯爵令嬢との婚約は帝国の安定に不可欠だ。婚約破棄は許さん。」
レオポルトは冷然とそう言い放ち、議論を終わらせた。
――
自室に戻ってきたエリックは苛立ちを隠さず、部屋の中を大股で歩き回っていた。
「父上は分かっていない!笑顔や雰囲気こそが外交の鍵、もしくは土台だというのに!父上も貴族たちもバーベナを買い被りすぎているのだ!執務能力や外交など、そんなことよりも、私とマリーナは愛し合っているというのに!」
「エリック様、どうかお怒りにならないでください。」
そう言って微笑むのは、マリーナ・デ・ローザリア男爵令嬢だった。未だ正式に婚約者ではない令嬢が、王子の自室にいることすら、礼節がなっていない行為であったが、エリックに苦言を呈すことのできる使用人はいない。淡い栗色の髪をゆるく巻いた彼女は、控えめな物腰と柔らかな笑顔で座っている。
「陛下は、今はまだ取り乱しておいでですが、いつかわたくしたちの愛を分かっていただけますわ。」
「そうだな……マリーナ、お前の素晴らしさを理解しない父上が愚かなんだ!」
「それに、わたくしも男爵令嬢として一通りの教育は受けさせていただきましたわ。きっとわたくしが立派な王子妃になれば、陛下も認めてくださいます。ほら!見てくださいませ。」
マリーナは立ち上がり、カーテシーを披露して見せた。
ただ、その動作はどこかぎこちなく、洗練されているとは言い難い。王族であるエリックもそれに気がついていたが、それは練習によって補えるし、マリーナの素晴らしい点を損なうものではないと考えている。
「あぁ、マリーナは美しいよ。」
エリックはそう言って、マリーナを柔らかく抱きしめる。バーベナには一切手を出さなかった彼だったが、マリーナには自然と触れたくなる。エリックはこの違いを陛下にわかってほしかったが…と忸怩たる思いを抱える。
「ただ…そうだな…執務が滞ることは、私も懸念すべきところだ。まだ認められていない君に負担をかけるのも…。そうだ、バーベナを君の教育係か、王子妃付きの補佐官にすることはどうだろう?彼女は政務が好きらしいし、父上もそれで満足するだろう。」
「まぁ……バーベナ様がそれを受け入れてくださるかしら?」
「問題ない。彼女は感情が希薄な女だからな。たとえ怒りがあったとしても表さない。それよりも、マリーナ、お前のことを父上に認めさせる方法を考えよう。」
マリーナはエリックの言葉に微笑みながら、「ええ!」と嬉しそうに答える。
――
「先ほどの怒号は、またエリック様ですか。」
宰相であり、王弟であるベンジャミン・ド・ルードヴィンクは、エリックと入れ違いに入ってきて、執務室の宰相机に座った。「廊下まで響いてましたよ。」と深い溜息をつきながら、王を諌める。銀色にも見える美しい漆黒の髪を軽く撫でながら、皮肉げに口元を歪める。
「ぐ…。部屋の外まで聞こえていたか…。だが本当に困ったものだ。エリックは王族としての自覚が足りん。私もお前も、昔は我々も同じように王族としての姿勢を説かれていたが、それとはわけが違うと感じるんだ。どうしたらいいのか…。」
「陛下もあのような感じでしたよ。」
ベンジャミンは、頭を抱える兄レオポルトを前にし、飄々と言う。
「そうだったか?覚えていないな。お前も似たようなものだったろう。歳も近かったから、よく比較されたりもしたが…。そういえば、お前の息子はどうだ?社交の場に出てこないせいで、ここ数年まったく見かけていないが。」
「残念ながら息子は、ここ数年騎士団と家の往復しかしていないよ。」
そうつぶやきながら、ベンジャミンは、書類の山から書類を取り出し、もくもくと仕事を片付けていく。
「私の息子といい、お前の息子といい、なぜ王族の血を引きながら…。いや、だが…そう言えば、騎士団長が何か言っていたな…。アレクサンダーがよく議会の貴族たちに捕まってると。」
「そうらしいな。」
「そうらしいなとは、なんとも希薄じゃないか。……確か団長が言うには続きがあって、ランベルト伯爵とウィンター侯爵がアレクサンダーのもとにやってきて、何やら自領の不作と、街の特産品について雑談をしにきていたと言っていたな。」
「…どうぞ。」
顎を撫でながら記憶を引っ張りだしているレオポルトに、ベンジャミンは書類を2枚渡す。
「……なんだこれは?次の評議会の議題案?どれどれ。」
レオポルトは、突然渡された2枚の書類の意味を理解せぬまま読み進めると、みるみるうちに顔が険しくなってきた。
「これは、ランベルト伯爵からの北方領地の気候変動の議題と、ウィンター侯爵からの、海産物の関税についての議題…?まさか…」
「評議会の議題のいくつかは、アレクサンダーが適当な貴族に何気なくした助言がきっかけの案件らしい。」
ベンジャミンは淡々と息子の現状を話す。
「そんな…政務ができる視点を持ち合わせているじゃないか.なぜ今まで黙っていた?」
「残念ながら、息子は社交界に一度も顔を出したことがないのでね。特に令嬢にはまっったく興味を示さない…。たとえ王位についても一代限りだろう。その前に、このままだとルードヴィンク家は断然するだろうな。」
「おいおい。王家の血を簡単に断絶させないでくれ。」
「私もそう言っているさ。だが、養子を迎えれば良いなど、断絶してもよいなど、父上がまた息子を作ればいいなどと…、散々な言葉を並べおって、あの馬鹿息子は…!」
ベンジャミンは、アレクサンダーへの苛立ちが言葉に乗るとと同時に、判子を押す手にも力が入る。
「ふむ、お互いに息子には苦労するな。だが、そうか、あのアレクサンダーが……」
レオポルトは、考えを巡らせようと、椅子に深く座りながら、窓の外をみる。レオポルトが見据える先は、国王としての国のあるべき姿だ。その中で、父親、叔父として考えも整理していく。
「何をお考えかは、おおよそ検討がつきますが、無理だと言っておきましょう。ただ、陛下のご命令とあれば、共に知恵を絞るのも悪くない。」
「そうか。では、帝国の未来を一緒に憂いに思おうではないか。」
そうして、帝国の未来は、二人の老練な策士の手に委ねられていた。
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